不明 のアバター

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東京千代田区飯田橋にあるカウンセリングルーム、サードプレイスのブログです。

PE心理療法

【いつ心理療法を受けるのか】自分で決めることができる

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマです。

 

例えばですが、親知らずが痛くなって抜いた経験はありますか?

親知らずが痛くなって抜く(治療する)までの流れはこんな感じです。

ある日、奥歯のさらに奥の方にうずくような痛みを感じはじめます。昼間なんかは気が紛れて忘れられることもあるのですが、夜ベットに入る段になるとずきずきとしはじめます。歯茎の部分に腫れも出てきました。

意を決して歯医者さんに行って、レントゲンを撮ってもらい、口の中を診察してもらいます。もうその時には痛みで涙目になっている中、先生は「はーはー、これは親知らずですね。横に生えてきて隣の奥歯を押しているのです。それに歯の間から細菌が入ってきて化膿して腫れているんですよ」と教えてくれました。

先生はさらに、こうなったら親知らずは抜くしかない、それも歯が横に生えているので歯茎を切開して、歯を4つくらいに割って取り出して、縫合する必要があると説明してくれました。

なんだか大がかりな治療です。

でも、すっかり痛みで意気消沈している患者の立場としては、「先生、この際、きれいさっぱりやっちまってください」と腹をくくるのですが、先生は「こんなに化膿してたらきちんと治療できないから、まず化膿止めのお薬を出しましょう、1週間たって腫れがひいたら手術しましょうね」とおっしゃいます。

かくして化膿止めを飲んで、一週間、すっかり腫れもおさまり痛みが引いた今となっては、もはやきれいさっぱりやっちまう気持ちにはなかなかなれません。

ここからは患者として歩む道がざっくりわけて二つあります。

ここでやめてもまた痛むだろうからこの際ハラをくくって治療する道。

または、何となく歯医者さんから遠のいて、だましだまし生活しつつ、また痛くなったら、舞い戻ってくる道。

どのみち治療のタイミングは患者さんが決めるものです。そして歯医者さんも(キャラによって違うかもしれませんが)、それにしたがって最善の効果が上がるように努力します。

PEなどのトラウマ焦点化心理療法をはじめようとするときも、同様です。

PTSDなどの症状が苦痛に感じられるときはすぐにでも治療をうけて楽になりたいと思うものです。特に思い出したくないのに勝手に出来事が思い出されるようなフラッシュバックがあったり、毎日のように悪夢をみたりして、その時に戻ってしまったような感覚に陥っている時はしんどくてなりません。

でもそのしんどい症状を薬物療法で緩和したり、日常生活の中で刺激に触れないように気を付けて生活しているうちに、心理療法でトラウマ的な出来事についてわざわざ話すことや考えることをしたくなくなる心境になる、ということはよくあることです。

決して心理療法は無理強いされるものではないし、それを受けないからといってセラピストが嫌な気持ちになることは決してありません。

トラウマからの回復には、心理療法という枠が大変助けになるものの、でもなによりも自分で回復しようという主体性のようなものが必要だからです。

少なくとも親知らずの治療よりは主体性が求められます。

 

PEという心理療法がなくなることはありません。

ですから、自分のタイミングで相談に来てくだされば、と思います。

相談に来て下さったら、それはとてもうれしいことです。

 

ではまた。

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サードプレイス心理療法

【カウンセリング入門】話すことは手段にもなります

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマです。

 

「心理のカウンセリングは話すこと自体が目的です」と高らかに宣言した舌の根の乾かぬ内にこんなこというのもなんですが、カウンセリングでは大抵、話すことを通じて向かっている方向性や目標があるものです。

 

初回面接とかインテーク面接とか呼ばれるものは、はじめてセラピーに訪れた人とセラピストが行うセッションですが、その中で、セラピストはその人の悩みなどを聞き、その人に関わる周辺情報を聴取する間に、その頭の中にはその人が今抱えている課題とかこれからの方向性(これが目標ですね)がざっくりと浮かんできます。

