不明 のアバター

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東京千代田区飯田橋にあるカウンセリングルーム、サードプレイスのブログです。

トラウマ複雑性PTSD

【トラウマ後の症状】自分が嫌い

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

10代の、いわゆる思春期っていう頃になると、多くの人は自分のことが嫌いになります。

この時期には、認知の発達(脳ミソの成長)とともに、自分のことが今までよりも客観的に見れるようになるので、周りの友人や自分の理想と自分自身を比較し、結果、自分のことがとても嫌いになって悲観したり、また大好きになったり大嫌いになったりを短い期間(時に1分単位で)で繰り返したりします。いわゆるメンドクサイ時期です。

 

認知が発達したとはいえ、10代は、まだまだ子どもの世界に生きているところがあります。子どもの世界、とは認識上のことで、自分がいい子にしていればいいことがあるだろうし、お母さんが怒るのは自分がなにか悪いことをしたせいだと信じるシンプルな因果律に基づく世界です。

でも実際は、いい子にしていても交通事故にあったり、テストで失敗することだってあるし、お母さんは、昨晩お父さんの借金が発覚して、今日はお父さんをしめ殺してやりたいという思いで頭が一杯なのかもしれない、世界はもっと複雑だということをオトナの私たちは「客観的に」知っています。

言ってみれば、10代の子どもは「視野が狭い」のです。視野の狭さと自己肯定感の低さなどのネガティブな考え方とは深い関連があります。ですから、大人になってからも、様々な理由で視野が狭くなっているときは、自分への考え方や見方が否定的になるのが常です(自分に対して否定的になってない場合は、他者に対して否定的になっています。あちらを立てればこちらが立たず、ですね。用法が間違っている気もしますが)。

そんなんで認知行動療法では、自尊心が低いとか、自己肯定感がないと訴える人に対して、視野を広げ、柔軟な考え方ができるようなサポートします。そうすると落ち着いて「客観的に」物事を考えられるようになり、自分に対しても、結構悪くない人間なんじゃないかと感じられるようになります。

 

ここまでは、普通に(このブログでもはや何が普通なのかわかりませんが)自己肯定感がなかなか持てない人へのケアの仕方です。

 さて、この自己肯定感のなさが普通よりももっと強い、筋金入りの時があります。子どもの頃に養育者から、または大人になってからパートナーに、繰り返し自分を否定されたトラウマ的な経験が積みあがっている場合などです。

そんな時には客観的に考えようとするだけではとても足りません。

なぜなら、トラウマの影響下にあるときは、自分の非を追及する声がものすごく強力だからです。さながら自分を裁く法廷において、敏腕かつ冷酷な検事が次々と反証を繰り広げ、あっという間に有罪確定に追い込んでしまうみたいになります。

かくして、「私にもなかなか良いところがある」というもっともな主張は、無慈悲な検事から「母親に、産まなきゃよかった、と言われた事実からしてそんなふうに感じる権利は認められない」とコテンパに反論され、「一生自分を恥じて生きていけ」と判決が下されます。

 

こんな時は、法廷に踏みとどまって勝ち目のない裁判に時間を費やすのは意味がないと気が付くことが大切です。

そしてちょっと考えてみましょう。

そもそも、私たちが人に対してポジティブな気持ちを抱くときはどんなときなのか、ということです。

ヒントはテレビのドキュメンタリー番組にあります。番組の中で、ある人の半生を詳しく知ったときのことを思い出してください。その人がどのような逆境に遭い、それをどのようにくぐり抜けてきたのか、その人の長所も短所もすべて含めたその人らしさ、といった詳細に触れたときです。そのような履歴書にはない生き生きとしたストーリーは、私たちにその人への共感(コンパッション)を生み出します。

そのようなコンパッションを感じたとき、その人を深いレベルで理解し、身近に感じることができた経験はないでしょうか。

実はコンパッションというものは、人に対する「好き・嫌い」や、「良い・悪い」の価値判断から私たちを自由にする力を持っているのです。

 

