不明 のアバター

All posts by 飯田橋 サードプレイス

東京千代田区飯田橋にあるカウンセリングルーム、サードプレイスのブログです。

サードプレイストラウマ

【セクシャルハラスメント】について、度々悩む

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

例えば。

例えばの話です。

例えば、50代の男性議員が、フィギュアスケーターの浅田真央さんとかに抱きついてチュウしたとしたら、この議員は大臣にはなれなかったんじゃないかなぁ、と悩んでいた次第です。

男性の性被害は軽く捉えられているのでしょうか。

 

そんなことをモヤモヤと考えていたら、そういえば以前に、未成年の女の子の買春をした男性タレントが知事になっていたことも思い出しました。

それでいうと、女性の性被害も軽く捉えられてるのでしょうか。

 

自分が受けた、性的な被害について、悩まれる方は多いですが、悩んで当たり前なんじゃないかな。

この世の中とのギャップに、私も悩むことしばし。

 

サードプレイス

複雑性PTSDPOWERSTAIR/NST心理療法

【シャバ】と【ムショ】のあいだ

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

大学病院で働いていたころ、グループセラピー(病院では医師の指導のもと行われる「集団精神療法」のことを指します)は心理の仕事の一つでもありました。グループセラピーは保険が適用されるので、患者さんの費用負担が少ない上に、複数の人々に一気に心理教育を行えるので、大勢の患者さんを抱える大学病院にとっては良いことだらけなプログラムだったと思います。

でも、みなさんは既にお察しかもしれませんが、私自身は、どうにも集団というものは苦手なのです。子どもの頃から教室につめられて席につき、授業を聞いているのは、窮屈だし退屈、と感じていました。

そして「窮屈でも退屈でもないグループセラピー」を行うとなると、様々な工夫やファシリテーター(グループを運営するセラピストのことをこう呼びます)としての研鑚、そのためのお金や時間も必要で、心理士の薄給にとても見合うものではありませんでした。

それでも私がグループセラピーを実施していた、というより、むしろ当時、病院の他の誰よりもマニアックに取り組んでいたのは、やはりそのメリットが大きいものだったからです。良く構成されたグループでは、自分自身についてより深いレベルで(腹の底から)理解することができます。それは心理療法の1回や2回のセッションとは比較にならないほどのレベルです。

病院でのグループセラピーは、子どもの頃の虐待やDVなどのトラウマを抱えた女性を対象にしたプログラムでした。ざっと延べにして800人以上の方が参加してくださったと思います。

そんな風に10年以上にわたって私は、STAIRを基盤とした、複雑性PTSDのためのグループセラピーをコツコツと作り、実施し、改変し、また実施し、そしてまた改変し、というのを繰り返してきました。グループの名前もつけました。それで、ずいぶんと素晴らしいグループセラピーができたなぁ、これはどこに行ってもそうそうあるものじゃないなぁ、と少し感動しかけたところで、病院がなくなってしまい、そのグループセラピーは私のUSBのデータとしてしか存在しなくなりました。幻のグループになったのです。

 

USBデータとしてのグループセラピーが2年ほど続いていたある日、ある縁に見いだされて全く新しい場所でグループを開くことになりました。

刑務所の中です。

そして、グループの参加者達は男性受刑者でした。

受刑者の人々は、子どもの頃の虐待やネグレクト、その他のトラウマの体験がある人が少なくないということは研究でも知られています。そして、子どもの頃のトラウマ的な出来事は、感情のコントロールや、対人関係の困難を引き起こします。

グループセラピーの中でも、受刑者の人々は、怒りのコントロールが難しかったり、そもそも「感情」がわからないということや、相手から大切にされるような関係が作りにくい、ということが明らかになりました。

