不明 のアバター

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東京千代田区飯田橋にあるカウンセリングルーム、サードプレイスのブログです。

対人関係

【人を動かす】といっても、カーネギーとはずいぶんと趣が異なる

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマです。

 

生きていく上で私たちは相手に対して能動的に関わりを持つ必要がある状況に遭遇します。

平たくいうと、相手が自分の思うように動いてほしい時があるってことです。

 

新聞の悩み相談コーナーなんかだと、相手が自分のいうことを聞いてくれない場合、多くは自分自身が寛容になることを説かれるます。つまり「相手が自分の思い通りに動いてくれるなんてオオマチガイだ」「相手の意思を尊重しなさい」ということです。

 

でも、「子どもがいうことを聞いてくれない」「部下がいうことを聞いてくれない」という愚痴をいうとき、その言葉の底には無力感めいた気持ちがあります。日常生活の中で無力感を持ちつづけることは心の健康にいいとはいえません。

そこで、ここでは相手に働きかける方法の一つをお伝えしていきたいと思います。

人に働きかけてそれが動くとき、私たちは自己効力感というものを感じることが出来るからです。それは心の健康のためにもなるのです。

 

さて、ここで私たちの先生となる人は優秀なドックトレーナーです(画像はイルカトレーナーですが、気にしないでください)。

先生は驚くほど自然に犬にいうことを聞かせ、犬もそれに従うことに喜びを感じているようです(尻尾を振って、目をキラキラさせているところからわかります)。先生の行動をよく観察すると、シンプルな指示、とそれがが遂行されたときのご褒美、がセットになっています。ご褒美は犬の大好きなスナックだけとは限りません。「よし」と声をかけたり、撫でてあげたり、クリック音をつかったり多様なものです。

応用行動学でも明らかにされているのは、適切に指示をだしてその指示が遂行されたときにきちんとした形で認めると、動物のその行動は増える、ということです。

 

さっそく、「指示とご褒美セット」を上手に使える練習をしてみましょう。

  1. 子どもが電車でうるさく騒いでいる時に「静かにしなさい!」と注意(指示)します。子どもたちが首尾よく静かになった時に「ちゃんということ聞けてエライね!」とご褒美(具体的にほめること)をあげます。
  2. (「また遅刻してきたな、何度注意したらわかるんだ」と部下を叱責する代わりに)「定刻通りに出社してください」と指示をして、定刻通りに出社してきたら「今日は早いね、お疲れさま」と労います。

どちらのケースも指示とご褒美で望ましい行動:電車で静かにしていたり、定刻に出社すること、は増えていくのです。

 

応用編ですが、この指示とご褒美のセットを何回か重ねるとより複雑な行動もうまくできるようになります。

例えば子どもに宿題を忘れずにやってもらいたいとき。

子どもが連絡帳を見たり、机に向かったり、教科書を広げたりすることから細かく指示を出し、できた行動に対してひとつづつ具体的にほめていきます。そのうち自発的に宿題をやるときが出てきたら、その行動をすかさずほめる、という具合です。

このように人を動かすときは、実際、こちらの根気や手間、創造力(褒め言葉のバリエーションが少ないと相手は飽きてしまうのです)が必要です。最初のうちは大変と感じるかもしれませんが、練習していくうちに上手になってくるでしょう。

 

自分の指示がその相手の性格や特性に合っているのか見極めるもの大事です。

いくら優秀なドックトレーナーの先生だって、牧羊犬にサーカスの芸を教えようとしないでしょうし、トイプードルに羊の番をさせたりはしないでしょう。

 

それが人を見る目ってものです。

ではまた!

