カテゴリー: サードプレイス

サードプレイス

【試験勉強中】今さら

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

今まさにこの瞬間の話ですが、週末の心理関係の国家試験に向けて涙目になって勉強しています。

小1の夏休みの最後の日、8月31日の真夜中に読書感想文を書いて以来の涙目です。

来週あけたら、トラウマ体験からの解離症状、回避、対人関係などなどに関して、複雑性PTSDに関してもっと、ブログで書きたいなって思っています。

そうそう、こうやって試験なんかで追い込まれるといろいろとアイディアが浮かんできてしまう、例のあの状態になっているのですよ。

まずはオフィスの片付けをしてと・・・。

 

ではまた来週!

 

 

 

 

 

サードプレイスストレスCBT-E心理療法

【CBT-E】摂食障害のための認知行動療法

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

先週の日曜日、久しぶりにすごいものを習ってしまいました。

摂食障害のための認知行動療法、CBT-Eです。

CBT-EのEは(当初浅はかにもそう思った)EatingとかのEではなくて、EnhancedのEです。その名の通り、摂食障害にEnhanced:強化した、特化した認知行動療法です。

実は、日本では長らく摂食障害は心理療法では治らない、とも言われていて、摂食障害への対応は主に内科の医師による入院加療や栄養士による栄養指導が柱となっています。医療的なケアの中心は低体重の患者さんで、健康体重まで戻すことで、低体重が引き起こす身体的なリスクを減らすことを目的としています。しかし、体重が戻っても、摂食障害の考え方や行動様式は、その後も続き、苦痛を感じている人は少なくなりません。

医療的なケアの後や極端な低体重ではない人々に対しては、摂食障害の自助グループ活動に一定の効果が報告されています。自助グループでは、自分が感じている苦痛は実は症状に共通のもので、多くの人も同じように悩んでいると知ることや、過食や嘔吐などをしないように互いに励ましあい、支えあうことができるからです。

これまでどうして摂食障害になるのか、その疾病の原因みたいなものがあやふやで、原因があやふやな時には担ぎ出される例のあの考え方、「親の育て方が悪い」「母原病」みたいな考え方も医療業界では根強く、医師や看護師に怒られて自責の念にとらわれる母親たちに対しても、私は心を痛めてもいたのですが、CBT-Eでは、病の原因論とは全く違う切り口で摂食障害に対処するところが、すごいもの、という所以でもあります。

この心理療法では、いわゆる摂食障害の人が、体重や体形にこだわるあまり、それらをコントロールすることに自分の人生の時間の大部分を費やしている、ということを問題の中心に据え、そのこだわりを維持する様々な行動や生活の様式、例えばボディイメージの問題や自分に課した食事のルール、ストレスな出来事やネガティブな感情などをターゲットに据えて、きっかり20回のセッションで取り扱っていきます。

そして、このセラピーを受けた三分の二以上の人に効果があった、というエビデンスも示されています。

私はCBTには熟練しているといっていいものの、摂食障害というテーマに関しては経験の浅いセラピストです。でも研修会では摂食障害の専門家であるコハラ先生(仮名です)とお隣同士の席だったものですから、わからないところをいろいろと教えてもらい、とても楽しく学べました。

例えば、テキストに摂食障害の人のよくみられるルールとして「一緒にいる人より多く食べない」というのが書いてあったりして、なんのこっちゃらと思ってコハラ先生に聞くと、「ああ、それは例えば、たまたまその時一緒に食事している友人や家族なんかと比べて、その人よりも自分の食事の量を少なくするっていう、摂食障害の患者さんにありがちな独自のルールのことなんですよ」って教えてもらい、なるほどそうか、と思ったものでした。

コハラ先生は長らく摂食障害の臨床をされていて、現在は日本におけるCBT-Eの効果研究もされているのですが、研修会では改めてこのセラピーが「よくできてるわぁ」と感心していました。そして隣で私も「本当、よくできてるわぁ」と頷いていたのでした。

早速、このセラピーに協力してくれそうな患者さんもみつかり、サードプレイスで新しい臨床がはじまりそうな予感に、わくわくしています。

 

CBT-E後日談☞【摂食障害のための心理療法】過食をストップさせる勢い

ではまた!

