カテゴリー: うつ

うつサードプレイスストレス

【マルチタスク】

こんにちは。

2月はどこにいってしまったのでしょう。

飯田橋にあるカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

ええ、生きています。

 

今年に入ってから、論文を投稿するなどというもの慣れないことをやって、本業以外は全くまわらない状態になっていました。

実は本業でも、予約のダブルブッキングやセッションに遅刻するという大失態を引き起こしてしまいました。それでも、お待たせしてしまった患者さんの殆どは、恐縮する私を優しく慰めてくれました。本当に申し訳ない気持ちです。この場を借りて心からお詫びいたします。

ごめんなさい。

 

元々生まれ持った性質もあって、私のようにマルチタスクが苦手な人は一定数います。

知的な作業をつかさどるところは主に大脳皮質の前頭葉ですが、この辺りを「テーブル」とイメージしてみてください。そのテーブルの上に仕事を載せて、同時進行で作業したりできますが、仕事をきちんと選ばずに心のままに(ヤミクモに)載せすぎると、テーブルからはみ出して落っこちてしまいます。

また、うつ症状などの精神症状やストレスなどの外的な状況で一時的にそのテーブルが小さくなることもあります。

そうすると今まではテーブル上にちゃんと載せられていたことでも落っこちてしまうので、やっぱりミスや物忘れが多くなります。

あとは、そう、加齢でもテーブルは小さくなります。

小さくなったテーブルで多くの作業をする時は、テーブルの上にきちんと整理して物を積み上げたりすることが大切です。この積み上げスキルが年齢と共に上手になっていくのは、「良い年のとり方」といっても良いでしょう。

 

ところで、3月になって私のテーブルの上の荷物はずいぶんと片付いたと思います。

改めてどうぞ「薄味の日記」にお付き合い下さい。

 

 

それにしても、みんながやっている、音楽を聞きながら勉強するっていうアレ、どうやってやるのでしょうか。

 

では近いうちに!

サードプレイス

うつストレスセルフケア

【マインドフルネス】知覚の訓練が認知機能をおしあげる

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

先日、医療心理懇話会というところに行ってきました。医療心理懇話会とは、トラウマや不安といったものをキーワードにして基礎神経科学と臨床精神医療の分野の人々が集まって、現在進行形の研究についての知見を深め合う会です。

基礎的研究(例えば、ラットが迷路を走ったり、脳のスライスが出てきたり、脳の画像が映し出されたり、難しい統計が駆使されていました)に関しては、私は全くの浅学者で、殆ど理解不能といってもいいのですが、日常臨床とはまた違った側面の知ということもあってとても興味深いものです。そんな訳で今回も席についてワクワクして聞いていました。

 

発表の一つに、北海道大学のトヨマキ先生による精神疾患の認知機能障害へのリハビリに関する研究がありました。

認知機能とは、注意や記憶、言語、思考、処理速度などのような情報処理的な機能を指す「神経認知」と、他者の非言語的な動作から意図や感情状態を推測したり、共感に関わる機能である「社会認知」の二つの機能を指します。

例えば神経認知の機能が落ちると、忘れ物をしたり、言葉が出てこなかったり、優先順位をつけて、同時にいろんなことを考えたりすることが困難になります。より具体的には、時間を逆算して行動すること(これをすると就業時間に間に合うように出社できるわけです)、お部屋の片付けや料理することなどが難しくなります。

うつになると、この認知機能も多少なりとも下がるので「認知症になったのではないか」「若年性アルツハイマーになったのかもしれない」などと心底心配される方は多いのですが、大抵はうつ症状に伴うものなので、うつが改善すると、以前のように頭がまわるようになり、殆ど問題は感じられなくなります。しかし稀に、認知機能の回復だけが遅れることがあって、気力は出てきたものの、考えがまとまりにくかったり、なかなか頭が冴えた感じにならないと悩む人もいます。

トヨマキ先生の研究でも、大うつ病性障害、双極性障害、統合失調症の人々の認知機能低下の重症度を調べたところ、疾患の種類によるよりも、個人間の差の大きさが際立っているということがわかったそうです。