週に1回、受刑者たちは刑務所での作業を中断し、グループセラピーのお部屋に連行されてきます。同じ日に私は外の世界から刑務所を訪ね、同じくグループセラピーのお部屋まで案内されます。そのお部屋は私とみんなが出会う、丁度「シャバ」と「ムショ」の間のようなところなのです。そこで私たちは、刑務官に監視され(見守られ)ながら、自分の感情や考えを言葉にして自由に表現することが許されています。

 

そして、全15回のグループセラピーが10回目を超え、はじめのうちは気が張っていた私のココロにちょっとした変化が起きています。というのも、ある気持ちがわいてきていることに気がついたからです。このグループセラピーが終わって、みんなとお別れすることをどうやら私は惜しんでいるようなのです。

刑務所のグループセラピーで出会ったのは、こういうこと(つまり、子どもの頃のトラウマがいる大人になってからも影響しているということ)を学ぶのが人生で初めて、という人々でした。今までこのことについて教えてくれた人は誰もいませんでした。

けれども、みんなは本当に真剣にグループに関わって、そこでそれぞれが、自分自身に関する驚くような洞察や、気づきを語っています。

 

このグループセラピーの名前は、POWER(Practice Of Wisdom, Emotion and Relationship)です。

POWERがシャバに出た後もみんなの「力」になることを願ってやみません。

 

●子ども時代のトラウマの核☞【STAIR】感情調整からの、対人関係

●STAIRについて☞【複雑性PTSD】STAIR誕生!【感情調整と対人関係のためのスキルトレーニング】

●複雑性PTSDについて☞【複雑性PTSD】診断がつく、ということは治療法があるということです

 

 

ではまた!

サードプレイス

 

 

複雑性PTSDSTAIR/NST対人関係感情調整

【STAIR】感情調整からの、対人関係

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

STAIR(Skills Training in Affective and Interpersonal Regulation:感情調整と対人関係のためのスキルトレーニング)は認知行動療法の一つで、主に子ども時代の虐待やDV被害などの対人トラウマから引き起こされる感情調整や対人関係の困難に焦点をあてた心理療法です。

幼少期のトラウマを抱えた女性98人を対象とした、「現在困っていること」に関する調査(Levitt & Cloitre, 2005)では、女性たちが困っていることのナンバー1は対人関係の問題(67%)でした。その次にPTSDのなにかしらの症状(59%)、感情の問題(31%)と続いています。

調査でも示唆されているように、セラピーに来る人は、どちらかというと感情(怒り)の爆発で悩んでいるという人を除けば、自分の感情で困っていると訴える人は少ないのです。大抵の場合、感情はあまり感じないようにフラットになっているか、時にはスイッチを切った状態になっていることが多いからです。

そんな訳で、多くの人は対人関係が困難を感じるきっかけであり、それをなんとかしたいと思ってセラピーに来るので、STAIRの対人関係のセッションを学ぶ前の、感情調整のセッションでは、ちょっと焦れるような感じになるかもしれません。

そんな時でも感情調整を学ぶことはとても意味があることだと思っています。

なぜなら、子ども時代のトラウマを経験した人にとって、対人関係とはなにかの「コツ」とか考え方ひとつで乗り切れるものではないからです。対人関係には感情がつきもので、その中で生じる自分の感情をより良く受け止める力がどうしても必要になります。

もう一つ、もっと重要なことがあります。

対人関係の基礎となるものが、感情のやりとりである、ということです。

私たちは、子どもの頃に感じる自然な感情を相手に伝えて、それを受け取ってもらう、ということを繰り返して大人になっていきます。

つまり、子どもの頃は、うれしいことがあれば、共に喜んでもらい、悲しいことがあれば慰めてもらう。腹が立ったらなだめてもらい、そして、困ったことがあれば助けが差し延べられます。すなわち、感情は私たちの内から自然に出てくるものですが、それは養育者などの適切な相手によって、受け止められ、調整されるものです。それが何度も行われるうちに、自分自身でも感情をうまく受け止められるようになりますし、そうできるようになると、自分の気持ちを相手に伝える段になっても、自然に(つまり、無理やりに押さえつけたり、または爆発させずに)、さらりと伝えることができるようになるのです。

