カテゴリー: トラウマ

トラウマ複雑性PTSDPE

【トラウマ後の症状】アンテナが全開

こんにちは。

飯田橋のカウンセリング・オフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

PTSDは、精神科で診断されるもので、「精神の症状」とみなされています(それはもちろん間違いありません)。でも、多くの人はPTSDを「身体の症状」として感じるとも言っていて、そんな訳で、今日は「過覚醒」の話です。

 

「過覚醒」はPTSDの4つの症状のうちの一つです。

この症状について語るために、太古の昔にまで遡りたいと思います。

すなわち、私たちが丸腰でサバンナみたいなところをてくてくと歩いていた頃の話です。

私たちは足も遅いし、身を守るための頑丈な牙や鋭い爪はおろか、分厚い皮膚も持っていないので、上位捕食者にとっては絶好の獲物でした。

ある日の出来事です。いつものように歩いていたところ、草陰からトラが飛び出してきました。あなたは死ぬほど驚きましたが、トラの鋭い爪があなたの背中をケサギリにする、すんでのところで身をかわし、脱兎のごとくその場から逃がれます。

このような危機的状況に置かれると、あなたの血中にアドレナリンが放出されます。アドレナリンの放出によって、あなたは長い時間疲れを感じることなく走り続けられます。トラの爪がかすった傷口からの出血は最小限に抑えられて、痛みも感じにくくなります。そのようにしてアドレナリンは生き延びるための余分なエネルギーを与えてくれるのです。

身体が与えてくれたアドレナリンと幸運に助けられて、あなたは安全なところまで逃げおおせることができました。

その日はしかし、当然ながら眠ることができません。「本当に危なかった」と何度も考えます。少しの物音にも敏感になって、飛び上がったり、その度にどっと汗をかいたり、心臓がはちきれそうになります。喉のあたりが苦しくなって、息がしづらい感じになります。身体を緊張させて、トラの気配に何度も耳をそばだてます。

このような警戒態勢は、実際に危険な場面では役立つものです。トラが再びやって来れば、素早く気がつくことができるので、逃げ出せる確率が高まるでしょう。私たちの身体は本当によくできていて、自分が生き延びるための機能がきちんと備わっているのです。

 

現代ではトラに襲われることはあまりありませんが、かわりに暴漢に襲われることがあるし、配偶者に襲われたり、親に襲われたりもします。そしてその時、私たちの身体は太古の昔と同じように、生き物として当たり前な反応します。すなわちアドレナリン放出とともに警戒心が尋常ではないレベルに高まるのです。しかし、それが必要以上に長く続くのが、PTSDの「過覚醒」という身体の症状です。

ピンポーンという音で飛び上がるほど驚いたり、テレビの音がうるさく感じたり、光がまぶしすぎるように感じられたりします。まるで外界に向かってたくさんのアンテナが向いていて、些細な音や光でもそのアンテナに引っ掛かってしまうようです。一方、そのアンテナが向かっているのは外側だけで、自分の内側には向けられないので、なにかに集中したり、自分の考えをまとめたりすることが難しくなります。考えをまとめる、といっても、何かすごく高尚なことではなく、例えばドラッグストアに並んでいるシャンプーの中でどれがいいのか決める、みたいなことが難しくなるのです。

過覚醒が強い人は、ピリピリして「尖った」雰囲気をまとっているようにみえます。実際、キレやすかったり、イライラしているような態度をとることもあります。

でも、それは毛を逆立てっぱなしなハリネズミに似て、外側にハリをむける一方で、その内面には大きな怯えを抱えています。その人にとっては世界は危険で怖いところです。いつ捕食者が現れるか、常に自分を守るために必死に気を張らなければならず、そしてその状態が「身体の慣い」になっているのです。

 

ずいぶん前に、DV被害から逃げてきた母子のインタビューをしたときのことです。当時小学5年生ほどだった男の子に「なんでも叶うとしたら、今、何がほしいですか」と問うと、彼はしばらく考えた後、

「集中力がほしい」と答えました。

「集中力がほしい」。小学生の男の子の言葉としては、切なすぎて、当時の私が彼を安心させてあげられる言葉を一言も発せなかったことを今でも悔やんでいます。

 

 

●PTSDの4つの症状のうちの一つ、侵入症状☞【トラウマ後の症状】フラッシュ・バック

●PTSDの4つの症状のうちの一つ、回避症状☞【トラウマ後の症状】人の中にいても一人

 