では、その認知機能の低下に対してどのような治療がされているのでしょうか。残念ながらCRT(Cognitive Remediation Therapy:こういっては語弊があるかもしれませんが、内容は「脳トレ」みたいな感じです)では一定の効果があるものの、それは社会復帰のためには十分ではないという分析が出されました。つまり、認知機能を押し上げるには更なる介入が必要であるということです。そこで導入されたのが「聴知覚訓練」です(この辺から研究自体は大変精緻で詳細だったのにもかかわらず、私の側の理解の制限があり、ずいぶんと端折った感じでお届けしています)。

聴知覚訓練は文字通り、いろんな種類の音を注意深く聞いて、その音程が上ったのか下がったのかを判断させたり、音響処理を施した言葉を区別させたりする訓練です(私も初耳でした)。それを1日1時間、週5回、10週間程度行います。その結果、大変興味深いことに、CRTに比べ相当の認知機能の改善が見られたそうです。

トヨマキ先生の発表から、認知機能の改善のためには、脳トレや学校の勉強みたいなもので、脳の前頭前野を地道に耕すのもいいですが、聴覚、という「知覚」に働きかけることで良い効果が得られるようだということがわかりました。

「知覚」に働きかける、ときいてひらめいたものがあります。

いわゆるそれってマインドフルネスってやつです。

私たちは実際、朝起きてから夜寝るまで知覚とともに生きています。口に含んだ炊きたてのご飯の味、高く晴れた秋の空を眺め、飼い猫のミルクをねだるなき声を聞く。そして外に出ると、肌に触れる風の心地よさを感じ、金木犀の香りは鼻腔を通り抜けます。お風呂に浸かったときの全身を包み込むあたたかい感覚、手を洗う水の冷たさ、敷居につまづいたときのつま先の痛み、これらの知覚を丁寧に意識して、十分な注意を払うことが「マインドフルネス」ですが、それがどうやら認知機能の向上とポジティブな関係にあるのかもしれません(すごくありそうです)。

そう考えているうちに、セッション中にどうしても伝えたい言葉が出てこなかったり、大事なことを言うときでさえ流暢性に欠けてシドロモドロになる私の認知機能にとって、このマインドフルネスという知覚の訓練は必須のような気がしてきました。

 

まずは、オフィスの照明の消し忘れに気をつけなければ・・・・。

そして呼吸に意識を向けながら電車に乗って家に帰るのです。

 

●無意識からのサインに気が付く☞【身体に表現される心】汝自身を知れ

●トラウマケアでもマインドフルネスフルネスでも大事な呼吸☞【トラウマと呼吸】身体を気持ちにフィードバックする

 

ではまた!

サードプレイス

 

うつストレスセルフケア

【ホメオスタシス】からの【高名の木登り】

 

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

何事もそうですが、病にもはじまりがあって終わりがあります。

例えば、風邪だって喉の痛みなどの症状からはじまって、しんどいのは発熱して布団の中でうなっている時で、それから熱が下がってから鼻水がズルズル続くなぁというあたりでは、ひと段落ついている、といったところです。

映画などでは往診した医者が心配そうな家族に「今夜が峠です」というシーンがありますが、大抵は(悲劇でないかぎり)翌朝には治るという筋立てになっています。

病気になっても、自然に元に戻れるのは私たちの中にホメオスタシスという性質があるからです。

ホメオスタシスは生体恒常性ともいわれます。

恒常性は生物のもつ重要な性質のひとつで生体の内部や外部の環境因子の変化にかかわらず生体の状態が一定に保たれるという性質、あるいはその状態を指す。(Wikipedia)

すなわち、私たちの身体は内的、または外的な要因によって一旦バランスが傾くことがあっても、そのバランスは常に反対の力が傾き返すことで、一定の状態を保とうとする作用があるのです。

 

そう考えるとココロの不調の時もホメオスタシスを信じて養生していれば大抵は上手くいくはずなのですが、どうもそれが難しいようです。

その原因は脳みそにあると私はニラんでいます。

私たちの脳はとっても優秀で、身体が動く何倍もの速さで考えたりすることができるので、病に当たっても、身体に付き合って一緒に寝ていること自体相当焦れてしまうようなのです。

