カテゴリー: サードプレイス

サードプレイス心理療法

【30分か60分か】心理療法のセッションの時間について

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマです。

 

心理療法のセッションの時間ってどうやって決まるのでしょうか。

例えば中学校や高校の授業の50分間、とか大学の授業の90分間などは、

「ヒトの集中力の持続時間」

などとまことしやかにいわれています。

そんな中、心理療法もなんとなく1時間、と決まっていることが多いようです。臨床心理学を教える大学院の実習施設でも、セッションの時間はなんとなく(私が授業中に寝てたかなんかで知らないだけで、レッキとした意味が教えられたかもしれませんが)一時間程度です。

PEというトラウマ焦点化した心理療法に関していうと、その時間は90分間と決められているのですが、講習会ではこの90分という時間が必ず問題になって「一時間で実施できないのですか」という質問が飛んできます。この質問は日本でもアメリカでも飛んでいたので、たぶん心理療法は一時間というのはユニバーサルな常識なのかもしれません。

実際、一時間というセッションの時間の意味は大きなものです。

例えば一時間の中では、感情が揺さぶられるような出来事について話しをして、その状況の整理を行い、何かしらの洞察を得て、今後への対処につなげるという作業があります。

感情も込みで出来事を話すとなると、どうしたってその出来事を話す時間は正味30分は必要です。なぜなら感情を言葉やその他の方法で表現することで、内的(もしくは身体的に、といってもいいですが)にしっかりと体験すると、それが自然と収まってくるのに30分程度かかるからです。

☞人の感情が30分程度で収まってくるという話についてもっと知りたい→【タイムアウト】

認知(考え)と違って、人間の感情はもっとオーガニックなもので、その自然な流れをせき止めてもいいことはないのです。そこは時間を十分かけて丁寧に感情につきあいます。

 

30分くらいして落ち着いてくると、すこし客観的になって自らその体験の分析ができるようになります。分析ができると、なるほどこういうことだったのかと腑に落ちたり、ああ整理ができて気持ちが落ち着いた、とか、よし次はこうしてみよう、とかなるのです。

 

一方で精神科のクリニックなどで保険の心理療法を受けると30分がひと枠になっているところが多いようです。これは診療報酬の関係で(つまり、「30分以上の通院精神療法」という診療報酬の枠があって、「30分以下の精神療法」よりも少々料金が多めに取れるのです)オトナの事情によるところが大きいです。

そんなオトナの事情を差し引いても30分の心理療法の意味はあるようです。つまり、30分の枠だと先ほどの一時間の枠と違って、セラピストはクライアントの感情の表出を促すことはありません(促しても、途中で時間終了!となってしまうため、あまり回復促進的ではないからです)。感情を表出することにためらいがあったり、まずはそんなに深く掘り下げることなく、日常生活の中での悩みの解決などが目的の場合は、30分の枠の心理療法のほうが安心して受けられると思います。

普段は30分、しっかりと取り組みたいときは一時間、とその都度分けて心理療法を利用する人もいます。そういう予約の取り方も、自分を守りつつ自分のペースで回復する、という点で優れているよい工夫だと思います。

 

実際に話してみると一時間ってアッという間かもしれませんが、セラピストは時間配分を患者さんにとって最大限に生かせるよう、考えながら話を聞いています。

(少なくとも時間配分に関しては)安心してお任せください。

 

では!

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サードプレイス心理療法

【カウンセリング入門】話すことは手段にもなります

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマです。

 

「心理のカウンセリングは話すこと自体が目的です」と高らかに宣言した舌の根の乾かぬ内にこんなこというのもなんですが、カウンセリングでは大抵、話すことを通じて向かっている方向性や目標があるものです。

 

初回面接とかインテーク面接とか呼ばれるものは、はじめてセラピーに訪れた人とセラピストが行うセッションですが、その中で、セラピストはその人の悩みなどを聞き、その人に関わる周辺情報を聴取する間に、その頭の中にはその人が今抱えている課題とかこれからの方向性(これが目標ですね)がざっくりと浮かんできます。