こちらもどうぞ

●DVについて☞【PTSD】と【複雑性PTSD】

●子ども時代のトラウマ☞【複雑性PTSD】診断がつく、ということは治療法があるということです

 

 

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ストレストラウマ複雑性PTSD

【寝る子は育つ】子どもの不眠

こんにちは。

飯田橋のカウンセリング・オフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

私は成人のセラピーを専門としていますが、子どもと話す機会もたまにですが、あるのです。

 

ヒメちゃんは11歳、キラキラした目がかわいい、活発な女の子です。

セラピーが好きで自分でもいろいろなセラピーを開発して教えてくれるのでした。練り消しを触っているとココロが落ち着くというので「練り消しセラピー」をすすめてもらったこともあります。ヒメちゃん曰く、練り消しを触りながらセラピーをするとより良い効果が生まれるそうです。

ある日、ヒメちゃんが質問してきました。

 

「ねぇねぇ、ナカヤマ先生」

はいはい、なんでしょうか(子どもと接するときに、おばあさんっぽくなるのは私だけでしょうか)。

「朝起きれなくって学校に行けないからお母さんに怒られるんだけどどうしたらいいかなって思って」

あら、学校に行けないばかりかお母さんに怒られるんじゃ、ダブルパンチだね。

「そうなの」

朝起きれないって言ったけど。

「眠くて」

そうか、朝は眠いものね。

「うん」

夜は何時にお布団に入っているのかなぁ。

「9時くらいに寝ましょうってなってる」「家族で一緒に寝るんだけど、私は12時まで眠れない」

ええーそれは大変だね。12時までお布団の中で起きているのってしんどいでしょう。

「うん。それにね、夜の11時にね、ゴーンって銅鑼の音みたいな地響きみたいな音が下の階から聞こえてくるの」

銅鑼の音みたいな地響き・・・・。なんだか怖いね。

「うん、すごく怖い。絶対11時にゴーン!ってなるの」

絶対11時に・・・。

「11時になってくるとすごくドキドキして、来る!来る!って思う」

わー。それはドキドキするし、怖いね。その中でどうしているの。

「早く寝たいから、お布団を身体にぎゅうぎゅうに巻き付けたり、頭を枕にゴンゴン!って打ちつけたり、目をぎゅうってとじて、息を止めたりするんだけど眠れないの」

そうか、自分でいろいろ工夫しているんだね。じゃあ、お布団の中でできるリラックスする方法を一緒に試してみようか。ここで練習して、お家で試してみて効き目があったらオッケーだし、効かなかったら他の手をまた練習しよう、それでどうかな?

 

どうして銅鑼の音がなるのかわからいままでしたが(しばしばセラピーの中では判断保留にならざるを得ない不思議なことが語られるのです)、この提案にヒメちゃんは同意し、かくして二人でヒメちゃんの安眠のための方策を探すことになりました。

 

「寝る子は育つ」と言いますが、子どもがきちんと寝られるかどうかは、子どもの性格というより、子どもを取り巻く環境にかかっているといっても過言ではありません。ヒメちゃんの家はお酒に酔っぱらったお父さんが夜遅くに帰ってきて暴れたり、お母さんと「バトル」したりすることが度々あったようです。

不眠に悩む大人と話していて、そういえば子ども時代から不眠だった、と気が付く人が割といます。そういう人たちは、ヒメちゃんのお家のように、お家の中が安全でなかったり、または眠るために必要なことを教えてもらってなかったりします。

眠るために必要なこととは、例えばお風呂に入ってサッパリするとか、着心地のいい寝間着を着るとか、寝る前に活動を控える(息がハァハァしないようにしたり、心臓がドキドキしないようにするってことです)とか、そういう睡眠に入る準備運動のようなもののことです。

 

さて、ヒメちゃんとは呼吸法や、手や足のあったかさを感じる練習(自律訓練法といいます)をしました。

お母さんやお父さんとも話し合いました。(こういっちゃあなんですが)銅鑼の音の正体かもしれないからです。

ヒメちゃんは前よりはちょっとは眠れるようになったそうです。オトナになったらもっとちゃんと眠れるようになると思います。

 

ヒメちゃんの就眠儀式(眠る前にココロを落ち着けるための一連の決まった動作)は練り消しセラピーでした。

箱から練り消しをそっと取り出し、ゆっくりと伸ばしたり、こねたりしてその感触を楽しんで、また大事に箱にしまうのです。

お布団に入って、指先についた甘い練り消しの匂いを嗅ぐと安心する、と話していました。

 

ヒメちゃんはまだ子どもだけど、本当に素敵なジブン・セラピストだと思います。

 