それでもすごく具合が悪い時は(つまり峠にいるときは)、頭もちょうどいい具合に「ぼんやりして上手く考えられない」状態にあるわけですが、そうやって休むうちにすこし元気になってきたなぁとなってきたとたんに、頭は身体をさしおいてフル回転しはじめます。

そうなるとあれしなきゃこれしなきゃ、このままじゃだめだ、と考えてみたり、なんでちゃんとできないんだって自分を責めてみたり、挙句の果てには無理して起き上がれという指令を身体に出して、以前元気だったときのように活動してみたくなるのです。

そして、気力を使い果たして、ダウン、振り出しにまた戻る、というのを何度も繰り返す人がいます。そうやってこじらせている間に薬の量も増えていきます。

ココロの不調こそ治りかけの時を大切にしなければなりません。

ココロの不調は登山にも似ています。登りは辛く、険しい道です。目の前にある道を息を切らせながらひたすら登っていきます。峠を越えて、下りに差し掛かると、目の前に風景が広がります。里山の風景です。最初はおずおずと、でも目の前がどんどん開けて人家が見えてくるにつれ、一直線に駆け出したいような気持ちになります。下りの道から里は手を伸ばせば届きそうな距離にも感じるからです。

でも実際登山をした人ならわかるでしょうが、目で一見近くに見えている風景は実際はとてもとても遠いのです(脳みそは自分が見たいものは大きくはっきり見えるようなバイアスをかけます)。駈け出したりしたら途中で遭難してしまうでしょう。逸る気持ちをぐっとおさえつつ、一歩一歩下に向かってジグザグに降りていく必要があります。

 

徒然草にある『高名の木登り』というお話を覚えているでしょうか。

木登り名人だって、高い木に登るとき、ではなく、降りるときに「過ちすな、こころして下りよ」と注意しています。

その通り、「こころして下りよ」なのです。

 

ではまた。

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うつストレスセルフケアトラウマ

【カイゼン】幸せの秘訣の一つをお伝えします

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマミチです。

 

日本の自動車メーカートヨタの生産方式は、今や世界中で知られ、研究されている「モノのつくり方」なようです。

その生産の効率化や品質向上の柱ともなっているのが「ムダ」を見つけ出すことで、これを徹底的にカイゼンしていくことが重要な取り組みの一つとされています。

このようなモノづくりにかかわる作業を高度に洗練し、磨きぬいてきた結果、トヨタのカイゼンの概念や方法論は自動車の生産にとどまらず、広く他の業種の効率化やサービスの向上に役立っています。

 

トヨタのカイゼンに代表されるような、問題点を洗い出してそれを直していく、という素朴な方法は実は、私たちが子どもの頃から慣れ親しんでいることでもあります。

私たちは、子どもの頃から学校や家庭では成績や生活態度について、改善すべきところについて指摘をうけ(もっと民主的な学校や家庭では「話し合い」の形がとられることもありますが)、それを次回の試験などへ生かしていくことで、ひいてはよりよい人生が送れるよう、日々薫陶を受けていたのではないでしょうか。

そのかいあってか、日常の生活の中でも私たちは「なにがいけなかったのかな」と考えて、「よし、次はこうしよう」と過去の反省を将来に反映させて、現状を少しづつ改善していくやり方が板についたものになっています。

このような日々の取り組みはとても大切なことです。それに私たちはなにか問題があっても、それに気が付き、うまく改善していくことが出来たらそこに喜びを感じることができます。

 

一方で、私たちがどうしようもなく落ち込んでいたり、ショックを受けているときはこのカイゼン方式が上手くいかないことがあります。

喪失や病気、トラウマなどの、私たちの力がなかなか及ばない困難に際したとき、過去の反省を将来に生かすという作業は大変に難しくなるし、時にはそれ自体がさらなる重荷になることも少なくありません。

このような時にこのカイゼン方式に拘泥して過去の反省を続けても(それはしばしば、自分を過剰に責めたてたり、繰り返し後悔するような形になるのですが)、改善できそうな側面が見つからず、むしろ自責感に圧倒されて、一層、将来への大きな不安や悲嘆に変わってしまいます。

すなわち私たちは過去への悔恨と将来への絶望感の中に囚われてしまうのです。

 