セラピストが理解したものと、方向性を患者さんに示して、患者さんもそれに同意(というよりも程度の差はあれ「腑に落ちた感じ」が必要です)すれば治療のはじまりとなります。

そんな小一時間程度で人間がざっくりとでもわかるはずがない、と感じるかもしれませんが、人間の悩みは驚くほどパターン化されている部分があって、セラピーを通じてたくさんの人に会っているとそのパターンを見つけ出しやすくなるものです。

精神科の診断名がそのパターンになる時があります。

発達障害やうつ、PTSD、双極性障害、強迫性障害、摂食障害とかをパターンとして考えてみてください。

また、ライフサイクルに伴う課題や葛藤などの心理学的なアプローチが理解を助けてくれることも多いです。例えば中年の危機とか母との葛藤とかそういうものです。

さらに、社会的環境の変化に伴うパターンもあります。育児の困難とか介護問題なんかはそれにはいるでしょう。

実際はこれらのパターンは複合的に絡み合っているものですが、そこからざっくりとした見立てとそれに対する対処が見えてきます。

 

そんな方向性を患者さんと共有したあとに、さぁ、いよいよはじめよう、となるのですが、よっぽどの事情の時を除いて、問題に対処するための●●心理療法にすぐに入っていくことはありません。

まずはセラピストと安心して話せることや、自分の感情や考えを言語化する練習から入っていくわけです。

ここで大事なのは、「しっかりと自分の話ができた」という感覚が安心感と認知機能の増大(頭が回ってくる、という意味です)をもたらします。

なので、しっかり話しができた段階でずいぶんと症状消失とか悩みが解決している人もいますが、それでも人の悩みは深いもので、それから問題に焦点をあてた●●心理療法を行う段階に入る方も多々あります。

そして、この時点で患者さんとセラピストはしっかり共通の目標に向かっていて、お話するということはすでに目的ではなく、手段となっているのです

 

時折、「心理のカウンセリングにちょっと通ってみたけど、カウンセラーは聞いてくれるだけでなんにも言ってくれないので疲れて(または効果がないって思って)行かなくなりました」

という話を聞きます。

なぜこういうことが起こるのでしょう。

先ほどの話からすると、セラピストはしっかり話すということを通じて改善を促している最中だったのかもしれません。

もしくは、セラピストは見立て自体がわかっていなくて、とりあえずお話を聞いて、患者さんが自発的に改善してくれないかなーと神に願っている最中だったのかもしれません。

 

どちらにしても、そういう不満だったり、違和感だったりするのをセッションの中で話してもらうのは大切なことです。セラピストは(というより私は)、パターンがあるものに対しては割合と知っているものですが、今ここで患者さんが感じているその人固有の感じ方や考え方に対しては(これまた驚くほどに)疎いことがあります。

ネガティブなことであってもそれを言葉で伝えてくださると助かります。

言葉で伝えてくれるとセラピストも改善することができるのです。

 

ではまた。

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サードプレイストラウマ

【トラウマは伝染する】本当かな?

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマです。

 

代理受傷という概念があります。

また二次的外傷性ストレス、とか、共感疲労からの燃え尽き症候群という概念もあります。

平たくいうと、凄惨なトラウマの話をずっと聞いていることで、支援者もその影響を受けて、うつっぽくなったり、PTSDっぽくなったり、感情が麻痺したりして仕事が続けられなくなる状況のことを指しています。

こういう言葉を知識として、または直感的にクライアントさんたちはよく知っていて、時折私のことを労わってくれたり、心配してくれたりします。

 

でもそんなに心配しなくても大丈夫なのです。

もちろん代理受傷などの概念は、正しいところはあるし、有用なところもあります。

支援者(医師やソーシャルワーカー、看護師、心理士など)が被害者が語るトラウマの話を聞いて動揺するのは、専門家であっても至極当然で、助けを求めてもいいことやセルフケアが大切であることをきちんと説明してくれたので、堂々と私たちは助けてって言えるし、マッサージに行くこともできるようになりました。

