こんにちは。
飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマミチです。
私はPE(持続エクスポージャー療法)のセラピストですが、他のトラウマ焦点化心理療法である、CPT(認知処理療法)やEMDR(眼球運動による脱感作、および再処理法)、TF-CBT(トラウマフォーカスト認知行動療法)も等しく効果があると考えています。
ひとつにはそれらの心理療法の効果研究の結果によるものですが、もう一つには実際にそれらのワークショップ(その理論や方法を学ぶ正式な研修会)などに行って学んだときの個人的な感情的経験によるものが大きな割合を占めていると感じます。
はじめてトラウマ焦点化心理療法を学んだのは、10年以上前のこと、EMDRのワークショップでした。
当時日本ではCPTやTF-CBTは導入前でしたし、PEは導入直後くらい、まだ敷居が高かったので、比較的日本でも普及が進み、研修制度も整備されていたEMDRの世界にオジャマさせていただきました。
私と、当時の職場の先輩心理士や精神科医、そして大御所精神科医である上司がそろっての参加です。
休憩時間に職場の誰かが買ってきたチーズケーキなどを頂いたことを覚えています。
そんな和やかな雰囲気ではあったのですが、ワークショップでは治療の理論はもとより、参加者が患者役と治療者役となって実際のセッションのロールプレイの練習をするとあって、会場は真剣な空気にも包まれていました。
参加者はそれぞれ1グループ8名ぐらいのグループいくつかに分かれて、その中でまたペアを組んだ相手とロールプレイをするのです。
患者役になった人は練習用に自分の実際のトラウマを用意し、それを治療者役の人がマニュアルの手順に従って「治療」を行います。
その時に患者役が用意するトラウマは比較的小さいもの、例えばトラウマの強度を表す最大10の物差しがあったとしたら、2か3程度のものを選んでください、と事前に講師から指示を出されています。未解決の大きなトラウマなどを出してもワークショップのロールプレイではとても解決しきれないからです。
私がその時に選んだのは「小学4年生の時に宿題を忘れて担任の先生に無言でニラまれた」というプチトラウマでした。
EMDRの治療の手順は、すごくざっくりいうと、患者は治療者が左右に振る指先を交互に見つめながらトラウマのその時のイメージに留まる、ということを繰り返し行います(トラウマ的認知の同定やその程度についての話し合いやら、その前にも大切な治療過程があり、実際は指を左右に振る有名な過程は本当にごく一部なのですが、そこは割愛します)。
かくして私は治療者役が左右に振る指を交互に眺めながら、「小学4年生の時に宿題を忘れて担任の先生に無言にニラまれた」そのシーンのイメージと、その時の叱られたときに感じるような不快な感情に留まっていました。
そうすると不思議なことにそのシーンとは別の、でもどこかでつながっているであろう不快なイメージがふと頭の中に浮かびそうになりました。
あ、ちょっと嫌な予感がするな、という考えとも感覚ともつかない感じです。
隣のグループでは上司が患者役か治療者役か判然とはしませんが、ロールプレイをやっているのが見えます。
上司の足元にはティッシュの箱が置かれ、よく見ると会場のここかしこにティッシュの箱があります。
ロールプレイの最中に泣いてしまう人がいるんだろうな。
と考えた瞬間に私の目から涙が流れ出しました。
トラウマが思ったより深かったのでしょうか。歯医者さんで虫歯を実際開けてみると「思ったより深いとこまでいってますね」といわれるアレでしょうか。
そう考えて落ち着こうとしても涙が流れ落ちてきます。
涙を流して考える一方で私は猛烈に焦りはじめました。私がワークショップで泣くような不安定な人間だってことが上司にバレたらクビになってしまう、という考えが頭によぎったのです。
仕事を得ることはとても難しいことです。この仕事を失ったら(当時から割といい年であった)私にはなかなかすぐに次、というわけにはいきません。
私はこの時、自分の目を左右に揺らしながら、自分の人生をかけてこのプチ(と思ったけど違ったらしい)トラウマと取り組まないといけないとどこかで決意しました。
というより、ありていにいって、私が泣いていることを上司に気づかれないように、なんとか何事もなかった体に着地するすべを探していたのです。
EMDRのワークショップの中での私の苦闘(?)はここまでの時間にすればものの5分ほどだったと思われますが・・・。
●つづき☞【EMDR 個人的な体験、それから】個人的な体験からの普遍的な知識
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