月: 2022年7月

トラウマ

私の声

こんにちは。

飯田橋にあるカウンセリング・オフィス、サードプレイスのナカヤマです。


今日はハルさんの話しをしようと思います。

ハルさんがDVの夫の元をやっとの思いで逃れ、実家にたどり着いた日のことです。


実家で迎えた母親はハルさんの顔にできたあざを見てショックを受けました。怒りをあらわにして「こんなことは間違っている」と言い、さらには「私が今から乗り込んでいって、ヤツに同じ目を合わせてやる」と飛び出していきそうになったので、ハルさんは慌てて母親を押しとどめ、怒りをなだめるのに必死になりました。

ようやく母親を落ち着かせたハルさんが向かったのは病院でした。事情を聞いた医師は「あまり考えないことです。考えすぎるのはよくないことですから」と言って、眠れる薬、不安を抑える薬を処方をしてくれました。

次に、薬を抱えたハルさんは心理学者のところを訪ねました。心理学者はハルさんの生育歴や既往歴などについて質問し、夫の両親にもDVがあったことを知ると、暴力の連鎖、について説明しました。

ハルさんは疲れた体といろんな知識で一杯になった頭を抱えながら家路につきました。


そして、歩きながらひとりごちました。


「誰も私の話を聞いてくれなかったな」


ハルさんのお話はこれでおしまいです。



実は、このお話はハルさんのココロの内部で起こっていたことでした。

怒りが収まらない親も、考えさせないようにする医者も、理屈で説明しようとする心理学者も、みんなハルさんの中にいる人たちなのでした。


当事者の心のケアは、出来事の最中に当事者自身が感じたことや考えたこと、何を体験したのかを理解し、寄り添うことが出発点になります。

でもしばしば、自分の声に耳を傾けるということは、とても難しく感じられるものです。怒りや恐れの感情、こんなことは世の中にはよくあることだ、みたいな評論家のような考えが、自分の本当の体験に向き合うことへの障壁となっているからです。



しかし、当事者である自分がどう感じてるのかわからないで、どうやって自分を助けられるというのでしょうか。

勇気を持って自分の声を聞いてほしいと思います。

そばにいる私も、その声に耳を傾けようと思います。

身じろぎもせず。




ではまた!

サードプレイス読書療法

スーパーエゴに守られし

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。



今日も寝癖を気にしながらモニターの前に座っていると、ノリコさんが「入室」してきました。

ノリコさんは華やかな(ガラガラヘビのような柄の)スカーフを巻いて、目の下ギリギリまでしっかりとマスクをつけています。


私がすぐに声をかけあぐねていると、ノリコさんはにっこりして「ああ、これいいでしょ」とスカーフをひょいと後ろにはねあげるようにして「ヴェルサーチよ」と言いました(正確には、ブルーノ・マースのように「ヴェッサッチ」と発音しました)。

私は大きくうなずいて、それからためらいがちに「そのマスクは・・・」と問うと、ノリコさんは「24時間つけているよ。飛行機に乗るまで、絶対に、ゼッタイに、コロナにかかりたくないから」と言いました。ノリコさんは約2年ぶりに日本に一時帰国することになったのです。




「帰国前にどうしても話したかったの」と、ノリコさんは続けます。そして「変な夢をみるんよ」「それも繰り返し繰り返し」「思えばここ数年そういう夢が続いているんよ」「そんで、インターネットで調べました」「そしたら、いろんな答えがいっぱい出てきて訳がわからんくなったの」と矢継ぎ早に話しました。


「どんな夢をご覧になるんですか」と私は尋ねました。


ノリコさんは「グーグルで夢占いを調べたんよ」と眉間にシワを寄せ、深刻な面持ちで続けます。

「トイレ、汚れている、夢、意味、みたく」「そしたら、あんたの中にコンプレックスがあります、みたいに出てきたり、あんたの中に性的なトラウマがある可能性があります、って出てきたり、ストレスを抱えていたり、不満がたまっているはずですって書いてあったりしたの」「これは問題じゃろ?」

