こんにちは。
飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマミチです。
セッションの中で体験することです。
何かの本で読んだ一節が、繰り返し思い出されます。
「ある深い森の中で、大きな木が轟音をたてて倒れた。その音を、誰が聞いたのか?」
何の本だったっけか、いろいろ探しているうちに、この一節は哲学的な問いの一つであると知りました。
If a tree in a forest and no one is around to hear it, does it make a sound?
見る人(観察者)がいないと、それは存在しないことになる、という現象についての問いかけです(自信はないですが、多分)。
トラウマの最中、人は壮絶な孤立無援感を体験します。
それは文字通り密室の中で起きることもあるし、衆人の中で起きることもありますが、当事者は、周りから完全に切り離されていて、しばしば自分自身からも切り離されています。
トラウマの話を聞くとき、私の頭の中には「その音―声を誰がきいたのか?」というフレーズが繰り返し繰り返し浮かびます。
そう考えている時の私はすこし無力感めいたものを感じているのでしょう。
そして次に気負いのようなものも感じるのです、その声は確かに今、私が聞いているよ、と。
でも、その人が何度も何度も自分のストーリーを語るにつれ、その人も私も確信するようになります。
その声は確かにその人自身によって聞かれたってこと、それは紛れもない事実だってことです。
トラウマの最中、人はひとりぼっちでありながら、同時に自分と一緒にいることもできるのです。それに気づいたときに、自分自身との和解とトラウマからの解放がはじまります。
では。
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