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トラウマ心理療法

【トラウマ記憶】いわゆるエピソード記憶との違い

こんにちは。

飯田橋にあるカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマです。

フォア先生は「トラウマ記憶とは怖い映画のようなものだ」といいましたが、そういう風に考えるといろいろ合点がいくことはあります。

怖い映画をみた後に、思い出したくないのに思い出してしまったり、そのせいで怖くて夜眠れなかったり、そんな状況は容易に想像できると思います。

この、思い出したくないのに勝手に記憶が蘇ったり、気が張って眠りが浅くなるような現象は、それぞれ侵入症状、過覚醒症状と呼ばれ、PTSDの症状の一つです。

ただ臨床の場面では「怖い映画」、というだけでは十分に説明のつかない部分はあります。トラウマ記憶では、その記憶がバラバラになってストーリーという形を成していなかったり、穴があったりすることも少なくはありません。

つまり、ちゃんと(こういう言い方も変ですが)「怖い映画」にさえなっていないのです。

これを説明しているのが英国の心理学者のBrewinで、彼によると、トラウマ記憶は言語的に接近できる記憶として保持されているのではなく、意識されず、状況に応じて接近できるものだそうです(いきなり難しくなった感は否めませんが、ちょっと辛抱してしばらくおつきあい下さい)。

Brewinのいう言語的に接近できる記憶、とはなんでしょうか。

それは「小学生の夏休みにおじいちゃんの家に行った時のこと」とか「12歳の誕生日の悲しい思い出」とか「●●の思い出」として語れる記憶です。これをエピソード記憶と呼んでいます。エピソード記憶はいわば心の引き出しにしまっておける記憶です。そして自分が思い出したいときには出して、いい気持ちを味わったり、時には苦い思いを味わいます。

Brewinのいうトラウマ記憶はそれとは違い、2歳以前の子どもの頃の記憶に似て非言語的なイメージや身体的な感覚で保存されているものに似ています。この頃の記憶の在り方を小児期健忘と呼んでいます。文字通り忘れてしまうけど、なんらかの加減で嗅覚だったり、身体感覚だったり、感覚の一部がふと戻ってきたりするような記憶のようなものです。

トラウマ記憶はエピソード記憶ではなくて、小児期健忘の時の記憶に似ているのですね。身体的感覚で保存されていることや、状況に応じてしか(その状況はほとんど自分ではコントロール不可能です)思い出すことができないなど、いわば無意識の領域に近いのかもしれません。

このように取り出すのが難しいと思えるトラウマ記憶ですが、言葉にする作業の中で、時には驚くほど鮮明なイメージが現れることがあります。私たちが普段の生活の中では見落としているような、例えば、通りがかりの家の表札の名前だったり、公衆電話に刻印されたコードの並び、店頭に置かれた傘の色や柄、などが文字通り、生々しく蘇ります。

これらのいわば身体に刻み付けられた記憶を言葉として表現していくことは並大抵のことではありませんが、それができたとき、しばしば患者さんは「自分がこうして話せるとは思わなかった」と驚きを込めて話します。

往々にして言葉をもたないトラウマ記憶を、言語化していくこと自体が治療的に働いているののです。

そして、言葉の形でストーリーとして紡がれたトラウマ記憶はエピソード記憶となって、私たちを悩ますことはなく、ちゃんと心の引き出しにしまっておけるようになるのです。

ではまた!

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トラウマ読書療法

『メグさんの女の子・男の子からだBOOK』性の知識をきちんともつことで、性被害から身を守れるようになる

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマです。

 

性教育、という話題となると、さまざまな捉え方やそれに伴う感情があって、時にはそれが対立を生み、紛糾するようです。

先日、東京都のある区の授業で実施した性教育が「不適切」として東京都の教育委員会が指導にあたるとした記事がありました。それによると「性交」や「避妊」「人口妊娠中絶」という具体的な言葉を使った授業が「不適切」と判断されたとのことです。

それで思い出したのは、10年ほど前に参加したある学会の性教育をめぐるパネルディスカッションです。

様々な意見が出される中で、どこかの大学の先生が「性教育とは、先祖のお墓参りに行くことだ」と発言されていましたが(それを聞いて私は思わず椅子からずり落ちそうになったことを覚えています)、このようにこと性教育となると抽象的に語りたくなる人もいます。

性をめぐるさまざまな知識について、ある程度まで具体的に伝えたいのか、もしくは抽象的にとどめておきたいのか、その幅が極端に広いためか意見の集約が難しく、空中戦さながら光景になることもしばしばです。

 

その中にあって私の考えは明確です。

性については、ニュートラルな言葉を用いて具体的に説明すること。そして私たちが自分自身の身体について客観的な知識を持つことで、自分自身を大切にしたり、危険から身を守ることができると確信しています。