そこでセラピーでは法廷から抜け出て、カメラのクルー(仮)と共にあなたの人生を取材する旅に出ることになります。客観的な事実だけを並べてもいい作品には仕上がらないことはわかっています。ドラマティックな表現を好む人もいるし、抑えた描写が好きな人もいますが、どちらにしてもそこにはストーリーとそれに伴う様々な感情がきちんと表現されている必要があります。

そしてその作品が納得いくように仕上がり、自分自身をコンパッションの気持ちをもって眺めることができたなら、その時は、自分が嫌いとか好きということを超えて、自分のことをそのまま受け入れられるような心境になっているにちがいありません。

 

それこそが「自己受容」ってやつで、どんな賞をもらうよりも心地よいものだと私は思っています。

 

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サードプレイス

複雑性PTSD対人関係

【対人関係スキーマ】大切な人を【ちょうどいい感じで】大切にしたい

こんにちは。

飯田橋のカウンセリング・オフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

「ほどほどに」っていうのがわからない、という人がいます。

「普通」とか「中庸」が難しい、という人も案外多くいます。

そのように感じるのに至るのはそれなりの理由があるのですが(その話はまた今度)、日常生活でこの適度な調節がうまくできないとなるとなかなかの苦労です。

傍目からみても無茶なことをして、その結果、怪我をしたり、死んじゃったり(ライトに書いてますがそれって深刻な事態です)、または働きすぎて身体の具合を悪くしたりします。

 

性格ともみなされている、そういうある種の「極端さ」は人との関係でも起こりうるものです。

それは、特に近しい関係、例えば親子関係や親密なパートナー関係では顕著に出るもので、だからこそ自分も相手も苦しい思いをすることになります。

そういう人は職場なんかではなかなかにリッパなことが言えていたり、コミュニティの中でそれなりに一目を置かれていることも少なくありません。

しかし、家族やパートナー関係のような感情の伴う対人関係となると、様相が一変します。長時間にわたって一方的に自分の主張を繰り返したり、時には暴力に訴えたりして、相手に自分の怒りをぶつけるので、相手はヘトヘトになってしまいます。

そういう人は相手のことが嫌いなのかというと、全くそんなことはなく、相手に「自分のことをわかってもらいたい(でもわかってもらえない)」という矛盾した強い気持ちをもっています。

時にはその気持ちを「愛」としか表現できない、と言う人もいます(それを聞くとちょっとウププってなりますが、セラピストはその類の発言に対しては「そうですね」と軽くスルーすることにしています)。

そのような人々は、ココロの深いレベルで「誰も自分のことをわかってくれない」という、強い無力感を持っています。自分のことを話してもわかってくれないだろう、という恐怖や無力感は気が付かないうちにその人の行動パターンを支配するようになります。

すなわち、「誰も自分のことをわかってくれない」という無力感があると、自分の気持ちを押し込めがちになります。

大抵の人は対人関係においてなんらかの「ほどほど」の我慢はしていますが、「誰も自分のことをわかってくれない」という無力感を持っている人は、言ったってわかってくれないから言うだけ無駄だと脳ミソは指令を出すし、自分の正体がバレたら見捨てられる、と密かに恐れてもいるので、自分の感情を極端に我慢する傾向にあります。そして我慢し続けた気持ちがたまると、怒りや恨みとなり爆発するのです。

爆発をぶつけられた相手はどうなるでしょう。遅かれ早かれ倒れたり、去ることになるのです。そして結果、あなたは「やっぱり誰も自分をのことをわかってくれない」と無力感を上塗りすると同時に、深い自責の念でより苦しむことになります。

こんなことはもう終わりにしたいでしょう。そのためにはあなたは小手先のスキルではなくて、自分の真の感情に向き合う必要があります。

感情に向き合うのは「怖い」と誰しも思うことですが、ちゃんと向き合ってみると「案外、大丈夫だった」とも感じられると思います。

セラピストとしては、感情に向き合うという点においては容赦はしませんが、大切な人をきちんと本当の意味で大切にできるのなら、この努力は十分報われると思います。

 

今日はちょっと厳しめでした。

 

