こんにちは。
飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。
心に衝撃を与える出来事に対して、人はいろいろな対処法を取ります。その場から逃げたり、反撃したり、助けを求めたり、相談したり、気を紛らわせたり、でもどの方法も取ることができない時、人は解離します。
解離とは、通常は統合されている意識や記憶、自己同一性、または周囲に対する認知機能の分断、のことを指します。
解離は記憶に作用します。例えば記憶喪失の人がでているドラマなどを見たことがあるでしょうか。これは事件のカギとなるようなショッキングな出来事に対して、その重みに耐えかねた目撃者などがその出来事に関する記憶を自分から切り離す(=記憶喪失)、ということをして、事件解決への重要なピースが消えたようになってしまったことでドラマ的には謎が深まるのです。
またこの頃はあまり使われませんが、「失神」という現象もあります。羽田に降り立ったビートルズ(これまた古いエピソードですね)をみたファンたちがバタバタ倒れたのも、感情がオーバーヒートして(感極まって)処理しきれなくなり、意識を切り離したことで起こりました。
さらに、もうずいぶん前になるかもしれませんが、「多重人格」がテーマになった本が流行りました。多重人格も解離の一種で、自分が背負いきれない感情を切り離して、その感情一つひとつに人格的なものが付与される、ということが起こっているようです。
解離は脳の前頭前野のブレーカーが落ちるようなものです。
先ほど、「記憶を切り離す」という表現をしましたが、多くは無意識に行われていることです。だから、気が付いた時には記憶がなかったり、意識がなかったり、感情がなかったりして、またそのことに対して自分をどうすればいいのか手掛かりを失っていることもあり、それが解離の対処を難しくしています。
解離の多くは子ども時代の虐待やネグレクト、大人になってからのトラウマ的出来事の瞬間に起きています。
子どもは不当な扱いを受けていても、それに対処する方法やリソースはが極めて限られています。多くの子どもは、トラウマ的な環境において、自分の感情や意識を切り離して、ブレーカーを落とすことでその場をしのぎ、生き延びようとします。
解離は子ども自身が逆境的な状況から自分自身を守るための、唯一の防御策であるのです。
そんな自分を守るための大事な解離ですが、大人になってからも続いているといろんな不具合が出ることがあります。
意識や感情のブレーカーが落ちっぱなしだったり、落ちやすかったりすると、自分自身の連続性(自己同一性、といいます)が保ちづらく、不安定になります。ポジティブな感情は生きている実感に資する感情ですので、これが無くなったようになると、生きている感じ自体が持ちづらくなります。
この不安感や生きている感覚の欠乏感を埋めるためにリストカットや薬物、アルコール、ギャンブル、むちゃ食い、不特定多数との性的な行動などを取ることがあります。これらは生きている実感を得るための刺激となる反面、長い目で見ると自分を傷つけたり、健康を損ねたりする行動でもあります。
このように、もともとは自分の身を守るための解離が、長じて自分の回復を妨げる要因になっているかもしれません。
解離に対処する一つの方法はグラウンディングと呼ばれる方法です。
解離している時は身体の感覚が極端に薄くなっているので、日ごろから自分の身体の感じに注意を払って、身体感覚を増すような活動を取りいれてみましょう。身体を両手でこすったり、足踏みをしたり(ジャンプをする人もいます)、口に水や氷を含んでみたり、保冷剤を手にもったりする方法は効果的です。
また、記録をつけて解離やそれに伴う行動を観察すると、自分が解離しやすいパターンが見えてくることがあります。
一つひとつは地味といってもいい方法ですが、続けることで自分について理解が深まり、なんというか、一つにまとまって、自分の中の柱が太くなったような感覚が得られると思います。
その感覚が自分の人生を生きていく上で大事なものなのです。
ではまた。
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