不明 のアバター

All posts by 飯田橋 サードプレイス

東京千代田区飯田橋にあるカウンセリングルーム、サードプレイスのブログです。

サードプレイス読書療法感情調整

【批判的読書術】

こんにちは。

飯田橋にあるこぢんまりとしたカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

夏になり、海を越えてノリコさんがやってきました。

ノリコさんは絵を描いたり、粘土で造形をしたりするのが得意で、いってみればそれを生業にしている人ですが、本を読むのも好きだそうです。

ノリコさん曰く、「この年になると、名作っていわれるものは読んでおかなきゃって思ったんだよね」。ノリコさんは60代、もの思う年なのです。「そんで『老人と海』を読みはじめたんだけど、ギブアップしたわ。だって、じいさんがずっと釣れるかな、どうかなって、それを100回くらい繰り返してて、なかなかお魚が釣れないんだもの、飽きたよ」

じいさんって・・・・と思いましたが、ノリコさんは老人と海についてはサッサと切り上げて、話しは次に移ります。

「そんで、やっぱ日本文学を読むべきだろうって思い直して『雪国』を読みはじめてみたの」「そしたら、最初からイヤーな予感がしたわけよ」

私は『雪国』の冒頭の部分は、嫌な予感どころか、名作中の名作と言われる書き出しではないかとノリコさんに問うてみました。

「名作とかは関係ないよ」とさっき名作云々言ってたくせに、ノリコさんは言下に断じました。「小太りな中年男が出てきて、窓越しに葉子をじとーっと眺めたり、自分の人差し指をクンクン嗅いで駒子のことを思い出すシーンがあるじゃろ」

そんなシーン確かにあったような、でもノリコさんの言う通りの描写ではなかったような気もします。

「あの辺りのクダリから、若い女性をモノ化しているように感じて、ほら、そういうグループ、日本にはあるじゃろ。女の子たちを集めてグループで歌わせている、小太りな中年男、アレに見えたのよ。あの、アキモ・・・・」

音楽プロデューサーの方、ですかね。

危険を察知して食い気味に言った私の言葉が気に入らないのか、ノリコさんは胡散臭げに視線を向けてきました。

「まあ、そうよ。金とパワーを持つ男が、駒子みたいな若さ故に物を知らない女の子の気持ちをマニュピレート(操作)するのを読んでいるとイラっとするし、とにかく恋愛とか人間関係ていうのものは、もっと対等であって、お互いを人として尊重するものであってほしいと思ったわけ」

ノリコさんは一気にそこまで話すと、今度はにっこりして言いました。

「そんで、私は主人公のアキモトを、自分の頭の中で全盛期のトヨエツの姿形に変換して読み進めることにしました」

ノリコさんが機嫌よく話しはじめたので、私は先ほどのポリティカルコレクトネス的な努力をフイにされたことや、トヨエツ(それも全盛期の)に変換って一体何なんだっていう疑問は一旦脇に置いておいて、耳を傾けることにしました。

「全盛期のトヨエツが主人公だったら駒子の見境のなさにも共感できるじゃろ。ストーリー中のちょっとした描写も繊細でねぇ」

あの作品の情景描写は定評がありますからねぇ。

 

「そんで調子よく読み進めてたら、最後の最後に主人公が小太りっちゅー描写が入ってくるじゃないの、小太りって!私のトヨエツが崩壊した瞬間だったね」

ノリコさんにかかると『雪国』は手に汗を握るジェットコースター的小説となるようです。

 

「あの川端っていう男は到底許せないよ。こちらを油断させておいて、最後はやっぱり女が被害者になるっていう筋立てなんだ。そんなのをキレイに描いたのが日本文学なんだ」

今やノリコさんは下を向いて息を詰めている様子です。心の奥にある自分自身の傷跡にじっと触れているかのノリコさんの様子をみて私もそっと居ずまいを正しました。

 

でもノリコさんはすぐに目をあげて「腹は立つけど、奴にだって自分のファンタジーを書きつけたいって権利はあるわけだし、それに」と言って、息をふっと吐くと「日本は温泉がいいよね」といささかだしぬけに言いました。見ると、今やノリコさんの眉間にはいいスペースが広がっています。