ノリコさんは話しながらもどんどんモニターに近づいてくるので、今や全画面がノリコさんの顔に占拠されたようになっています。

私も「確かにその通りだったら問題みたいに思えます」とうなずいて、ノリコさんの見ている夢とは具体的にどんなものなのか再び訊いてみました。


ノリコさんは自分の典型的な夢について話はじめました。

「夢の中で私はとにかくトイレを探してるんよ。安心して用を足せるところを探しまくっているんだけど、あるトイレは鍵が壊れていて用を足そうとするとぱーってドアが開いちゃったり、なぜか透明で外から丸見えだったり、もっとひどいのはトレインスポッティングに出てくるあのトイレがあるじゃろ。スコットランドで一番汚いトイレ!みたいな、あのレベルで汚いトイレだったりするのよ。すごく胸糞が悪くなるような夢なの」「………クソだけに」とノリコさんは付け足して、ウケケケと面白そうに笑いました。どうしても我慢できなかったようです。

そしてノリコさんはさらに調べました。

「夢はその人がもつ欲求とか願望が映し出されるみたいじゃないの、フロイトによれば。でもその欲求をそのまま出したらまずいことがあるから、超自我ってヤツとかがその夢を検閲してデフォルメしたりするんじゃろ。無意識の欲求を超自我が加工すると夢になるんじゃ」



にわかフロイディアン(フロイト主義)になったノリコさんの話に私は耳を傾けました。実際のところ、私はフロイトの夢分析に関しては素人同然なのです。

感心しながらノリコさんに「すごいですね。なにを参考にされたのですか」と聞くと、ノリコさんは「筒井康隆だよ、SF作家の」とこともなげに答えました。「あのじーさんは筆折ってみたり、復活してみたり、なにかとお騒がせ野郎かもしれないけど、あの本は参考になったよ。今や髭を生やして和服なんか着て・・・」と現代の文豪ともいえる人物を評して尚もとどまりそうになかったたので、私はハラハラしながら、それでもさっきから気になっていたことをノリコさんに聞いてみることにしました。

「ところで、そういう夢をみて起きた後ははどうなるのですか」


ノリコさんは「そりゃ起きてすぐに用を足したよ」と当たり前のように答えました。

私はふと思いついて「ノリコさん、スコットランドで一番汚いトイレの夢を見てなかったらどうなったのでしょうか」と聞くと、ノリコさんは「そりゃー、先生、そのまま安らかにベッドの中で・・・・」と言いかけて、ハッとした表情になり「ああ、あの夢は私を、救ってくれたのですね?」と突然敬語めいた言葉使いになりました。

そしてノリコさんはすこぶる真面目な顔になって話しはじめました「あの夢がなかったら、私、寝床の中でやすらかーに用を足してたもの。そんで、途中で気がついて、ああ、こんな歳になっておねしょをするとは、大人としていかがなものか、いや、待て、これはいよいよ本格的にばーさんになって、下の方がゆるんだってことなのか、とうとうそういう時がきたのかと、すごーく落ち込んで老人性うつになるかもしんない。そうなったら日本に帰れんくなるじゃないの」。



「ではその超自我ってヤツがノリコさんをそういった問題から救ってくれたんですね」と私が問うと、ノリコさんはしみじみと「私の中の超自我が私のプライドを全力で守ろうとしていたんだね。なんだか自分の内なる力みたいなのに自信が湧いたような気持ちだよ」と言いました。

まさに今、スーパーエゴ(超自我)に守られし(と信じている)ノリコさんはさらに輝いて見えました。


これでなんだか無事にノリコさんはこっちに帰ってくることができそうです。

次回はどんな話しをしてくれるのでしょうか、楽しみな夏になりました。


では、また!