こちらもどうぞ

●眠りのための安全感がない☞【ネグレクト】は【トラウマ】なのかどうかを考えてみる

●不眠は身体の癖かもしれない☞【リラーックス!】リラックスするのも練習が必要だ

●子ども時代からくる影響について☞【複雑性PTSD】診断がつく、ということは治療法があるということです

 

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トラウマ複雑性PTSDPE

【トラウマ後の症状】人の中にいても一人

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

「トラウマは治ることには理由がなく、治らないことに理由がある」とフォア先生は言いました。

私たちはショックなことを体験すると、その時は眠れなくなったり、そのことを思い出しては嫌な気持ちになったり、嫌な気持ちになるばかりか、手が震えたり、変な汗をかいたり、そういう自分の状態がとても心配になったりするものですが、それらはだんだんと日がたつにつれて収まってきます。そしてその体験は次第に「過去」になって、色あせてきます。それがよく聞くところの「日にち薬」ってもので、この薬の効果はとても信頼できるものです。

でも、なんらかの理由で、この「普通に治る過程」が足踏みすることがあります。

 

その理由の一つが「回避症状」であると言われています。

回避症状はPTSDの4つの症状のうちの一つです。「回避」と読んで名の通り、トラウマに関わる記憶や感情などについて、考えないようにする、感じないようにする、という症状です。この症状は、フラッシュ・バックのような侵入症状に比べて、どこかしら、こういってよければ「意図」が感じられます。

すなわち回避症状は、トラウマ後の苦痛な症状、フラッシュ・バックとか気持ちが高ぶって眠れない、みたいな症状を緩和する「効果」があるのです。フラッシュ・バックみたいな「激しい症状」があると、学校に行くとか、家事をするとか、仕事をする、または育児をする、という動作がこなせませんから、「回避症状」によって感情やその他の感覚をフラットにしたり、(念には念を入れよとばかりに)シャット・ダウンしたりします。回避症状の「意図」とは、日常生活をなんとか送らせる、というあたりにありそうです。

じゃあ、なんの問題もないんじゃない?

と思っているのは周りの人で、なぜなら回避症状「意図」の行きつく先は、周りの人に心配かけないようしたり、周りの人の生活に支障が出たりしないようにする、というところだからでしょう。凪の海の下に嵐があるように、周りの人には穏やかに見えるその人の内側には、大きな嵐が横たわっています。

その目に見えない嵐の存在が、周りの人との距離やギャップを作り、その人を苦しめることになります。

誰もわかってくれない。

自分は人とは違うんだ。

実は当人も回避を続けている間に、自分の苦痛に慣れっこになってきていて、自分とはこういう人間なんだとあきらめているところがあります。

自分は一生このままだ。

普通の人の世界に自分は住んでいない。

そうやって、その人が持つ穏やかな気楽さが失われることが回避症状の辛いところです。

 

もしも、あなたがこんな風に感じているのなら、このことについて理解している人をなんとか見つけ出して、話してみてほしいと思います。

それは、しばしばとても厄介なことですし、何度も嫌な思いをされることがあるかもしれません。

でも、やっぱりそれを勧めるのは、実はトラウマからの回復で一番厄介なのはこの部分で、ここをクリアーできれば、後は遅かれ早かれ回復の軌道に乗れる、ということを知っているからです。

 

ちょっとドラゴン・クエストみたいですよね。あ、でもドラゴン・クエストって最後はドラゴンを見つけ出して倒すんでしたっけ。

倒す必要はないです。倒さないでね。

 

 

こちらもどうぞ。

●フラッシュ・バックについて☞【トラウマ後の症状】フラッシュ・バック

●トラウマからの回復☞【人生のストーリー】トラウマの光と陰

●回避症状のまた一つの形☞【過去をなかったことにする】すると未来もなくなる

 

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トラウマ複雑性PTSDPE

【トラウマ後の症状】フラッシュ・バック

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

「フラッシュ・バック(侵入症状)があればPE(PTSDのための心理療法。その治療成績が群を抜いて優れていることは数々の研究で明らかになっています)ができる」とフォア先生は言いました。

 