「なんかしらいいとこもあるってことですよね」と私もニッコリして応じました。

「そうそう。私のハイエンド(高級)な靴を安心して下駄箱に預けられるもんね。あっち(ノリコさんは南仏在住なのです)だったら2秒で盗まれるわ」

ノリコさんはそういって笑うと「んじゃ、また来年」と言い、そして私はバレンシアガのスニーカーをはいたノリコさんがスーパー銭湯へ向かうのを見送りました。

 

それにしても今回、川端康成も例の音楽プロデューサーもえらい言われようでした。

でも、どうやら日本が海の底に沈められるのは免れたようです。

 

あぶないとこでした。

 

●ノリコさん登場☞【感情調整】クリエイティブな気持ちの収め方

●子ども時代のトラウマのコア:感情調整☞【STAIR】感情調整からの、対人関係

ではまた!

サードプレイス

ストレス感情調整

【性欲】!【性欲】??

こんにちは。

飯田橋にあるこぢんまりとしたカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

ストレスを感じたときの具体的な対処の方法は様々です。お風呂に入って歌を歌ったり、皇居の周りを軽くジョギングしたり、気のおけない友だちとおしゃべりしたり、サウナに入って「ととのって」みたりします。

ストレスを受けるともやもやした不快な気持ちになりますが、不快な気持ちがあっても心地のいい活動をすることでそれをうまく調整できる力が人には本来的に備わっています。それに、ストレス対処の仕方は新しく学んで増やしていくことができるものです。

 

お風呂に入って歌ったりするのは、比較的無害なストレス対処法です。一方で、深酒をしてバーの床に寝転がったり、隠れて薬を打ったり、自分の腕を切りつけたりするのも、自分の中にある苦痛な感情をなだめるために必要な、いわば松葉杖のようなものなので、これらも「悪い行為」ではありませんが、「長期的にみるとデメリットが大きい行為」であるので、だれかに助けを求めてもらいたいと願っています。

 

そんな中、ストレスが昂じると性欲も高まるので、とにかく沢山の人と性的な関係を持ちたいという人もいます。

性欲、というとなんだかもう「本能的」に聞こえるので、それに抗えない、いやむしろ抗ってはいけないような気持ちというか、ほとんど開き直りに近い気持ちになったりするものですが、不特定多数の人や危険の伴うセックスしたくなったりする「性欲」は、様々な消化できていない不快な感情と結びついている可能性が大いにあるので、その「性欲」をちょっと疑ってみるのは大事と思っています。

セックスがストレス対処法にあんまり向かないわけは、妊娠や性感染症という身体へのリスクが他のストレス解消法と比べても大きいことです。それに、相手がいることなので、その相手や周辺との思わぬ関係の浮き沈みで、気持ちをなだめるどころか、余計なもやもや感情をしょい込むことになるのがどうもうまくありません。

ストレスを性欲で晴らしがちな人は、セックス以外のセルフケアを増やす工夫をしてほしいと思います。その際に自分の「ふれあいたい欲」も満たしてあげて下さい。動物を抱っこしたり、もしパートナーがいる人なら長めに抱っこしてもらったり、お布団にくるまってぬくぬくしたり、マッサージを受けるのもよいと思います。

 

でもなによりも一番最初にしてほしいのは、自分の身体を守ることです。

是非、コンドームをつけて/つけさせてください。

女性が低用量ピルを飲むことも助けにはなりますが、性感染症も妊娠も高い確率で防げるのは最初からコンドームを着用する/させることです。

 

また、どんな時に自分の性欲が高まるか「性欲日記」をつけてみるといいですよ。日常生活の中で、仕事で疲れたときや一人ぼっちだと感じたとき、人間関係ですごいストレスを感じたときなど、人によって違いますが、なにかのきっかけがみつかります。

そのきっかけの中に、あなたが向き合い大事にしてあげるべき自分の感情が含まれているのだと思います。

 

●コンドームの具体的なつけさせ方☞【安全運転】の具体的な方法

●セルフケアについてもっと☞【「自分アプローチ」としてのセルフケア】3つのチャンネルを意識すると上手になります

●オイル浴も「ふれあい欲」を満たせますよ☞『ちつのトリセツ 劣化はとまる』ちつのケアとココロのケアの深い関係

●20年前からの #NoBagForMe ☞【ひとりムーブメント】プチフェミ的な行動の効果

 

ではまた!