サードプレイス

 

 

サードプレイス

【ひとりムーブメント】プチフェミ的な行動の効果

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

私の母は北九州の封建的な家で生まれ育ちました。そういうなにかと制約の多い環境で育った子どもは往々にして両極端な道を辿ることになります。すなわち、封建制が骨の髄まで染みついた立派な継承者になる道と、もしくは反対に、旧来のやり方に反逆するアマノジャクになる道です。

亡母の場合は、反逆児でした。殊更に、男尊女卑的な習慣に対してはムキになるところがありました。

あの昭和の時代に、エプロンなどは女性に家事を押しつける象徴である、などと言って、決してつけようとはしませんでしたし、女性の性に対するタブーについては容赦がありませんでした。例えば、母の故郷では月経中の女子を「穢れ」として、「しまい湯」(家族の中で最後にお風呂に入ること)に入らせる習慣があったそうですが、これも「非科学的で野蛮な風習」である、と一刀両断にして、自分の三人の娘を前にしていついかなる時も入浴するように、と厳命したものです(ここだけの話ですが、私を含め三人の娘は母のことを密かに「軍曹」と呼んでいました)。

そんな母のジェンダーセンシティブな薫陶(?)のせいか、社会に出てから特に、自分が女性であることを持て余し、女性であることの難しさを感じていた私は、自分を解放すべく、私なりのプチフェミ的な運動をしようと思いつきました。

どこからこのアイディアが出てきたのか今となっては思い出せませんが、とにかく私は生理用品を買うときにレジの人に「袋はいりません」と(高らかに)宣言するという運動をはじめたのです。

当時、生理用品を買うと、お店の人はビニールの手提げになった透明な袋の中に入れる前に、まず紙の袋に丁寧に入れて隠してくれるので、外からは何が入っているのか見えないような仕組みになっていました。

その習慣(生理用品を紙の袋にいれて見えないようにする)対して、「生理用品は隠さねばならないような恥ずかしいものではない」という母からのメッセージが聞こえたのかもしれません。

とにかく私は生理用品を買うときに「袋はいりません」というようになりました。そのうち「シールでいいです」と言ってむき出しのまま生理用品を手にもってお店を後にするようにもなりました。

こうして私の「ひとりムーブメント」とも呼んでいた運動は20年以上続いていたのですが、思いもよらない科学の進歩というか、お店側の工夫で終焉を迎えることになりました。

黒い(もしくは灰色の)、中身が見えないビニール手提げ袋の登場です。

今まではお店の人がガサガサとレジの下のほうから紙の袋をあさって出している間に、私は華麗に「袋はいりません」と言えていたのですが、この中身の見えない袋が登場してからはお店の人が「シュパ!」と袋を出すスピードのほうが速くて、なかなか「袋がいりません」を差し挟む余裕ってものがなくなってしまったのです。

そんなんで私のひとりムーブメントはなんとなく終わってしまいました。このちょっとしたチャレンジは最初のほうは勇気もいったけれど(この運動の初期、私は20代だったということを考えてもみてください)、いろいろ考えさせられる愉快な試みでもありました。

女性の性について、私なりに考えて行動してみた、とちょっぴり胸を張っていえるものになったのです。たとえ、それがなんかしらの成果を残さなかったとしても、です。

今、Me Tooの運動のような大きな運動から、ひとりではじめている小さな運動まで、さまざまな運動にさまざまな形で参加しているたくさんの女性たち(モチロン、男性たちも)を私は心から応援しています。

そうやって自分を表現したり、行動したりすることで、きっと自分に胸を張れるような気持ちになれますよ、と先輩面して言ってみたりしています。

 

●行動してみることでできることがあるよ:幼稚園の思い出☞【ハラが決まる】までの活動

ではまた!