さらりと伝えられた気持ちは相手にも心地よく受け止められるものですから、このキャッチボールはいい循環で続いていくものです。

 

子ども時代のトラウマとは、うれしいことがあっても共に喜んでもらった経験がない、ということです。

泣くときは一人でしたし、怒りはいつまでも自分の中にあるものでした。そして、だれかに、助けてもらったことがないので、自分が困っていることにも気が付いていませんでした。

このような感情状態が子ども時代のトラウマの核にあるものです。

 

STAIRの中で感情の一つひとつに丁寧に気づいて、うまくそれを表現したりする練習をすることで少しづつ感情のやり取り、のようなものがわかってくると思います。それが今の人間関係の基礎となっていくように練習していくのです。

セラピーの中では、決して否定や批判をされることはありません。あなたの考え方や感じ方が一番大切にされるのが、セラピーでもあるのです。

 

●STAIRについてもっと☞【複雑性PTSD】STAIR誕生!【感情調整と対人関係のためのスキルトレーニング】

●感情調整についてもっと☞【STAIR】感情調整は感情の役割を知ることからはじまります

●感情を感じない☞【感情調整】感情が出すぎる人ではなく、出ない人の話

●感情調整こぼれ話☞【感情調整】クリエイティブな気持ちの収め方

 

ではまた!

サードプレイス

 

CARE

【猫かわいがり】

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

7月は忙しくて、ほぼ記憶がないくらいだったので、8月はお休みを取って家の片づけをしたり、読書をしたりしています。

そんなわけでこの夏、『にゃんこドリル』を読んでいたのですが、この本によると、猫というのは子どもが大変苦手なようですね。

私が子どもだった頃、「子どもがいる家の猫は早死にする」と父が言って、家猫をあまりイジらないよう私をけん制していたことを思い出しました。そう言われても、私のネコに対する愛情はとめどようもなく、決してネコの寿命を短くしたいわけではなかったけれど、しつこく構っては、ネコに嫌がられていたものでした。私とネコの間にあるのは、私からの一方通行の愛情で、彼女からしてみればそれって迷惑千万なものだったでしょう。

 

ハナシはちょっと変わりますが、子どもへの愛情、という話になると、親にとっては繊細な話題となるようです。「愛情不足」という言葉は、子どもの問題行動は親の愛情の少なさに起因するものだとする考え方を示していますし、「年寄っ子は三文安」ということわざは愛情の過多に対しての先人からの警告であるようです。

親の愛情自体が疑われることもあります。虐待の報道に際して、コメンテーターは「人としての当たり前の気持ち(つまり愛情的なもの)がないのか」と憤慨したりします。でも、実際、虐待しているとみなされる親にも、子どもへの愛情がある人のほうが圧倒的に多いのです。

親の愛情の存在というものは、実に疑いようがないものの一つだと思っています。

でも、子どもが幸せに暮らしたり、成長をしていくには、親側の愛情だけでは不足で、子ども側が感じる「安心感」や「安全感」が必要です。

 

私は『にゃんこドリル』で、猫が安心安全に暮らすための知識を得ました。

同様に、子どもが安心安全に暮らすためには、愛情にプラスしての知識やスキルが必要です。もし、それを様々な理由(例えば、自分自身の子ども時代に安心安全な環境を得られなかったなど)で知らない親がいたら、だれかに教えてもらう必要があるのです。

CARE(Child-Adult Relationship Enhancement)では、子どもの言動をよく観察したり、子どもの良い行動を具体的にほめるなどの、親側の小さな積み重ねの練習で、子どもの安心と安全を増すことができます。

愛情は問題じゃありません。親となったからには、知識と練習が必要ってことなんだと思います。

 

その知識をともに教え合うような社会になってほしいと願っています。

父が私に教えてくれたように。

 

●こちらもどうぞ☞【パトナム先生】解離研究の権威の子育てスキル

●でも、犬にかまれたことがあります☞【ケア】と【セラピー】のあいだ

 

ではまた!