サードプレイス

 

 

 

 

 

サードプレイストラウマ

【恋愛焦点化心理療法】

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

 

先日、四国のどこかの県から電話がかかってきました。知らないところからの電話は不安になるものです。オソルオソル通話ボタンを押すと

「もしもし」と穏やかな女性の声が聞こえてきました。

「私、〇〇県のカワムカイ高校で高2のクラスの担任をしておりますヤマダと申します」

私はちょっとほっとして、こんにちは、と挨拶しました。

 

ヤマダ先生がいうには、カワムカイ高校の2年生は修学旅行で東京に行くのですが、その際には生徒が興味をもっている施設の見学にいくのがコースになっているそうです。「つきましては」とヤマダ先生はおっしゃいました。「こちらの生徒で心理臨床に興味を持っているものがおりますので、ぜひサードプレイスに見学にいかせたいのです」

いやいやいや、先生、こちらは超こぢまんまりした私設のカウンセリングオフィスで、怪しい、というか、いえ、決して怪しいことはしていませんが、将来有望な生徒さんが見学するに、もっと適切なところがあるのではないでしょうか。例えば大学病院附属の心理室、とか。

と、私がモゴモゴ言いはじめるのをヤマダ先生はさえぎって「こちらは生徒を信じておりますので」とおっしゃいます。生徒を信じるっていったって程度があると思うのです。

そうして、ヤマダ先生は「今生徒が隣におりますのでかわりますね」と爽やかにおっしゃり、ごそごそと音がしたかと思うと、今度は可憐な女子高生と思わしき女子が「もしもし。お忙しいところすいません。そちらを見学させていただきたくて連絡をしました」と言いました。

そうなんですね。サードプレイスのことどうやって知ったのかな?どなたかのご紹介かしら?

「ネットで調べたらここが見つかりました」

 

(ネット??)そうか。心理療法について興味があるんですよね。どんなことについて知りたいのかな?

「恋愛関係とか」

 

(恋愛????)ええとね、私は恋愛とかは専門じゃないんだよ。

「それでもいいです。対人関係とか、そういうことも興味あるので」

 

こういうやり取りを経て、なんとなくカワムカイ高校の子たちをサードプレイスに迎え入れることになってしまったわけです。

 

 

トラウマと恋愛は実は似ているところがあります。

日常生活の中で、過去の苦痛な記憶の一部が戻ってくるのはフラッシュバック、と呼びますが、恋をしている時にもフラッシュバックは起こっているのではないでしょうか。好きな人と目が合った一瞬や手がふれ合った一瞬は繰り返し繰り返し思い出すものです(但し、苦痛ではない甘美な感情を伴って)。

食欲不振になったり、睡眠障害になったりもします。身体がドキドキして落ち着かなくなったり、些細なことについて考え込んで後悔したり、絶望したり認知と感情のジェットコースターが起こることも似ています。

実は回復の過程も似ていて、トラウマが回復するときも恋愛が覚めるときも「飽きた」とか「慣れた」ような感覚になります。失恋は喪失感が伴いますが、トラウマだって回復するときには多くの喪失感があります。

 

ということを、女子高生たちに話すことは多分ないでしょう。

 

健康な女子高生のためになることは何かなと考えていたら、ホンマでっか!?TVに出ている印象評論家の重太みゆき先生の本を見つけました。

重太先生によると、腰を思い切りひねって振り返る「トルネード振り向き」は男子のココロをわしづかみにするモテ仕草なのだそうです。

私は腰痛の持病を抱える大人の女性ですが、女子高生たちがきたら「トルネード振り向き」を教えてあげようと思っています。

その際、自分の腰など砕けるくらいの勢いで、トルネードを実演しようと思っています。

 

 

青少年の健やかな育成のために、私の腰が砕けるくらいの用意はいつでもできているつもりです。

 

 

ではまた!

