こんにちは。
飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。
何事もそうですが、病にもはじまりがあって終わりがあります。
例えば、風邪だって喉の痛みなどの症状からはじまって、しんどいのは発熱して布団の中でうなっている時で、それから熱が下がってから鼻水がズルズル続くなぁというあたりでは、ひと段落ついている、といったところです。
映画などでは往診した医者が心配そうな家族に「今夜が峠です」というシーンがありますが、大抵は(悲劇でないかぎり)翌朝には治るという筋立てになっています。
病気になっても、自然に元に戻れるのは私たちの中にホメオスタシスという性質があるからです。
ホメオスタシスは生体恒常性ともいわれます。
恒常性は生物のもつ重要な性質のひとつで生体の内部や外部の環境因子の変化にかかわらず生体の状態が一定に保たれるという性質、あるいはその状態を指す。(Wikipedia)
すなわち、私たちの身体は内的、または外的な要因によって一旦バランスが傾くことがあっても、そのバランスは常に反対の力が傾き返すことで、一定の状態を保とうとする作用があるのです。
そう考えるとココロの不調の時もホメオスタシスを信じて養生していれば大抵は上手くいくはずなのですが、どうもそれが難しいようです。
その原因は脳みそにあると私はニラんでいます。
私たちの脳はとっても優秀で、身体が動く何倍もの速さで考えたりすることができるので、病に当たっても、身体に付き合って一緒に寝ていること自体相当焦れてしまうようなのです。
それでもすごく具合が悪い時は(つまり峠にいるときは)、頭もちょうどいい具合に「ぼんやりして上手く考えられない」状態にあるわけですが、そうやって休むうちにすこし元気になってきたなぁとなってきたとたんに、頭は身体をさしおいてフル回転しはじめます。
そうなるとあれしなきゃこれしなきゃ、このままじゃだめだ、と考えてみたり、なんでちゃんとできないんだって自分を責めてみたり、挙句の果てには無理して起き上がれという指令を身体に出して、以前元気だったときのように活動してみたくなるのです。
そして、気力を使い果たして、ダウン、振り出しにまた戻る、というのを何度も繰り返す人がいます。そうやってこじらせている間に薬の量も増えていきます。
ココロの不調こそ治りかけの時を大切にしなければなりません。
ココロの不調は登山にも似ています。登りは辛く、険しい道です。目の前にある道を息を切らせながらひたすら登っていきます。峠を越えて、下りに差し掛かると、目の前に風景が広がります。里山の風景です。最初はおずおずと、でも目の前がどんどん開けて人家が見えてくるにつれ、一直線に駆け出したいような気持ちになります。下りの道から里は手を伸ばせば届きそうな距離にも感じるからです。
でも実際登山をした人ならわかるでしょうが、目で一見近くに見えている風景は実際はとてもとても遠いのです(脳みそは自分が見たいものは大きくはっきり見えるようなバイアスをかけます)。駈け出したりしたら途中で遭難してしまうでしょう。逸る気持ちをぐっとおさえつつ、一歩一歩下に向かってジグザグに降りていく必要があります。
徒然草にある『高名の木登り』というお話を覚えているでしょうか。
木登り名人だって、高い木に登るとき、ではなく、降りるときに「過ちすな、こころして下りよ」と注意しています。
その通り、「こころして下りよ」なのです。
ではまた。
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