こんにちは。
飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。
先日、精神分析の卒業の日を迎えました。
この1年というもの毎週毎週、分析の先生のクリニックに通っては好きなことをしゃべ散らかして(自由連想法、ともいいます)きました。
先生は話を聞き、ごくたまに、私には考えもつかなかったようなコメントをくれる時もありました。そういうやりとりを通して、私は1年前よりもずっと自分のことが理解できたような気がしています。仕事とはいえ、辛抱強く耳を傾けてくださった先生にはココロから頭が下がります。
最後のセッションでのことです。終了時間の間際、あとは私がお別れの挨拶をするというところで、先生がおっしゃいました。
「ところで、嫌なら断ってくれても構いませんが、今回論文を書くにあたって、症例としてナカヤマさんのお話しの一部を使ってもいいでしょうか」
先生が私を症例として使ってくださるなんて!
私はにっこりしました。とても光栄だと思ったのです。そして、いささかいきおいこんで「もちろんですとも。私がこのセッションで話したことはどんなことでも、ぜーんぶ使って下さったって構いません」と答えました。
すると先生は、慎み深く「いやいや、ほんの一部、ごく一部だけなんです」と微笑んで、こうつけ加えました。
「ほら、あなたがある朝起きたらたぬきがいて怖かった、と話されていたでしょう、あのエピソードです」
私は再びにっこりしました。
時間が来たので、先生にお別れの挨拶をしました。この日のために用意してきた羊羹の包みをお渡しし、丁寧にお辞儀をしてからお部屋を後にしました。
そして帰り道、歩きながら考えました。
たぬきがいてこわかった、なんて、ワタシ言ったかなぁ。
もう一人の私が冷静に言っています。
いやいやいや、言わないでしょ。
更に私は考えます。
たぬきがいるなんて、そんなことってある?
でも、先生の論文は先生の論文なのです。
そして、私のセラピーは私のセラピーなのでした。
たぬきがいてもいなくても、例えツチノコがいたって、私のセラピーは私にとって価値があったのでした。
そのことがわかっているのが嬉しくて、ちょっとだけ(公道にいるものですから)にっこりしました。
ではまた!