 

サードプレイスhttp://www.office-thirdplace.com/

 

トラウマPE

【赤ずきん】のトラウマ

こんにちは。

飯田橋にあるカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

人によっても好みが分かれるところでしょうが、私は書き込みした本がどうも苦手です。

古本であっても、本を開いたときに、そこここに線が引いてあったり、コメントらしき書き込みがあったりするのを発見すると、本文よりもそっちに気を取られてしまうことが癪にさわります。

線が引いてある箇所の文言を読んで、どうしてここに線を引いたんだろうと考え、また線も波線だったり、二重線だったり(たまに赤線、みたいに色を変えているヤカラまでいます)バラエティに富んでいるものですから、どうして線の種類に違いをつけたんだろうとまたしばし考え、そしてさっぱりわからずにあきらめるのです。

書き込みに関してはもっと悲惨です。共感の持てる書き込みはない、と言い切ってもいいほどで(その場の個人的な覚書やコメントでしょうから当然です)、書いた人には意味のある、でも私にとっては何の意味もなさない書き込みが目に入ると、どうしてもムキー!となってしまうのです。

私はなんというか虚心坦懐、にして物語と向き合いたいだけなのですが。

 

とある古本屋でみつけた『赤ずきん』の本は惨憺たる状態でした。

「むかしむかしあるところに赤ずきんちゃん、と呼ばれる女の子がいました」と、その本ははじまっていました。

でも、「その女の子は赤い頭巾がとても似合っていたからです」という文章の隣に

 

 

 

 

 

 

 

いい気になるな

という書き込みがあったのです。その文字に重ねるように

 

 

そんな目立つ頭巾をかぶっていたから恐ろしい事件が起きたんだぞ。

いい気になっていたお前の

 

責任だ

 

 

と赤い字で書かれています。

他の場面では

 

 

余計なことをオオカミにしゃべるな。お前の不注意の責任をとれ

能なし

バカ

 

人殺し

ひ と ご ろ し

 

という文字でページがうめつくされています。

本を読み進めていくにつれ、書き込みやら線はどんどん多くなってきて、最後のほうはほとんどそれらに埋め尽くされるようになっていました。ページも何ページか破れたり、バラバラにされているようです。

そんなわけで、その「赤ずきん」の本は、赤ずきんがオオカミに食べられるところで終わっていました。

その先は書き込みや線、折ジワ、インクのにじみでまるで読み進めることができなかったのです。

 

トラウマの記憶は、書き込みや線がところ狭しとせめぎ合っているような本のようなものです。書き込みの大半は太字で書いてあり、とても批判的な内容です。また、あちこちに意味ありげな線が引いてある(かえってそれで意味がわからなくなるような)ことで、読み進む気力を失わせる本になっています。

 

そんなトラウマ記憶と向き合うために、PE(持続エクスポージャー療法)では、「想像エクスポージャー」という手段を用います。

向き合う、というとなんだか大仰にきこえるかもしれませんが、どちらかというと書き込みや線などで読みにくくなっている物語を、実際はどんなことがあったのか、虚心坦懐にして、丁寧に読み進んでいく作業に似ています。

書き込みや線、ページの汚れに気を取られずに、内容をそのまま読み進めていくと、まだ小さい子どもであった赤ずきんにおばあさんの役に立ちたいという純粋な気持ちがあったことや、たしかに冷血なオオカミに一度は食べられて怖い思いをしましたが、猟師がちゃんと助けてくれたこと、そしておばあさんと無事を喜び合ったことが書かれていたとわかるでしょう。

大切なのは、その本を取って、ページを開く勇気です。

 

 

 

ちなみに、多くの赤ずきんたちは、このオオカミ事件の後、赤い頭巾をかぶるのをやめてしまうのですが、再び赤い頭巾をかぶれるようなるには「現実エクスポージャー」が助けになってくれます。

 

●現実エクスポージャーって☞【PE】そのネーミングセンスがいかがなものか問題

●PEの情動処理理論☞【モヤモヤした感じ】持続エクスポージャー療法の理論

●トラウマ記憶は「怖い映画」にも例えられる☞【フォア先生】トラウマストーリーを何度も話すことについて、有無を言わせない切り口

 

ではまた!