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サードプレイス

トラウマナラティブ・エクスポージャー・セラピー(NET)心理療法

【ケア】と【セラピー】のあいだ

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

先日、ナラティブ・エクスポージャー・セラピー(NET)というトラウマ焦点化心理療法の研修会に参加したときのことです。

トラウマ焦点化心理療法の研修会では大抵、ロールプレイの実習があります。研修の参加者は交互にセラピスト役、クライアント役になって実際に技法の練習をするのです。

NETも例外ではありません。まずはデモンストレーションとして、講師の先生がセラピスト役、私がクライアント役となって、自分のプチ・トラウマ「子どもの頃に犬にかまれた記憶」を話すことになりました。そうすると、参加者はNETの技法のお手本を実際に目にし学ぶことが出来るのです。

講師は初老に差し掛かるところの男の先生で、とても穏やかな方のようです。対して、私はちょっと緊張し、浮足立って先生の前に座っています。他の20名くらいの参加者、セラピストたちは私たちに注目しています。

 

その日の最初から話しははじまります。先生に話しはじめると、小学校4年生の秋のまぶしいオレンジ色の光が目の前にあらわれました。

それは、私が近所で飼われている犬の頭を撫でようとしたところ、犬に反撃された、という事件でした。多分犬は、自分の頭の上に差し出された手を見て怯えたのでしょう。

家に戻り噛まれた傷を見ると、さながら人体解剖図のようになっていました。恐怖のあまり私は泣き叫んだので、その声を聞いた近所の人に助けられて病院に行くことになりました。

病院で傷口を縫い合わせる手当が終わると、看護婦さんに「よく頑張った、エラかった」と繰り返し言われました。このことは何も自発的に頑張ったことでは決してなかったけれど(むしろ、そうせざるを得ない受け身の状態だったけれど)、そう言われると幾ばくか自分が認められたような気がしたものでした。

 

さて、講習会でのデモンストレーションで、私の話が一通り終わったとき、犬を撫でようと思った自分を責める気持ち、傷口を見たときの恐怖、看護婦さんに励まされてうれしかったことや、犬に噛まれたその日の夜に昨日(犬に噛まれるビフォアー)と今日(アフター)は全く違う日、違う人生になってしまったなぁとぼんやり考えたこと、その事件の後の犬がどうなったのか心配する気持ちなどは、そのまま、話す前と変わらずにありましたが、少しだけすっきりと片付いた感じにもなっていました。

片付いた、とはそれが少なくなったり、消えたというわけではなく、引き出しにごちゃっと入っていた服が、キチンとたたまれて入れられたような気持ちでした。

 

トラウマからの回復は劇的なことも多いのです。さっきの引き出しの例でいうと、中にある服は断捨離されたり、リメイクされたりして蘇ったりするような体験です。

でも、こんなふうに、お父さんみたいな先生に一部始終を話してキチンと受け止めてもらうのもまた、素敵なものでした。

なんだか、ほくほくして家路につきました。

小学4年生の女の子みたいな、いい気分でした。

 

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サードプレイス

 

 

サードプレイスストレス感情調整

【感情調整】クリエイティブな気持ちの収め方

こんにちは。

飯田橋のカウンセリング・オフィス、サードプレイスのナカヤマです。

今回の記事にはいくつかの不適切な表現がみられますが、どうぞ許してください。ノリコさんのことについて書くときには、きわどい表現を避けては通れないからです。

 

ノリコさんは南フランスで生活する60代の女性です。夏のシーズンになると日本に帰ってきて、サードプレイスに立ち寄って話しをしていかれます。

南フランスでノリコさんが何をしているかというと、絵を描いたり、モノを作ったりして生活しています。だから周りの人からは「クリエイティブな人」と見られています。確かにクリエイティブな女性なのですが、ノリコさんのクリエイティビティーはそこにとどまることがありません。ノリコさんは気持ちの収め方もまた、クリエイティブなのです。

 