セラピストが理解したものと、方向性を患者さんに示して、患者さんもそれに同意(というよりも程度の差はあれ「腑に落ちた感じ」が必要です)すれば治療のはじまりとなります。

そんな小一時間程度で人間がざっくりとでもわかるはずがない、と感じるかもしれませんが、人間の悩みは驚くほどパターン化されている部分があって、セラピーを通じてたくさんの人に会っているとそのパターンを見つけ出しやすくなるものです。

精神科の診断名がそのパターンになる時があります。

発達障害やうつ、PTSD、双極性障害、強迫性障害、摂食障害とかをパターンとして考えてみてください。

また、ライフサイクルに伴う課題や葛藤などの心理学的なアプローチが理解を助けてくれることも多いです。例えば中年の危機とか母との葛藤とかそういうものです。

さらに、社会的環境の変化に伴うパターンもあります。育児の困難とか介護問題なんかはそれにはいるでしょう。

実際はこれらのパターンは複合的に絡み合っているものですが、そこからざっくりとした見立てとそれに対する対処が見えてきます。

 

そんな方向性を患者さんと共有したあとに、さぁ、いよいよはじめよう、となるのですが、よっぽどの事情の時を除いて、問題に対処するための●●心理療法にすぐに入っていくことはありません。

まずはセラピストと安心して話せることや、自分の感情や考えを言語化する練習から入っていくわけです。

ここで大事なのは、「しっかりと自分の話ができた」という感覚が安心感と認知機能の増大(頭が回ってくる、という意味です)をもたらします。

なので、しっかり話しができた段階でずいぶんと症状消失とか悩みが解決している人もいますが、それでも人の悩みは深いもので、それから問題に焦点をあてた●●心理療法を行う段階に入る方も多々あります。

そして、この時点で患者さんとセラピストはしっかり共通の目標に向かっていて、お話するということはすでに目的ではなく、手段となっているのです

 

時折、「心理のカウンセリングにちょっと通ってみたけど、カウンセラーは聞いてくれるだけでなんにも言ってくれないので疲れて(または効果がないって思って)行かなくなりました」

という話を聞きます。

なぜこういうことが起こるのでしょう。

先ほどの話からすると、セラピストはしっかり話すということを通じて改善を促している最中だったのかもしれません。

もしくは、セラピストは見立て自体がわかっていなくて、とりあえずお話を聞いて、患者さんが自発的に改善してくれないかなーと神に願っている最中だったのかもしれません。

 

どちらにしても、そういう不満だったり、違和感だったりするのをセッションの中で話してもらうのは大切なことです。セラピストは(というより私は)、パターンがあるものに対しては割合と知っているものですが、今ここで患者さんが感じているその人固有の感じ方や考え方に対しては(これまた驚くほどに)疎いことがあります。

ネガティブなことであってもそれを言葉で伝えてくださると助かります。

言葉で伝えてくれるとセラピストも改善することができるのです。

 

ではまた。

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サードプレイストラウマ

【トラウマは伝染する】本当かな?

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマです。

 

代理受傷という概念があります。

また二次的外傷性ストレス、とか、共感疲労からの燃え尽き症候群という概念もあります。

平たくいうと、凄惨なトラウマの話をずっと聞いていることで、支援者もその影響を受けて、うつっぽくなったり、PTSDっぽくなったり、感情が麻痺したりして仕事が続けられなくなる状況のことを指しています。

こういう言葉を知識として、または直感的にクライアントさんたちはよく知っていて、時折私のことを労わってくれたり、心配してくれたりします。

 

でもそんなに心配しなくても大丈夫なのです。

もちろん代理受傷などの概念は、正しいところはあるし、有用なところもあります。

支援者(医師やソーシャルワーカー、看護師、心理士など)が被害者が語るトラウマの話を聞いて動揺するのは、専門家であっても至極当然で、助けを求めてもいいことやセルフケアが大切であることをきちんと説明してくれたので、堂々と私たちは助けてって言えるし、マッサージに行くこともできるようになりました。

 

