こんにちは。
飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。
今年2番目によく読まれた記事は、【複雑性PTSD】アダルト・チルドレンとどう違うのか
でしたが、「アダルトチルドレン」ってタイトルにつけるだけで、バババーッてPVが伸びていったあたり、斎藤学先生の影響力の大きさに(文字通り)震えた次第です。
サイトウ学派のパワーみたいなものを肌で感じてびびったからでした。
アダルトチルドレンは嗜癖や依存、共依存、機能不全家族などといったワードと共に語られることが多く、そのあたりの用語は一部にはとても浸透していて、あまりにも練磨されているので、それらを使うことなく自分の状況を説明することが難しくなっている人もいるほどです。
こんなふうに
↓
「私は機能不全家族で育ったアダルトチルドレンで、現在は夫との共依存と、自分自身の摂食障害、という問題を抱えています。」
みたいな、わかる人にはわかる、わからない人には全くわからないような表現になったりします。専門用語は元来、自分を理解し他者とコミュニケーションできるために作られているものなのに、それが難しくなりつつあるのが、実はアダルトチルドレンという用語をめぐる現在の状況ではないかと感じています。
機能不全家族、という問題では、機能充分家族(もしくは「機能万全家族」でしょうか、健康食品の会社名みたいに聞こえますが)っていうのがあるかっていうと(斎藤先生自らが認めているように)そんなことはなく、アルコールや虐待の問題がなくても、多くの子どもは家族内でのストレスフルな出来事(離別や家族のメンバーの事故や病気など)に対して「いい子」でいることで対応します。子どもは子どもなりに家族を助けたい、支えたいという気持ちがあって能動的に動いたり、働きかける存在でもあるのです。
「いい子」がしている最たるものが自分自身の感情を抑えることでしょう。子どもらしい(人間らしい)感情を自分から抑制したり、余裕のない家族のメンバーから「わがままだ」などといわれることで我慢したりします。
感情を抑えたり、麻痺させたりして成長して、大人になってからもその感情の表現する場や方法がわからないままだと、なんだか心に穴が開いたような感じを覚えることがあります。アルコールやむちゃ食い、自傷行為、不特定多数との性的な関係などの嗜癖や依存は、外側から自分の感情を刺激して動かすことで、「心に穴が開いた感じ」が一瞬埋まったような感覚が得られる一つの方法です。
でも、この心に穴が開いた感じが元々は感情麻痺からきていることから考えると、自分自身の感情をきちんと取り戻すことができれば、嗜癖的な行為にさほど頼らなくても、生きている実感や地に足が付いた感覚が得られるのです。
要は感情はとっても大事、ってことで、セラピーの多くは感情を取り戻すプロセスといってもいいのではないかと思っています。
ではまた今週の金曜日に!