こんにちは。
飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。
「癒されない権利」
と言ったのは”The Courage to heal – The Guide for Women survivors of Child Sexual Abuse “という本(邦題は『生きる勇気と癒す力―性暴力の時代を生きる女性のためのガイドブック』)の翻訳者である二見れい子さんという方です。二見さんとは実際にはお会いしたことはありませんが、この「癒されない権利」というセリフはけだし名言であるなぁと常々思っていて、気づけばもう20年くらいの年月が経っているものですから、なんだか二見さん自身とも身近なような感じがしているのです(勝手に)。
私を含め、治療者とかセラピストとか呼ばれる人たちは、癒しとか治療というものに対してついつい前のめりになりがちです。現にトラウマに関わる心理療法をはじめ、さまざまな治療講習会などでは「つらい症状を治して差し上げたい」と言ってはばからない講師や参加者であふれています(それにこの言い方ってなんだか上から目線でもあります)。
例えば、PTSDの症状に悩んでいる、という現象があれば、症状の改善や消失のためにさまざまな指示や助言がされます。まずは受診が必要です、この薬を飲んでください、無理せずに休んでください、カウンセリングに行ってみてください、このトレーニングを受けてださい。このように時には有無も言わせず、癒しを、いわば、親方日の丸みたいにした「治療」が注がれます。
でも実際、このような治療ありきで進んでいく治療はそのうちうまくいかないようになることも多いのです。なぜなら、トラウマの治療で本当に大事なのは、患者さんなりクライアントの主体的な回復したいという気持ちだったり、意思や行動であって、その人の本来持っている力が回復に欠かせない柱となるからです。
そこで、そもそも患者さんやクライアントには「癒されない権利」がある、と考えてみると私たちの態度は随分と違ってくるのではないかと考えます。
まず「その癒されない権利」を侵すことなく、でも同時に「癒される権利」もあるはずですから、そのいわば拮抗した、癒やすのか癒さないのかという問いについて、考えたり、その答えを出していくことが治療の始まりに(もしくは悲しいことですが終わりに)なります。
実は、その問い(癒すのか癒さないのか)について考えようとすると、結局は自分はこれからどう生きたいか、ということにつながっていくわけで、そのような自分が中心かつ主体的な考え方や話し合いのプロセスそのものがその人にとって治療的に働くのものとなるのです。
トラウマの核は「無力化」と「孤立化」であるというのは『心的外傷と回復』の中で著者であるジュディス・L・ハーマンが指摘したことですが、自分がどのように癒されていきたいのか(もしくは癒されたくないのか)、セラピスストとともに考えていくことは、このトラウマ後の人がもつ、無力感や孤立感への拮抗薬の一つともなるといえるでしょう。
二見れい子さんの翻訳した本の原題は”Courage to Heal”、『癒す勇気』です。癒しへ向かうポジティブなエネルギーが強く感じられるこの題名とは、どちらかといえば反対の言葉を提示された二見さんにはどんな思いがあったのでしょうか。
この日本における女性や、患者、クライアントと呼ばれるケアの受け手をとりまく状況を考えずにはいられない言葉でした。
ではまた!