アジア人の女性が海外で暮らしていると様々な苦労や理不尽なことに見舞われます。そのため、ノリコさんは腹を立てることに事欠かないといいます。

ある日、ノリコさんの自宅近くに新しいスーパー・マーケットがオープンしたときのことです。近くの通りでアフリカ系とみられる男性がそのスーパーのチラシを配っていました。ノリコさんがそのチラシが欲しくて手をだすと、男はノリコさんの手にチラシを渡すのではなく、それをつと道に落とすと、顎をしゃくって「道から拾い上げろ」というジェスチャーをしたそうです。

「このクソ男が」

このような屈辱的な仕打ちを受けて、ノリコさんは怒りました。

「このクソ男が、私はお前が耳をふさぎたくなるような、そしてお願いだからこれ以上言わないでくれと懇願するほどの悪態を知っているけど、今ここでそれを言わないでおいてやる、ありがたく思え。とココロの中で言ったね」と話しました。

いくら相手が失礼な態度をとったとしても、男に暴言(それもノリコさん流の)を浴びせたとしたら、彼女になにかの危害が及ぶかもしれません。私はノリコさんがその時、わめきたい気持ちを抑えて踏みとどまれたことを評価しました。

「それにしても、そんな失礼な態度をとられてどうやって自分の腹を収めたんですか」と私が聞くと、ノリコさんはウケケケケ、と笑って、

「アフリカ大陸を沈めることにした」と言い放ちました。

あまりに話しが飛躍したように思えた私が言葉を失っていると、ノリコさんは続けて、

「あいつらはみーんなミソジスト(女性嫌い)でメイルショービニスト(男性優位主義)のブタ野郎だからね」

と自信マンマンに言いました。そしてその後、ちょっぴり残念そうに「私、まだエジプトに行ったことがないからアフリカ大陸ごと沈めてしまうのはどうかなってちょっと考えたんだけど、背に腹は代えられないからね」と付け足しました。

そこでやっとのことで態勢を整えた私は、「そういうことってよくされているんですか」と質問しました(そういうことって国や大陸を沈める、という行為のことです)。

するとノリコさんはこともなげに「ああ、東ヨーロッパはもうないよ。あいつらティーフ(盗人)ばかりだから」と教えてくれました。

「南米も北米もすでに沈んでるよ」「ブラジル人はみんなレイジーだし、アメリカにはすごく珍妙なヘアスタイルした大統領がいるからね、あれには耐えられなかった」。そして、思い出したように「まだカナダはとってあるけど」と言いました。なんの慰めにもならない気がしました。

それを聞いて私は、ちょっとドキドキしながら言いかけました「そんなに沈めたら世界がなくなってしまうんじゃぁ・・」。

するとノリコさんが「オセアニアとかアジアはまだあるよ。アジアの人は優しいしね」と言うので、私は少しほっとしながら「そうか、良かった。私まだ中国の万里の長城に行ったことないので、いつか行けたらいいなって思っているんです」と言うと、ノリコさんは私に憐憫の表情を向けてこう言いました。

「中国か、あそこに関しては今考え中なんだ。私の言っている意味、わかるじゃろ(ノリコさんは日本の瀬戸内エリア出身です)。」

 

こうやってひとしきり話していったあと、世界の大陸の半分程度を既に沈めたノリコさんは爽やかに帰っていきました。

例えば「怒り」のようなネガティブな感情があっても、それを感じないようにしたり、抑えなければならない、と思っている人は実に沢山います。でも実際は、感情は我慢したり抑えたりすると、なくなるどころか、恨みのようになっていつまでも長く続いたり、自責感となって自分を苦しめたりするものです。

感情調整の方法は様々です。呼吸法をしたり、頭の中で数を数えるやり方が効く人もいます。また、友人に話したり、自分の好きなことをする時間をとることで気持ちを受け止められる人もいます。そして、ユーモアもまた、感情調整にはとても助けになるものです。

ユーモアはネガティブな感情を抑えるためにあるのではなく、ネガティブな感情と共にあることをノリコさんは教えてくれます。

今年の夏も、ノリコさんに会えることを楽しみにしています。

 