というのも、トラウマの治療と深い関わりがあるのです。

トラウマ体験からPTSDになる疾病率は実はトラウマの種類によって異なっています。例えば性犯罪などの性的な被害は自然災害の6倍からそれ以上の率でPTSDが慢性化する、ということはさまざまな研究によって明らかです。

どうしてこのような違いが起きるのか、それはPTSDが慢性化する一つの要因として回避、という症状があります。

例えば回避とは、「出来事に関連する場所に近寄らない」とか「出来事に関連する感情や考えを避けようとする」などがあり、「出来事のことを話さないようにする」ということはその一つでもあるのです。

実際、多くの性被害に遭った患者さんの治療に関わってきて感じることは、「話さない」のではなく「話せない」ということです。一つには患者さん自身が持つ性に対する恥の感情がそれを邪魔していることがあります。そしてもう一つは話すための語彙を実際に持ってないことです。

体験を話すためには、私たちは語彙や言葉が必要です。

性的な体験に関して話そうとするとき、圧倒的にそれが不足しているのです。

 

『メグさんの女の子・男の子からだBOOK 』を読むと、私たちは怖がったり、恥ずかしがったりすることなく、子どもたちに性の健康について教えることができます。大切なのは、メグさんが言っているように、性について教えることによって「科学」と「健康」と「安全」を伝えることができるということです。

メグさんは子どもに性に対する知識を与えることで、性被害にあいにくくし、もし被害にあったとしても、きちんと大人に伝えられることでその子を守れる、といっています。

大人の女性であっても同じです。

ニュートラルな言葉と知識があれば、性に関する話を恥の感情を伴うことなくきちんと立派に話せるし、それはトラウマからの回復も助けます。

 

墓参りになんぞ行っている暇はありません。

 

ではまた!

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うつストレスセルフケアトラウマ

【カイゼン】幸せの秘訣の一つをお伝えします

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマミチです。

 

日本の自動車メーカートヨタの生産方式は、今や世界中で知られ、研究されている「モノのつくり方」なようです。

その生産の効率化や品質向上の柱ともなっているのが「ムダ」を見つけ出すことで、これを徹底的にカイゼンしていくことが重要な取り組みの一つとされています。

このようなモノづくりにかかわる作業を高度に洗練し、磨きぬいてきた結果、トヨタのカイゼンの概念や方法論は自動車の生産にとどまらず、広く他の業種の効率化やサービスの向上に役立っています。

 

トヨタのカイゼンに代表されるような、問題点を洗い出してそれを直していく、という素朴な方法は実は、私たちが子どもの頃から慣れ親しんでいることでもあります。

私たちは、子どもの頃から学校や家庭では成績や生活態度について、改善すべきところについて指摘をうけ(もっと民主的な学校や家庭では「話し合い」の形がとられることもありますが)、それを次回の試験などへ生かしていくことで、ひいてはよりよい人生が送れるよう、日々薫陶を受けていたのではないでしょうか。

そのかいあってか、日常の生活の中でも私たちは「なにがいけなかったのかな」と考えて、「よし、次はこうしよう」と過去の反省を将来に反映させて、現状を少しづつ改善していくやり方が板についたものになっています。

このような日々の取り組みはとても大切なことです。それに私たちはなにか問題があっても、それに気が付き、うまく改善していくことが出来たらそこに喜びを感じることができます。

 

一方で、私たちがどうしようもなく落ち込んでいたり、ショックを受けているときはこのカイゼン方式が上手くいかないことがあります。

喪失や病気、トラウマなどの、私たちの力がなかなか及ばない困難に際したとき、過去の反省を将来に生かすという作業は大変に難しくなるし、時にはそれ自体がさらなる重荷になることも少なくありません。

このような時にこのカイゼン方式に拘泥して過去の反省を続けても(それはしばしば、自分を過剰に責めたてたり、繰り返し後悔するような形になるのですが)、改善できそうな側面が見つからず、むしろ自責感に圧倒されて、一層、将来への大きな不安や悲嘆に変わってしまいます。

すなわち私たちは過去への悔恨と将来への絶望感の中に囚われてしまうのです。

 

それでは、このような悪循環(今風にいうと「負のループ」と呼ぶようですね)から抜け出すにはどのような方法が考えられるでしょうか。

それが「ソリューション・フォーカスト・アプローチ」という考え方です。

考え方、というよりもこれも実践であり、練習です。

 