私がはじめて心理士としてトラウマの支援にかかわったのは15年以上前のことでした。ある海辺の町の女性センターに通ってDVの被害を受けた女性を対象にカウンセリングを行っていました。

当時から私は女性たちに感情的な思い入れがあり、どの女性に対してもポジティブな気持ちが持てましたし、何人かの女性には尊敬の気持ちをも抱いていました。

それでもそのうちに、だんだんと自分がしょげたような気がしてきました。帰り道にはしばしば身体の重さを感じて足取りが重くなりましたし、さまざまなDV夫の(それもいろんなバージョンの)卑劣ともいえる話しを聞くうちに、自分の周りの男性に対して、なんだか不信感のようなものを感じるようになりました。

そういう自分に気が付いたとき、私は自分にできるいろんなことを意識してやってみました。

身体を休める方法を工夫したり(その時に人生で多分はじめてのマッサージに行った記憶があります)、今まで関わってきた、心優しい善良な男性たちのことを思い浮かべたりして、考えのバランスを取ってみたました。

また職場で一緒に働いている人たちと事例について話し合ったり、または全く関係ないおしゃべりをして自分の中の「風通し」がよくなるようにように調整しました。

でも、なによりも大きな変化は、ちょっと思いもよらないところからやってきたのです。

元来インドア派で、冬は寒くてキライ、夏も暑いし虫もいるからキライといっては、家でダラダラしているのが好きだった私が、帰り道の海で、その色合いと波の形が刻々と変わっていく様にみとれ、頬といわず全身をなぶってくる重みのある風と、規則的に打ち寄せる波の音や潮の匂いに心の底からほっとしていたのです。

遅ればせながらここにきて、自然に対してこれまでにない親密感を感じ、海と身体的、感情的につながるという感覚で癒されるという体験ができたのです。

その時に私が感じたのは、私という人間は確かに、女性たちの凄惨ともいえる話をたくさん聞いてしょげていたけれど、いい方向にも変化しているなっていうことです。その変化は、しょげてた分を補って余りあるほど人生にとって本質的な変化でした。

 

今でも患者さんの話を聞いてしょげることはあるのです。でもそれにどう対応すればいいのかわかっているし、変化していく私がいます。

トラウマの話を聞いて、具合が悪くなることなんて最終的にはありません。

安心してなんでも話してほしいし、心から大切に聞きたいと思っています。

 

ではまた。

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サードプレイス

【練習】セラピストが応援させていただきます

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマです。

 

ブログを見直してみて今更ですが、セルフケアのための練習、感情に気が付くのにも練習、果てにはリラックスしたり呼吸するのも練習、といっていて、まるでサードプレイスは部活動か虎の穴(『タイガーマスク』に出てくる例の養成所です)のようです。

こんなに練習、練習といってたら、読んでくれている人は嫌になってしまうのではないかとふと心配になって今日の分を書いています。

というのも以前、私が練習、練習と連呼していることに対して、患者さんたちから「そりゃあ、ナカヤマさんは体育会系だから練習は慣れてるでしょうけど」とイラッとされたこともあるし、「ナカヤマ先生は体育会系なんですね・・・」と嘆息されたこともあるからです。

 

私が体育会系だなんて大きな誤解です。

生来、身体を器用に動かすということが不得手で、キャッチボールのような複雑な動きを要するのものはおろか、普通に全速力で走ることさえままならなかった全くの運動音痴の私は立派な(?)帰宅部で、日も高いうちに家に帰ってはコタツに寝転んで、昔のTV番組の再放送を(『タイガーマスク』もふくめ)見るのを無類の楽しみにしてたくらいなのです。

そんなコタツに寝転んでいた私が練習、練習というのはわけがあって、それは大人になって気が付いたことですが、実際、練習って楽しいという感覚と深く結びつくことができるものだからです。

 

例えば、はじめてのテニスでコーチとラリーなんかをするとき、よいコーチはどんな玉でも上手に受けて、返しやすいところに返してくれます。そうするととっても楽しくてラリーをどんどん続けたくなります。