 

私がはじめて心理士としてトラウマの支援にかかわったのは15年以上前のことでした。ある海辺の町の女性センターに通ってDVの被害を受けた女性を対象にカウンセリングを行っていました。

当時から私は女性たちに感情的な思い入れがあり、どの女性に対してもポジティブな気持ちが持てましたし、何人かの女性には尊敬の気持ちをも抱いていました。

それでもそのうちに、だんだんと自分がしょげたような気がしてきました。帰り道にはしばしば身体の重さを感じて足取りが重くなりましたし、さまざまなDV夫の(それもいろんなバージョンの)卑劣ともいえる話しを聞くうちに、自分の周りの男性に対して、なんだか不信感のようなものを感じるようになりました。

そういう自分に気が付いたとき、私は自分にできるいろんなことを意識してやってみました。

身体を休める方法を工夫したり(その時に人生で多分はじめてのマッサージに行った記憶があります)、今まで関わってきた、心優しい善良な男性たちのことを思い浮かべたりして、考えのバランスを取ってみたました。

また職場で一緒に働いている人たちと事例について話し合ったり、または全く関係ないおしゃべりをして自分の中の「風通し」がよくなるようにように調整しました。

でも、なによりも大きな変化は、ちょっと思いもよらないところからやってきたのです。

元来インドア派で、冬は寒くてキライ、夏も暑いし虫もいるからキライといっては、家でダラダラしているのが好きだった私が、帰り道の海で、その色合いと波の形が刻々と変わっていく様にみとれ、頬といわず全身をなぶってくる重みのある風と、規則的に打ち寄せる波の音や潮の匂いに心の底からほっとしていたのです。

遅ればせながらここにきて、自然に対してこれまでにない親密感を感じ、海と身体的、感情的につながるという感覚で癒されるという体験ができたのです。

その時に私が感じたのは、私という人間は確かに、女性たちの凄惨ともいえる話をたくさん聞いてしょげていたけれど、いい方向にも変化しているなっていうことです。その変化は、しょげてた分を補って余りあるほど人生にとって本質的な変化でした。

 

今でも患者さんの話を聞いてしょげることはあるのです。でもそれにどう対応すればいいのかわかっているし、変化していく私がいます。

トラウマの話を聞いて、具合が悪くなることなんて最終的にはありません。

安心してなんでも話してほしいし、心から大切に聞きたいと思っています。

 

ではまた。

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トラウマ

【回復の段階】トラウマからの回復のための具体的な方法について

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマです。

 

季節が春から初夏に変わり、その装いも変化しています。

自然がみせる時の流れとは違って、トラウマは決してその姿を変えることがありません。それは、ひっかかり、棘、または傷となって私たちの心の中に同じようにありつづけます。

でも、そこから回復したいと思うとき、知っておくとそこに寄り添って安心できるような考え方があります。

ハーマンの「回復の段階」です。

 

ハーマンはその著書の『心的外傷と回復』の中で「トラウマの中核は無力化と孤立化だ」と言いました。

また「トラウマは伝染する」とも言っています。

このようにハーマンはトラウマの本質についてめっぽう的を射た表現をしてくる人なのです。

 

ハーマンのいうトラウマからの「回復の段階」は事故や災害などのシングル・トラウマのみではなくて、子ども時代の虐待やDV、戦争などのコンプレックス・トラウマをも想定しているものと考えてよいと思います。

子ども時代のトラウマを体験した人はしばしば、トラウマからの「回復」といわれても回復すべき健康だった時代がない、と嘆きます。すなわち、生まれてこの方、人間としてまっとうに扱われずに、自分らしくのびのびと人生を生きるという感覚を今まで一度も得ることができなかったのに、どこを目指して「回復」すればいいのか、という問題です。