PTSDの症状は4つあります。その一つに侵入症状(フラッシュ・バック)があります。

侵入症状とは、トラウマを受けた後でそのトラウマが自分の中で再体験されることです。フラッシュ・バックはその症状の形の一つで、出来事の一部がありありとした映像として頭に中に飛び込んできたように体験されることです。その程度が強烈だと、まるでその当時に全く戻ってしまったかのように感じるほど(「タイムスリップしたようだ」と表現する人もいます)リアルに当時の匂いや音、身体の感覚を体験することもあるし、そこまでではなくても、その出来事を思い出して一瞬身体が緊張したり、ドキドキするようなこともあります。トラウマ的な出来事を連想させるきっかけや引き金が、動悸や発汗、または強い感情的な動揺を呼び起こしたりします。例えば、DV被害にあった女性がその加害者である夫と似たような服装(スーツ姿、または作業着など)の男性を目にしたことがきっかけで、フラッシュ・バックを引き起こしたりすることがあげられます(それにしても男性の服装は似たようなものが多くて困ります)。

侵入症状の他の形としては出来事に関する生々しい悪夢があります。夢の中で起きている出来事はトラウマに関連したことで、本人はその中で強い感情的な体験をしていたり、身体的な反応を感じます。夢から覚めた後も、ドキドキしていたり、呼吸が荒くなっていたり、一瞬夢なのか、実際に起きていたのか混乱するようなときもあります。

トラウマ的出来事に関連しているとはっきりわかるフラッシュ・バックがあれば、PEによってそのPTSDなどの苦痛な症状が回復する可能性は非常に高いと私も考えます。

 

一方、記憶の作用の難しいところですが、はっきりわかるフラッシュ・バックがない人もいます。そういう人のフラッシュ・バックは、例えばある特定の場所で非常に不吉な感覚に襲われたり、また人の関係の中で、ある特定にフレーズに対して感情が大きく動揺したり、落ち込んだりするような体験です。

このようなフラッシュ・バック(と呼んでいいのであれば)は、いくつかの理由が考えられます。

一つには過去の出来事が本人にとってあまりに強烈すぎて、その記憶を切り離している場合です。ある通り魔事件の被害者は、事件後その記憶をすっぽりなくしていました(いわゆる健忘です)が、事件現場の近くを通りかかるたびに、身体が重くなり、すごい量の汗をかくので、てっきりなにかの霊の仕業と思い、お祓いにまで行ったそうです(霊媒師は幸いにして良い霊媒師で、たまたま事件のことも報道で知っており、そのことを本人に伝えてくれました)。

また、出来事が日常的に何度も起きているので、感情の起伏が乏しくなり、まさかその出来事が自分にとって重荷であったと気がついていなかった、ということもあります。ある女性は友人同士の会話の中で時折交わされるたしなめ言葉(「だめねぇ」とか「なにいってるの」という冗談めかした言葉)やある表情(本人曰く「なにか含みのある表情」)を耳にしたり目にすると過剰に腹が立ったり、気持ちがふさいだりしていましたが、それらは彼女の母親の言動を彷彿とさせるものだったのです。

もしくは、そのトラウマであるかもしれない体験があまりにも幼少のときに起きると、その体験をきちんと把握できる認知や感情面の発達の途上なので、自ずと「なんだかいやな気持ちがあるけど、どうしてだかはっきりしない」という状態になったりもします。

 

知人である精神分析医が、出来事との関連がはっきりしないような状態も当たり前に「フラッシュ・バック」と表現しているのを耳にしたとき、それもまた私の中でしっくり収まる感じがありました。フラッシュ・バックとはおしなべて過去のことがなんらかの形で再体験されることで、要は、今の何かしらは過去の体験とは切り離せないものだからです。

それからいうと認知行動療法でいうところの自動思考(いつも頭に浮かんでくる助けになってくれない考えのこと。たとえば「私はだれからも愛されない」とか「私は無能力者だ」など、時にコテンパなまでに自虐的な考えのことです)も、過去の多くの体験から引き出されたフラッシュ・バックで、この自動思考が出てくる理由に至るにはやっぱりどこから過去にあたるしかないときがあります。

 

PEはトラウマに対するとても強力な心理療法ですが、その限界もあります。プチ・フラッシュ・バック(と表現してみることにしました)には、時間をかけて丁寧に向き合った方が上手くいくことも多いのです。

決して焦らずに、そしてPEができそうとなったら決してひるまずに。

 

●子ども時代のトラウマ☞【複雑性PTSD】診断がつく、ということは治療法があるということです

●PEについて☞【モヤモヤした感じ】持続エクスポージャー療法の理論

●認知行動療法☞これもまた【認知行動療法】

 

こちらもどうぞ

●プチ・フラッシュ・バックの「怒り」もあります☞【堪忍袋】の中身、怒りと傷つき

●困っている対人関係はプチ・フラッシュ・バックなことがあります☞【複雑性PTSD】対人関係スキーマ、という悩ましい用語

 