自分では夢中で玉を返しているだけでも、コーチはフォームやラケットの使い方などをしっかり観察して、上手くなってきた点を見つけてそれを伝えてくれるので、自分でも上達が実感でき、ますます楽しくなります。

 

心や身体に関わるさまざまなスキルを得たり、心の回復に向けた心理のセッションでの練習も、テニスの練習と同じくポジティブな感情を大切にして行われます。

セラピストは相手の、その人自身が気がついている以上に、気持ちや考え、行動の細かな変化をちゃんと見ています。我慢したり、やみくもに練習するのではなく、その時々の自分の変化に気がつくことで喜びを感じたり、ホッとしたり、また時には(いい意味で)驚いたりしながら、回復を実感できるのです。

ある程度までスキルが上達すると、しばらく停滞状態になるような時期があります。これをプラトーといって、その時期は気持ちも落ち込んだり投げやりになったりするものですが、そんな時こそしっかりと応援させていただきます。

 

そんなんで近々、自動思考(認知療法の用語で、「私には無理だ」とか「みんな私を嫌っている」みたいに、ふと頭をよぎるネガティブな考えのことです)をつかまえる練習についても書けるといいな。

 

ではまた!

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サードプレイス心理療法

【カウンセリング入門】上手く話せないと思うときはあなたのせいではなく、カウンセラーのせいなのです

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマミチです。

あらためて、カウンセリングって何でしょう(この問いに関しては臨床心理学の教科書に重厚な文章でもって記述されていますので、そちらも参考にどうぞ。でも私の考えはちょっとだけ違うのでここに書きたいと思いました)。

カウンセリングという言葉は多くの場面で使われています。

心理のカウンセリングとその他のカウンセリング、例えば住まいに関するカウンセリング、保険のカウンセリング、カウンセリング化粧品、英会話の(講師でも受付でもない)カウンセラーなどなどいろいろありますが、それらとは実際どう違うのでしょうか。

 

お店(英語教室やエステサロン、という場面もあります)では、お店の人が、時間を取って丁寧に聞き取りを行ういうプロセスを通して、顧客に商品(サービスを含む)を購入してもらう、というゴールに向かうことを「カウンセリング」と呼んでいます。

すなわちここでは、「カウンセリング」は、目的(商品を購入してもらう)のための手段(ニーズを聞いたり、商品説明したりする行為)なのです。

 

心理のカウンセリングはそれとは違い、お話しすること自体が目的です。

自分の大切な話や悩み事を相手に話してきちんと受け止めてもらうと気持ちがほっとするし、身体が軽やかになります。

そうするともっと自分に集中して自分のことが考えられるようになります。それが自分の過去の出来事についての整理を促したり、現在の症状への対処が上手くなったり、これからの人生についてポジティブな気持ちを持つことにつながります。

 

一方で心理のカウンセリングでよくなった気持ちがしないばかりか、疲れたり混乱した、という人もいます。

これは、決してその人のせいではありません。聞き手(カウンセラー)が上手に聞けていないせいなのです。

 

しばしば私たちは自分の話が相手に伝わらなかったとき、自分の伝え方が悪かったせいなのかと考えたり、そもそも自分の話は誰にもわかってもらえないのかもと感じたりします。

だから、カウンセラーと話しているときにも上手く伝わっていないような違和感を感じると、つい自分のせいにしがちです。

でもここで心に留めておいてほしいのは、カウンセリングであなたがうまく話せないのはカウンセラーのせいだ、ということです。

そういうときは、どうやって聞いてもらったら話しやすくなるのか伝えてください。または、どのようなことが話そうとするときに邪魔になっているのか言ってみてください。

カウンセラーはそれらのことについて真剣に取り組んだり、修正したいと思っています。

 

でも、まれに「自分のスタイル」を押し通したいカウンセラーもいます。

そういうカウンセラーはオハライバコにしちゃって次に行っていいのです。

 

カウンセラーをオハライバコにした後にもっと知りたいという方はこちら☞【カウンセリング入門】話すことは手段にもなります

ではまた!

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