ハーマンの「回復の段階」は元の人生、元の自分に戻ることを目指したものではありません。私たちがトラウマを乗り越え、ごく普通に生きていくために必要なことを提示してあるのです。著書の原題の”Recovery”という言葉からは、「回復を取り戻す(つかみ取る)」みたいな、もっと主体的なニュアンスが感じられます。もしかしたらそれは成長、と呼んだほうが適切なのかもしれません。

 

回復の段階は3つのパートに分けられていて、その最初の段階で目指すテーマは「安全」です。

この段階では、実際やることがたくさんあります。

自分の身体を休ませて気力や体力の充実をはかることや、他者、たとえば医療機関や地域の福祉センターに助けを求めたりすることで、現在の生活をより落ち着かせ、安定させることが必要です。トラウマ的な環境にいる人は主治医やソーシャルワーカーとともに、そこで身を守る防御計画やそこから出る計画を立てはじめます。薬物療法も助けになるかもしれません。

 

次の段階で向き合うものが「トラウマ記憶」です。

ここは、トラウマ焦点化心理療法がその役目を果たせる段階です。特別な心理療法でなくても、トラウマの体験について話したり考えたりする作業が、トラウマ記憶をきちんと整理して「消化」するためには必要です。

 

三番目の段階で主に扱うのが「人との新たな関係」です。

トラウマから生じた人への不信感や人と関わるときの不安感や恐怖感は、人間関係の中で自分をオープンにしたり、リラックスさせることを邪魔しています。その結果、人の間にいて、孤独感を持つことがあるでしょう。人との新たな関係性を構築するために、アサーショントレーニングや、STAIRの実践が役に立てるでしょう。

 

臨床の中ではこのハーマンの「回復の段階」という考え方は地図のような役目を果たしています。クライアントとセラピストがともにこの地図をもって進んでいくというイメージをしてみてください。そして、大切なのは、回復はこれらの段階が階段状に積みあがっていくものではなくて、らせん状にぐるぐると徐々に上へいく、ということです。

目の前のことをひとつづつこなしながら、一歩一歩あるいていくといつのまにかずいぶんと高いところまで登っているものです。

それを知っていれば、決して回復を焦る必要はありません。

 

 

ではまた。

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読書療法

『母よ嘆くことなかれ』子どもの愛が描写されています

 

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマです。

「母の愛」ってものは、世間一般に広く普及している共通概念です。

海よりも深い母の愛、無償の愛、母なる大地、おふくろの味、岸壁の母、着てはもらえぬセーターを涙こらえて編む、といった表現でさまざまな角度から母の愛は語られ、歌われてきました。

一方で、子どもの愛は「親しげで可愛い」という認識はあっても、その大きさ、深さについて充分知られているとはいえません。

でも、心理のセッションの中では、本当にたくさんの子ども時代について語られています。

その中で子どもたちが(今は大人として私の目の前にいるのですが)、どんなにか純粋かつ無償の愛で母という人を見ていたか、ということを何度も目の当たりにするのです。そしてそれがどのように裏切られてきたかも。

私が実感するのは、子どもがもつ愛の無垢な力です。

残念ながら、その大きな愛に応えられる母は一人としていなかったし、これからも多分いないのでしょう。それはしょうがないことでもあるのです。

パールバックは『大地』という小説でピューリッツアー賞を取り、その後の2作の続編を合わせた全3部作はノーベル文学賞に輝きました。

その中であえて、この本をお勧めしたいのは、そこには子どもがもつ涙ぐましいまでの愛について描写されているからです。

子どもが手に汗をかいて鉛筆を握っていることに母親(パールバック)が気が付いたシーンは涙なしには読めませんでした。

この本を読んでから20年以上経ちましたが、今でも患者さんが子どもの愛について語るときにそのシーンを思い出します。

そしてそのたびに頭を下げたいような、泣きたいような気持になるのです。

 

ではまた。

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