それでは、このような悪循環(今風にいうと「負のループ」と呼ぶようですね)から抜け出すにはどのような方法が考えられるでしょうか。

それが「ソリューション・フォーカスト・アプローチ」という考え方です。

考え方、というよりもこれも実践であり、練習です。

 

「ソリューション・フォーカスト・アプローチ」は、今足りていないところを見つけてそれを改善していく、という未来志向のやり方とは反対に、今、できているところを見つけて、過去のプロセスを再確認する、というやり方です。

例えば、うつを患いつつも、その日たまたま公園に散歩に出かけている自分に気が付いたとしましょう。

その時に「どうしてこれができているのかなぁ」とあたらめてふりかえって考えてみます。そうすると、自然をめでる心を教えてくれた亡き祖父の存在が思い出されます。子どもの頃に家族で散歩した安らかな思い出があるかもしれません。そして今、足や身体を十分に動かせる自分にも気が付きます。

これらの気づきを当たり前、とせずに充分にありがたいことと再確認してみてください。

このような実践の日々の積み重ねで、自分の中にエネルギーが少しづつ溜まってくることがわかるでしょう。そうすると嬉しい気持ちになるし、それは次の回復へのステップへの原動力となります。

大切なのは毎日繰り返し練習してみることです。

私たちが子どものころから「カイゼン式」を何度も実践して身に付けたように、「ソリューション・フォーカスト・アプローチ」も練習すると自然なふるまいとして上達します。

 

 

実はこの方法は人生における、幸せの秘訣と呼ばれるものの一つなのですよ。

ではまた!

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うつセルフケア

【焦りとセルフケア】とにかく「セルフケア推し」です

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマです。

 

うつ症状などからの回復には休息をとることが大切といわれています。

そのお休みが功を奏してエネルギーがたまってくると意欲、のようなものが出てきます。次に大事になってくるのは、この意欲のようなものを大事に育てることです。

 

うつが回復へ差しかかると、この意欲が焦りのような気持ちになって出てくることも多いようです。よくなってきて、回復に向かって一気に走り出したい気持ちになるのです。

そして以前のように働きはじめたり、たまった家事を一気に片づけたりして、また寝込んでしまうということがあります。そうして自分に失望したり、もう治らないんじゃないかと悲観してしまうのです。

 

このようにエネルギーや意欲がちょっとでてきた、というときに、自分を無理な(と自分ではなかなか気が付かないものですが)仕事に駆り立ててまた具合を悪くしてしまわずに、ぼちぼちと上手に回復の道をたどるには何が必要でしょうか。

 

焦りが出たときに慌てて仕事とはじめたりしてはいけない、むしろ「暇でなにかすることがないかなぁ」という気持ちになるまで待ちなさい、といわれていて、これは本当にいい表現、アドバイスだなぁと思うのですが、なかなかに難しくもあるのです。

日常生活の中で自分のエネルギーが十分にたまるまで(そして暇だなぁ、と思えるまで)じっと待っていることほど辛いことはありません。

人は「なにもしない」とか「なにも考えない」という課題が苦手です。「ピンクの象のことだけは思い浮かべないでくださいね!」といわれると、ついピンクの象がフワフワ浮かびだしてしまうアレです。

Human beingをもじってHuman doingと揶揄されるぐらい、私たちは「なにかしている」生き物で、またそれが自然な姿ともいえるのかもしれません(もちろん修行を積んだお坊さんのようにHuman beingを実践できている人もいます)。

まだ修行途中の、なにかせずにはいられない私たちの味方になってくれるのがセルフケアです。

適切に自分を休ませられるようなたくさんのセルフケアのアイディアを考えて、実践してみてください。

セルフケアは課題とかノルマではなく、遊びであることが大事です。それによって感情や考えのストレッチができますし、身体のストレッチは文字通りストレッチ、ですよね。

そして一つセルフケアを実践してみたら、「休めたかな、楽しかったかな、気分転換になったかな」とその効果を検証してみましょう。

よかったセルフケアをまた実行してその効果を確かめて、また実行する。この繰り返しが大切です。

休めている、そしてその休みの計画が自分で立てられて、実行できている。

それがまた自信の気持ちにもつながるのです。

 

「セルフケア推し」の今日の日記でした!

ではまた。

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