こんにちは。
飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。
アニメ『巨人の星』の星一徹の行動について、(仮に怒ってたとしても)何もちゃぶ台を返す必要はない。自分の感情は言葉で伝えたり、他の何かの手段で表現できるはずだ、というのが、以前の記事の話でした(これだけのことを説明するのに相当クドクドと書いてしまいました。「薄味」がきいて呆れます)。
私たちは「堪忍袋」というものを持っているそうです。堪忍袋というのは、腹が立つことがあっても、この中に入れて紐を結わえてしまうと、それをなかったことにできたり、我慢することができる貯蔵庫のようなものです(布製らしいです)。
堪忍袋はお手軽で便利そうではありますが、長い目でみるといろいろとデメリットもあります。まず、堪忍袋にはある一定の容量があるため、容量が一杯になると結んでいた紐がプチンと切れて、今までためていた怒りが派手に飛び出す仕組みがあるのですが、これがどうもいけません。またその容量も人によってずいぶん個人差がありそうです。加えて、堪忍袋がいっぱいになった「気分」というか、そういう体で、ちょくちょく爆発させてくるハタ迷惑な確信犯もいるようです。
実は、堪忍袋の一番の欠陥といえるのは、その袋の中に入るのは「怒り」だけではない、ということです。
むしろ「怒り」以外のものが一緒くたに入れられているのに、それを「怒り」と勘違いしているのかもしれません(嫌な気持ちは「怒り」の感情として認識されることが多いのですが、「怒り」にしてみればこれは心外なことでしょう)。
そんなんで、星一徹の話しに戻ります。
彼の堪忍袋には何が入っていたのでしょうか。
ウィキペディアによると、星一徹は戦前、野球選手としてプロ野球界に在籍していましたが、従軍中に肩を壊し、引退。日雇い労働者となりますが、アルコールに溺れる日々を過ごすようになります。さらに妻・春江の死を経て、息子・飛馬に対して猛烈な野球教育に傾倒するに至っています。
割と大変な人生です。
ちゃぶ台返しをしたときの一徹の「堪忍袋」の中には、自分の野球人生に挫折した苦しみや悔しさ、今の生活における屈辱感、妻を亡くした喪失感や悲しみ、息子を通してもう一度自分を輝かせたいという希望や失敗に対する怖れ、そしてもしかしたら、彼の戦闘経験の記憶からくる恐怖、などが全部一緒に入っていたのかもしれません。
でもそれらの感情に比べると「怒り」はさほど入っていないようです。
実は、殊更に男性にとって、傷ついた気持ちを認めることはとても難しいことなのです。ある人は傷ついた気持ちをアルコールで麻痺させて感じさせないようにしたり、またある人はそれを「怒り」として、他者に当たったり、ちゃぶ台に当たったりして表現します。でも、傷ついた気持ちを「怒り」として表現しても、癒えることはありません。むしろ、自分の行動が引き起こした結果:泣いている子どもたちであったり、ぐちゃぐちゃになっている部屋を見て、もっと傷つき、落ち込んだ気持ちになるのです。
このように、「怒り」はしばしば「傷つき」と混同されて感じられることがあります。彼にとっては大変苦しいことでしょう。
だからといって、ちゃぶ台をひっくり返してもいいよ、とはやっぱり言いません。
それにアルコールや薬物の摂取は、堪忍袋の容量を増やすように見せかけて、むしろ爆発を大きくしたり、すごく感じ悪くしたりしますので、それもやっぱりお勧めしません。
お勧めするのは、勇気をもって自分の気持ちを認めて、助けを求めることです。
それには「どえらい勇気」がいるってことも理解しています。
それでも、あえてその道をすすめるのは、そこにしか道はないからです。
●この記事は前回の記事の続きです☞【ちゃぶ台返し】と怒りと2歳児と
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ではまた!