こんにちは。
飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマです。
ある人から聞いたお話し。
昔々、ある山の中に大変立派なお寺がありました。
和尚さんは大層徳の高い方で、そのお寺にはたくさんのお弟子さんが集まってきていました。
お弟子さんたちはみな熱心に修行をしています。境内はチリひとつなく、本堂はピカピカでお弟子さんたちの坊主頭が映るよう、いつも読経の声が聞こえます。
ある日のこと。
和尚さんが里の用事で寺を留守にしている時のことです。
どこからきたのか、大きな鬼があらわれました。
鬼はなぜかものすごく怒っていて、開けろ開けろと寺の門の前で大きな声でわめいています。
弟子たちはこの神聖な場所に鬼なんかが入られてはかなわんと断りますが、鬼は門の外で暴れだしました。
鬼はドンドンと力任せに門をたたいて門を壊し、無理やり中に入ろうとします。
弟子たちはこれは大変、と一斉に駆けつけて、鬼を入れちゃならんとばかりに門の向こうを押し返します。
鬼はいよいよ猛り狂って門を壊し、弟子たちを蹴散らして境内に飛び込んで、金棒であたりをめちゃくちゃにしはじめます。
弟子たちも鬼に負けじと鍋やら、しゃもじ、鍬などを持ち出して、なんとか鬼を外に出そうと向かっていきます。
お寺がこんな大騒ぎになっている最中、用事を済ました和尚さんが里からかえって来ました。
和尚さんはこの様子を見て取ると、鬼に向かって穏やかに
「鬼さん鬼さん、どうされた」
「そんなところに立っていないで、縁側にでも座って、お茶でも飲んで話していかんかの」と声をかけました。
そういわれた鬼は、ゆるゆるうなづくと、縁側に腰を下ろしました。
そして、和尚さんが入れてくれたお茶を飲み、話しをして、小一時間後、ポカンとする弟子たちを後目に、もと来た道へのんびりと戻っていきました。
お話しはここで終わりです。
私たちは、大きな怒りなどのネガティブな感情を抱いた時、それに圧倒されてしまうことがあります。
怒りにまかせてなにか(ものや人との関係、または自分自身)を壊してしまうことがあります。
それは、それらの気持ちを感じること自体が苦痛だし、自分には耐えられないと感じて、(このお話しに出てきた弟子たちがやってたように)必死に心の外に追い出そうとして、かえって事態を悪くしてしまうのです。
本当は、怒りは心の縁側あたりにそっとおいて、大事にお話しを聞いてあげるようにきちんと感じてあげるほうが、気持ちが落ち着きます。
「私はこれこれこういうことで怒っているんだなぁ」と自分で自分に話してみるのです。
このお話しに出てきた老和尚は誰の心にもちゃんといます。
そうそう、腹が立ってる時にはお茶などを飲むといいよ、というのもこのお話しのポイントです。
ではまた。