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トラウマ複雑性PTSD

【ネグレクト】は【トラウマ】なのかどうかを考えてみる

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

ネグレクト、は英語の「怠慢」とか「無視」という意味から来ている用語で、養育者が育児を放棄すること、またはその状態、を指します。育児放棄、というと「捨て子」のような直截なイメージが浮かんでくるかもしれませんが、そこまであからさまではなくても、表面からはわかりにくく、周囲には気がつかれないような「軽度」のネグレクトは相当数あるかと思われます。

「あるかと思われます」とぼんやりした表現なのは、そもそもの当事者からいっても自分がネグレクトされていたのかどうかいまいち判然としない、とケースも珍しくなく、その実数を知ることは難しいからです。例えば親から殴られた、とか罵倒された、という出来事が「ある」虐待と違って、ネグレクトは親からの適切な養育が「ない」虐待であって、人は「ない」ものに対して「あった」と認識するのはとても難しいことだからです。

特に子どもの頃からのネグレクトは、生まれたときから適切な養育が「ない」状態ですから、「ない」状態が普通であって、それが「ある」ことも想像もつかない、ということなります。

なんだか禅問答みたいになってきました。

 

子どもが充分な食事を与えてもらえなかったり、汚い服を着せられていたり、必要に応じて病院に連れていったりしてもらえないことがあれば、遅かれ早かれ周りにもネグレクトとして知られることになります。子どもだけで家に置き去りにされて餓死したり、子どもが駐車場の車の中に置かれて熱中症で亡くなったりするのは、ネグレクトの結果起きた事件や事故です。このように結果が明らかになるネグレクトを身体的なネグレクト(Physical neglect)と呼んでいます。

しかしもう一つの「軽度」、つまり、あからさまではないネグレクトは、情緒的ネグレクト(Emotional neglect)と呼ばれていて、それは比較的あちこちで起きています。

情緒的ネグレクトの例としては、自分が養育者から愛されたり大事にしてもらっていると感じられないことや、家族同士がお互いに助け合っているという感覚が得られていないこと、などが挙げられています。このように「軽度」というのは周りからみて察知が難しいだけで、当事者にとっては重大な違和感や苦しみになることも少なくはありません。

 

ネグレクトは親(養育者)からの「愛情」と結び付けて説明されることもありますが、「愛情」というのはもうすでにシンプルな一つの感情というよりも、親の役割とか、子どもに対する期待とか、社会的責任とか、文化的価値観とかのいろんなものが張り付いたヤヤコシイものになっているものですから、当事者本人も果たして自分の状態が「愛情」がはく奪されていた状態であったのか、自分の感覚にどうも自信がもてないし、ともすれば全ては自分の勘違いではないのかという疑いがぬぐいきれないこともあるようです。

そこで、ネグレクトってなんだろうって考えるときは「空気」を想像してほしいと思います。

私たちは生きていくために呼吸をし続ける必要があります。養育者との間にある「空気」は子どもには絶対に必須なものです。しかるにそれはどの子どもにも平等に与えられるものではありません。森や草原を吹き渡る風の中で生活する子どももいれば、高山の薄い空気の中で浅い呼吸をして生きていく子どもや、工場の煙に汚染された空気を吸っていかざるを得ない子どももいます。またこの「空気」は恒常的なものでもありません。ある時を境になんらかの理由でその質や量が変化することもよくあることです。

子どもの頃に自分が生きるために呼吸していた空気をがどんなものであったのか、大人になってみないと客観的には捉えにくいものですが、それを知ることは今の自分がより良く生きるための大きな助けになります。オトナになった私たちは(まだコドモの人はもう少し待つ必要があるかもしれません)自分にとっていい「空気」を探したり、作り出すことができるのです。

そして、この「空気」がトラウマであったかどうか、それは本当に個人的なことで、よくよく話しをしたり考えていかないと実感持って判らないし、腑に落ちないことでもあります。空気のように目に見えない、「ない」ようなものを可視化しようとするとき、その作業は一つ一つ丁寧に、科学者のように行う必要があるのです。

 

今のところPTSDにも複雑性PTSDにもトラウマ的出来事の診断基準としてネグレクトは含まれてはいません。でも、空気だってその昔、「ある」って科学で証明された実績があると思えば、なんというか勇気も出てくるってものです。

 

●PTSD診断基準と複雑性PTSDの最新の診断基準☞【複雑性PTSD】のDSO症状のことなど、いろいろ

 

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