「ソリューション・フォーカスト・アプローチ」は、今足りていないところを見つけてそれを改善していく、という未来志向のやり方とは反対に、今、できているところを見つけて、過去のプロセスを再確認する、というやり方です。

例えば、うつを患いつつも、その日たまたま公園に散歩に出かけている自分に気が付いたとしましょう。

その時に「どうしてこれができているのかなぁ」とあたらめてふりかえって考えてみます。そうすると、自然をめでる心を教えてくれた亡き祖父の存在が思い出されます。子どもの頃に家族で散歩した安らかな思い出があるかもしれません。そして今、足や身体を十分に動かせる自分にも気が付きます。

これらの気づきを当たり前、とせずに充分にありがたいことと再確認してみてください。

このような実践の日々の積み重ねで、自分の中にエネルギーが少しづつ溜まってくることがわかるでしょう。そうすると嬉しい気持ちになるし、それは次の回復へのステップへの原動力となります。

大切なのは毎日繰り返し練習してみることです。

私たちが子どものころから「カイゼン式」を何度も実践して身に付けたように、「ソリューション・フォーカスト・アプローチ」も練習すると自然なふるまいとして上達します。

 

 

実はこの方法は人生における、幸せの秘訣と呼ばれるものの一つなのですよ。

ではまた!

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PE心理療法

【フォア先生】トラウマストーリーを何度も話すことについて、有無を言わせない切り口

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマです。

私は2012年のクリスマス前、ペンシルバニア大学のCTSA(Center for the Treatment and Study for Anxiety)というところで約3週間、PE(持続エクスポージャー療法)というトラウマ焦点化した心理療法について学んでいました。

CTSAにはエドナ・フォア先生というPEを開発したエライ先生がいるのです。

どれくらいエライかというと、CTSAはもちろんアメリカにある施設なので、そこに勤めるサイコロジストたちは(アメリカ風に)フレンドリーな感じで「サンディー」や「ディビット」とお互いをファーストネームで呼び合っている中、フォア先生だけは「ドクターフォア」と呼ばれているくらいの、別格な扱いなくらいエライのです。

フォア先生は見た目もなんというか、インパクトがあります。GAPなんかでは絶対売っていないような、ビビッドなカラーのレースの装飾のついた、ツヤのある黒のふんわりしたロングドレスを着ています。

そうしてダイエットのためと称してトマトの地中海風サラダなんかを食べながら講義したりしています。

大体講義をするといっても本当に重要なポイントだけなのですが、フォア先生が教室に入ってきて、口を開くと、先生の周りに引力が集まるような感じになるのです。それに、フォア先生はイスラエル出身なので、その独特な訛りのある英語でゆっくりと話す様子もなんだか特別な雰囲気です。

PEではトラウマの話を何度も話す、という治療手順があります。

この治療手順が患者さんの力を引き出す本当に大きな効果があるのですが、一方では何度もトラウマの話をさせるのはかわいそうじゃないか、という意見も多くあります。

この日はこのトラウマの話を何度も話す、という(物議をかもしがちな)治療手順についてフォア先生の講義がありました。

フォア先生はいつものように黒が基調の、ところどころがタマムシ色に光っているボリュームのあるロングドレスを着て現れました。

そして、おもむろに口を開くと、「トラウマ記憶とは頭の中にある怖い映画のようなものだ」と厳かにおっしゃいました。

フォア先生は言います。「では、お前たちに聞くが、怖い映画をみるとどんな気持ちになるかい?」

参加者は答えます。「怖い気持ちになります」

フォア先生「そうだね。では、その怖い映画を100回みるとどんな気持ちになるかい?」

参加者「・・・・慣れます」

フォア先生「そう、慣れて、退屈にさえなるかもしれないね」

この短いやりとりだけで参加者一同は、納得、の雰囲気に包まれました。フォア先生にかかると、トラウマを何回も話すことに関わる例の物議が一瞬で終わってしまったのです。

実際のPEでは100回も話したりはしませんし、もちろんやみくもに話させるということもしません。

でもトラウマ記憶は怖い映画と似ているって知っていると少しは役に立つかなと思いました。

 

 

ではまた!

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