サードプレイス

 

 

 

 

 

 

 

サードプレイス

【診断と薬】ADHD治療薬の宣伝ビデオをみて考えたこと

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

私が病院で働いていた頃の話です。

職場では製薬会社による薬の説明会というものがちょくちょく開催されていました。

どんなものかというと、仕事の後に会議室に集まって、製薬会社が用意した立派なお弁当を食べながら、営業(MRと呼ぶようですね)がパワーポイントを使って精神科治療薬の説明をするのに耳を傾けるのです。

もう少し大きな規模になると、学会のランチョンセミナー(参加者は無料で製薬会社が用意した素敵なお弁当を食べながら、薬の説明を兼ねた講師の先生の話を聞くことができます)やホテルの宴会場での研究会(参加者は研究テーマにそった演者の発表を聞く前や後に、製薬会社の担当者から薬の説明を受け、その後大抵はビュッフェ形式の夕食を食べ、製薬会社が用意したタクシーで家路につくことにができます)というものもありました。

薬を売り出すために膨大なお金が使われているんだなぁというのが当時の率直な感想です。そしてその売り出しにかかったお金は薬の出荷が増えると、その売り上げによってチャラになるわけです。

そういうわけで、診断が出される数と薬が出荷される数は親密ともいえるつながりがあります。薬を売る方としては診断が増えることは大変に喜ばしいことです。

一つの例として以前、SSRIが市場に出たのと、「うつは心の風邪」という啓発活動がされて、従来なら見過ごされていた軽いうつでも受診を促して治療(薬の投与)につなごうとした動きとは無関係とはいえないといわれています。SSRIは入院が必要ではない「軽症のうつ患者」用の薬であったため、市場に埋もれているはずの大勢の軽症のうつ病患者を掘り起こして診断につなげる必要がありました。

 

そして今、なんといっても流行りなのは、さまざまな著名人がカミングアウトしたことでも話題になっているASD(自閉症スペクトラム症)、いわゆる発達障害です。

うつとSSRIの関係になぞらえてみると、診断が出されるのは治療(薬)があるからに違いありません。実際、ここ10年あまりの間にストラテラやコンサータ、インチュニブがオトナのADHD(乱暴にくくってしまうとASDの仲間)に処方できるようになりました。

私が贅沢なお弁当を食べながらみた製薬会社のADHDの治療薬宣伝ビデオはこんな具合です。

↓ ↓ ↓

主人公は40代の既婚女性。仕事をしながらの忙しい毎日の中でどうしても家事が回らない、仕事でもミスが頻発するという悩みを持っています。どのくらい家事ができないかというと、洗濯物を干しても取り込めず干しっぱなし、夕食が作れなかったり、部屋も散らかったまま。会社でも重要な書類を忘れて上司に怒られてしまいます。夫はだらしない妻に嫌気がさし、離婚。

こんな自分を責めて精神科受診した主人公は主治医に診断を受け、ADHDの治療薬を飲むようになりました。そうしたら、だんだんと家のことが回るようになり、自信がついた主人公はついには事業を興して自分らしい働き方を手に入れられるようになるのです。

 

私がこの宣伝ビデオをみた最初の感想は「夫、離婚する前に家事手伝えよ」といったところでしたが、でもよく見ると、このビデオには重要なメッセージが含まれています。それは宣伝戦略といってもいいかもしれません。

すなわち、ADHDの治療薬のターゲットは家庭や仕事、または子育てや介護などで人生で一番忙しい時期にいる40代女性である、ということです。なんといってもこういう毎日が戦争状態の40代女性は大勢いて、薬の消費者層として考えるととても厚く手堅いところです。

それを大変だね、と共感的にサポートしたり、家事の負担をどうやって減らしていけるか工夫するよりも(実際そのあたりは宣伝ビデオでふれられてはいませんでした)、ADHDと診断してストラテラなりコンサータなりを処方する、という力強いともいえるメッセージがありました。

このような、消費者層を広げるという戦略は、SSRIが入院を必要とする重症のうつ患者ではなくて、軽症のうつ患者に対象のすそ野を広げて沢山の出荷を遂げたあのやり方と同じです。

 

私は精神科治療薬すべてに懐疑的なわけではありません。統合失調症や双極性障害Ⅰ型、重度のうつ病などの、時には入院を必要とする患者さんには薬が大変助けになる時があります。

ただ、程度問題ということです。

アメリカで爆発的に売れたSSRIの仲間であるプロザックという薬は今は発売中止になっています。プロザックの副作用だといわれている「自殺」が問題になったからです。

そうやっていろいろ考えていると、なんというか、もろ手をあげて薬を服用したいという気持ちになれない私がいるのです。

●そもそも精神科治療薬について考えるきっかけになった本☞『ヒーリー精神科治療薬ガイド』

 

ではまた。

http://www.office-thirdplace.com/