サードプレイス

セルフケア心理療法感情調整

【ポジティブ】シンキング!

ご無沙汰していました。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

認知行動療法の考え方は、自己啓発セミナーなど(心理療法の世界に比べるとキラキラ感が多めの)の世界でも普及しています。

セミナーなどで、よくテーマになるのは

「ポジティブな物の見方をしよう」

ということで、例えばコップに半分程度入った水に対して「まだ半分ある」と考えるのと「もう半分しかない」と考えるのでは、人生の成功具合とか、幸せの引き寄せ具合は違うっていうやつです(そしてこの場合は「まだ半分もある♡」って考えるのが正解ってことらしい)。

でも実は、「まだ半分もある」とスムーズに信じられるのは、元からそう思えている人か暗示にかかりやすい人で、多くの人にとってはなかなかに難しいことなのです。

「そもそも、私はこれまでの人生の全ての事象において、コップに半分しかないっていう風に考えるタイプの人間です」って変に自分の歴史をさかのぼって反省したり、「いくら自分に言い聞かせてもポジティブに考えられるようにならない!」と頭をかきむしる、変に真面目な人もいます。

そこで私は、この手の「ポジティブな見方をしよう」という、もうほとんど呪いに近いこの考え方についての対策を求めて、エライ先生からの助言を仰ぐことにしました。

先生はこの業界(心理療法)のエキスパートを育てている、いわばエキスパート中のエキスパートです。この先生を前にすると私は緊張のあまり妙にヘコへコして、正直のところ面会するのは気がすすまないのですが、背に腹は代えられません。

 

コップに水は半分しかないって考えるタイプの患者さんに対し、どのように認知を再構成していけばいいのでしょうか(質問の仕方も自ずとエキスパート風になります)。

先生はこのように答えました。

「そもそも、コップに水が半分しか入っていないのが問題なのだから、コンビニの近くに引越せばよい」。

え、そういう問題ではなくて。

「では、なにが問題なのかね」。

 

先生とのやり取りは、ものの5分で終了してしまいました。

 

そうして、私は「エライ先生に5分時間を割いてもらった♡」と殊勝に喜ぶかわりに「あのジジィ、5分しかくれなかった!」と憤然として帰ってきたわけです。

腹の虫が収まらないので、食べログのアプリで検索したカフェに向かいました。そのカフェで「スペシャル・パンケーキ、エシレバター付き」を食べました。そして、その足でスパに行き、岩盤浴をしました。足つぼマッサージをうけました。そうしてお湯につかっている間に、だんだんと落ち着いてきて、ゆったりした気分になってきました。

お湯につかりながら思いついたのは、コップに水が半分しか入っていないと、不安を感じて落ち着かないよなぁ、ということでした。

すなわち、私たちの苦悩の元は、考え方ではなくて、感情にあるということです。

ネガティブな気持ちになっている時は、考え方を変えようと躍起になるよりも、その時の感情を手当てしてあげることが肝要なのではないでしょうか。コップの水が少なくて不安になっている時は、自分の気持ちが安心に近づけるようにケアしてあげることが良いのです。私がまさに今、怒りという自分の感情をケアしてるように、です。

そう考えると、コンビニの近くに引越すのはあながち間違いでもありません。

 

エライ先生の態度はちょっとばかし気に入らなかったけど、全くのムダな5分ではなかった、許してやろう、そう考えて、湯上りの身体に心地良い夜風を受けながら帰りました。

 

こちらもどうぞ

●ノリコさんの気持ちの収め方☞【感情調整】クリエイティブな気持ちの収め方

●日常にある認知行動療法☞これもまた【認知行動療法】

●怒りの気持ちの収め方☞【感情調整】怒りそのものなような、そのようにみえるような

 

ではまた!

サードプレイス