こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマです。

 

性教育、という話題となると、さまざまな捉え方やそれに伴う感情があって、時にはそれが対立を生み、紛糾するようです。

先日、東京都のある区の授業で実施した性教育が「不適切」として東京都の教育委員会が指導にあたるとした記事がありました。それによると「性交」や「避妊」「人口妊娠中絶」という具体的な言葉を使った授業が「不適切」と判断されたとのことです。

それで思い出したのは、10年ほど前に参加したある学会の性教育をめぐるパネルディスカッションです。

様々な意見が出される中で、どこかの大学の先生が「性教育とは、先祖のお墓参りに行くことだ」と発言されていましたが(それを聞いて私は思わず椅子からずり落ちそうになったことを覚えています)、このようにこと性教育となると抽象的に語りたくなる人もいます。

性をめぐるさまざまな知識について、ある程度まで具体的に伝えたいのか、もしくは抽象的にとどめておきたいのか、その幅が極端に広いためか意見の集約が難しく、空中戦さながら光景になることもしばしばです。

 

その中にあって私の考えは明確です。

性については、ニュートラルな言葉を用いて具体的に説明すること。そして私たちが自分自身の身体について客観的な知識を持つことで、自分自身を大切にしたり、危険から身を守ることができると確信しています。

というのも、トラウマの治療と深い関わりがあるのです。

トラウマ体験からPTSDになる疾病率は実はトラウマの種類によって異なっています。例えば性犯罪などの性的な被害は自然災害の6倍からそれ以上の率でPTSDが慢性化する、ということはさまざまな研究によって明らかです。

どうしてこのような違いが起きるのか、それはPTSDが慢性化する一つの要因として回避、という症状があります。

例えば回避とは、「出来事に関連する場所に近寄らない」とか「出来事に関連する感情や考えを避けようとする」などがあり、「出来事のことを話さないようにする」ということはその一つでもあるのです。

実際、多くの性被害に遭った患者さんの治療に関わってきて感じることは、「話さない」のではなく「話せない」ということです。一つには患者さん自身が持つ性に対する恥の感情がそれを邪魔していることがあります。そしてもう一つは話すための語彙を実際に持ってないことです。

体験を話すためには、私たちは語彙や言葉が必要です。

性的な体験に関して話そうとするとき、圧倒的にそれが不足しているのです。

 

『メグさんの女の子・男の子からだBOOK 』を読むと、私たちは怖がったり、恥ずかしがったりすることなく、子どもたちに性の健康について教えることができます。大切なのは、メグさんが言っているように、性について教えることによって「科学」と「健康」と「安全」を伝えることができるということです。

メグさんは子どもに性に対する知識を与えることで、性被害にあいにくくし、もし被害にあったとしても、きちんと大人に伝えられることでその子を守れる、といっています。

大人の女性であっても同じです。

ニュートラルな言葉と知識があれば、性に関する話を恥の感情を伴うことなくきちんと立派に話せるし、それはトラウマからの回復も助けます。

 

墓参りになんぞ行っている暇はありません。

 

ではまた!

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投稿: 飯田橋 サードプレイス

東京千代田区飯田橋にあるカウンセリングルーム、サードプレイスのブログです。

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