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トラウマ複雑性PTSDPE

【トラウマ後の症状】アンテナが全開

こんにちは。

飯田橋のカウンセリング・オフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

PTSDは、精神科で診断されるもので、「精神の症状」とみなされています(それはもちろん間違いありません)。でも、多くの人はPTSDを「身体の症状」として感じるとも言っていて、そんな訳で、今日は「過覚醒」の話です。

 

「過覚醒」はPTSDの4つの症状のうちの一つです。

この症状について語るために、太古の昔にまで遡りたいと思います。

すなわち、私たちが丸腰でサバンナみたいなところをてくてくと歩いていた頃の話です。

私たちは足も遅いし、身を守るための頑丈な牙や鋭い爪はおろか、分厚い皮膚も持っていないので、上位捕食者にとっては絶好の獲物でした。

ある日の出来事です。いつものように歩いていたところ、草陰からトラが飛び出してきました。あなたは死ぬほど驚きましたが、トラの鋭い爪があなたの背中をケサギリにする、すんでのところで身をかわし、脱兎のごとくその場から逃がれます。

このような危機的状況に置かれると、あなたの血中にアドレナリンが放出されます。アドレナリンの放出によって、あなたは長い時間疲れを感じることなく走り続けられます。トラの爪がかすった傷口からの出血は最小限に抑えられて、痛みも感じにくくなります。そのようにしてアドレナリンは生き延びるための余分なエネルギーを与えてくれるのです。

身体が与えてくれたアドレナリンと幸運に助けられて、あなたは安全なところまで逃げおおせることができました。

その日はしかし、当然ながら眠ることができません。「本当に危なかった」と何度も考えます。少しの物音にも敏感になって、飛び上がったり、その度にどっと汗をかいたり、心臓がはちきれそうになります。喉のあたりが苦しくなって、息がしづらい感じになります。身体を緊張させて、トラの気配に何度も耳をそばだてます。

このような警戒態勢は、実際に危険な場面では役立つものです。トラが再びやって来れば、素早く気がつくことができるので、逃げ出せる確率が高まるでしょう。私たちの身体は本当によくできていて、自分が生き延びるための機能がきちんと備わっているのです。

 

現代ではトラに襲われることはあまりありませんが、かわりに暴漢に襲われることがあるし、配偶者に襲われたり、親に襲われたりもします。そしてその時、私たちの身体は太古の昔と同じように、生き物として当たり前な反応します。すなわちアドレナリン放出とともに警戒心が尋常ではないレベルに高まるのです。しかし、それが必要以上に長く続くのが、PTSDの「過覚醒」という身体の症状です。

ピンポーンという音で飛び上がるほど驚いたり、テレビの音がうるさく感じたり、光がまぶしすぎるように感じられたりします。まるで外界に向かってたくさんのアンテナが向いていて、些細な音や光でもそのアンテナに引っ掛かってしまうようです。一方、そのアンテナが向かっているのは外側だけで、自分の内側には向けられないので、なにかに集中したり、自分の考えをまとめたりすることが難しくなります。考えをまとめる、といっても、何かすごく高尚なことではなく、例えばドラッグストアに並んでいるシャンプーの中でどれがいいのか決める、みたいなことが難しくなるのです。

過覚醒が強い人は、ピリピリして「尖った」雰囲気をまとっているようにみえます。実際、キレやすかったり、イライラしているような態度をとることもあります。

でも、それは毛を逆立てっぱなしなハリネズミに似て、外側にハリをむける一方で、その内面には大きな怯えを抱えています。その人にとっては世界は危険で怖いところです。いつ捕食者が現れるか、常に自分を守るために必死に気を張らなければならず、そしてその状態が「身体の慣い」になっているのです。

 

ずいぶん前に、DV被害から逃げてきた母子のインタビューをしたときのことです。当時小学5年生ほどだった男の子に「なんでも叶うとしたら、今、何がほしいですか」と問うと、彼はしばらく考えた後、

「集中力がほしい」と答えました。

「集中力がほしい」。小学生の男の子の言葉としては、切なすぎて、当時の私が彼を安心させてあげられる言葉を一言も発せなかったことを今でも悔やんでいます。

 

 

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ではまた!

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