サードプレイス

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【本】を読む方法

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

ところで、みなさんは本の読み方を知っていますか。

本棚から一冊本を取り出して、表紙をめくり、最初の文字から順番に読んでいく、アレです。

簡単至極な動作ですが、世の中には本が好きという人と苦手という人に分かれているところからみても、本を読むのに(そして好きだという気持ちを抱くのに)なにがしかの方法とかコツがいるのは想像に難くないでしょう。

 

私が小学生になり、はじめて挿絵のない「オトナの人が読んでいる本」を読み始めたときに、そのコツを伝授される必要がありました。というのも、本を読むとなると、登場人物の名前を覚えたり、舞台設定を把握するあたりの、はじまりの部分が余りにも退屈で、堪え性のない私は本を読み進めることができなかったからです。

私が本をほっぽり出していると、(暇さえあれば本を読んでいた)父がやってきてこう言いました。

「そりゃあ、本のはじめの部分は面白くないよ」「でもね、そこをじっとガマンしてしばらく読んでいくうちに、そのうちにさ、本当に面白くなっていくものなんだから」。

果たして、父が言った通り、しばらく耐えて読んでみると、その後は自分が読んでいるということを感じないくらい、苦もなく話の中に入っていけることがわかりました。それからの私は毎日、本を読むことに夢中でした。

 

そして、40年かそこらが経って、あの頃の父の年をはるかに超えるずいぶんな年の大人になった私は、再び本が読めなくなっていました。

その理由はいくつかあるのですが、一つに、本の内容をちゃんと覚えていられなくなったことがあります。私の本棚には自分のお気に入りの本が並んでいるのですが、ある日のこと、その本たちがどんなお話しだったのか、うろ覚えで、ちゃんと思い出せないことに気がついたのです。

そういう日が重なって、私はこんな風に考えるようになりました「本を読んでも無駄だな」と。ちょっぴりココロが折れたのです。

 

そんな時に「魔女の宅急便」という本を書いた角野栄子さんのお話を聞く機会がありました。

角野さんは84歳ですが、今でも毎日本を読むそうです。

角野さんはこう言いました。「毎日本を読むんですけどね、次の日には内容を忘れちゃっているから、3ページくらい戻って読んで、そうだったそうだったって思い出してまた読むんですよ」。

そして、続けて言いました。「そんな風に読んだ本もね、1年たったころには忘れちゃっているの、全部!」。

私と一緒だ!私はちょっとドキドキして聞いています。角野さんは読んだ本の内容を忘れちゃって、それからどうするのでしょうか。すると、角野さんはこう言いました。

「全部忘れちゃうなんて意味がないと思うでしょ。でもね、忘れちゃったっていいのよ。なんかがきっと自分の中に残っているんだから。目に見えない何かがね」。

 

そう聞いた時、私はまた久しぶりに本の読み方のコツを教わった気持ちになりました。

 

白髪のオカッパ頭に黄緑のワンピースを着て、黒地に白の水玉模様の靴下をはいた角野さんは、ちょっと魔女みたいに見えました。オズの魔法使いに出てくる南の魔女です。

そっと角野さんの足元を見てみましたが、今日は銀色の靴は履いていないようでした。

 

本の読み方のコツでもなんでも、人生っていつでも何かしら新しい発見があって、なんて楽しいことだろう、と思います。

『薄味の日記』もこの記事で100になりました。

自分の人生の中でブログを書くなんて思いもよらなかったし、サードプレイスにいることだって想像もしたことありませんでした。

 

そういうのも、なんて楽しいことだろう、と思います。

 

ではまた!

サードプレイス