カテゴリー: トラウマ

トラウマPE心理療法

【CPT 認知処理療法】反対側から?アプローチしても上手くいくらしい

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

トラウマ焦点化心理療法の一つに認知処理療法(Cognitive Processing Therapy, CPT)があります。CPTでは、安全(Safety)、信頼(Trust)、パワー(Power)、 尊重(Esteem)、親密さ(Intimacy)、といったテーマに焦点をあてて認知再構築を行います。

認知再構成、というのはすごくひらたくいうと、トラウマの影響で(大抵は悪い方に)極端になったクライアントの考え方を取り上げて、それって果たして実際本当にそうなのかな、といった検討をセラピストと一緒に行うことです。

例えば、人のことを信頼できない、という考え方があります。トラウマの後の信頼にかかわる認知は、「Aさんは信頼できない人だ」とかのレベルではなく、しばしば「男性すべてが信頼できない」とか「日本人全般がだめ」とか「人類ってものがそもそも信用に足らない」というレベルにまで達しているものです。でも客観的にみると、このような考え方は現実を反映したものではありませんし、本人が生活していく上での助けにもなってくれません。

CPTではこのようにトラウマのせいでとても極端に偏ってしまった認知を取り上げ、テーマに沿ってひとつづつ丁寧に考え直しの作業を行います。

 

PTSDが長引く要因についてはよく研究され、ずいぶんと明らかになっています。

すなわち、PTSDは2つの要因によって慢性化します。トラウマに関連したものやこと、記憶への「回避」と、助けになってくれない「否定的な認知」です。

PE(持続エクスポージャー療法)では、まず回避にアクセスすることで、否定的な認知が緩和されることを狙いますが、CPTでは逆に、認知にアクセスすることで回避を軽減していきます。

先ほどの例を取ると、「男性すべてが信頼できない」という認知があると、その結果、男性と話さないとか、会わない、見ない、という回避が当然ながら生じてきます。そしてそのようにおしなべて男性を避けていると、これもまた当然ですが、目の前の男性がいい人か悪い人かがわかり得ないため、「男性すべてが信頼できない」という認知がそのまま残ります。そしてその認知があるためまた回避する、それ故に認知は残り、だからやっぱり回避、というぐるぐると回転するサイクルのようになっているところに、(罠にはまるように)はまってしまっているのです。

PEとCPTはこのサイクルの中のあるポイント、それぞれ回避のポイント、認知のポイントで割って入り、このサイクルの回転をなんとなく止めて、輪っか(サイクル)ではなく回復に向かう一本の線、紐、リボンのようになるようにならしていくわけです。

 

CPTを開発したResick先生(お名前がうまく発音できず、アルファベット表記のままです)は、PEとCPTを比べて、PEは下(身体)から、CPTは上(頭)からアクセスすると表現していました。また、この二つの心理療法の治療成績を比較する研究を行っていますが、治療直後も、3か月後も、9か月後も、5年後に至るまでほぼ同一の効果でした。

てことは、どっちにしてもいいのだってことです。

もっといえば、「回避」と「助けにならない認知」をおさえておけば、構造化した心理療法(PEやCPTなどのように、回数や時間、頻度などの枠の設定が比較的きっちりきまっている心理療法)じゃなくてもいいってことでもあります(でも実際はこれってとっても難しいのです。枠というものはしばしば最大限にその人の力を引き出す作用を生みますから)。

 

トラウマから回復した人が「回復して感じたことは、止まっていた時間が動き出した、ということ」と語ったのを耳にしたとき、私の頭に浮かんだのは、ぐるぐると回っていた輪っかがどこかでほどけて前に前に続いていくようなイメージでした。

とてものびやかなイメージだったのを覚えています。

ではまた!

サードプレイス

 

 

 

 

 

 

 

 

トラウマ複雑性PTSD読書療法

【癒されない権利】

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

「癒されない権利」

と言ったのは”The Courage to heal – The Guide for Women survivors of Child Sexual Abuse “という本(邦題は『生きる勇気と癒す力―性暴力の時代を生きる女性のためのガイドブック』)の翻訳者である二見れい子さんという方です。二見さんとは実際にはお会いしたことはありませんが、この「癒されない権利」というセリフはけだし名言であるなぁと常々思っていて、気づけばもう20年くらいの年月が経っているものですから、なんだか二見さん自身とも身近なような感じがしているのです(勝手に)。

私を含め、治療者とかセラピストとか呼ばれる人たちは、癒しとか治療というものに対してついつい前のめりになりがちです。現にトラウマに関わる心理療法をはじめ、さまざまな治療講習会などでは「つらい症状を治して差し上げたい」と言ってはばからない講師や参加者であふれています(それにこの言い方ってなんだか上から目線でもあります)。

例えば、PTSDの症状に悩んでいる、という現象があれば、症状の改善や消失のためにさまざまな指示や助言がされます。まずは受診が必要です、この薬を飲んでください、無理せずに休んでください、カウンセリングに行ってみてください、このトレーニングを受けてださい。このように時には有無も言わせず、癒しを、いわば、親方日の丸みたいにした「治療」が注がれます。

でも実際、このような治療ありきで進んでいく治療はそのうちうまくいかないようになることも多いのです。なぜなら、トラウマの治療で本当に大事なのは、患者さんなりクライアントの主体的な回復したいという気持ちだったり、意思や行動であって、その人の本来持っている力が回復に欠かせない柱となるからです。

そこで、そもそも患者さんやクライアントには「癒されない権利」がある、と考えてみると私たちの態度は随分と違ってくるのではないかと考えます。

まず「その癒されない権利」を侵すことなく、でも同時に「癒される権利」もあるはずですから、そのいわば拮抗した、癒やすのか癒さないのかという問いについて、考えたり、その答えを出していくことが治療の始まりに(もしくは悲しいことですが終わりに)なります。

実は、その問い(癒すのか癒さないのか)について考えようとすると、結局は自分はこれからどう生きたいか、ということにつながっていくわけで、そのような自分が中心かつ主体的な考え方や話し合いのプロセスそのものがその人にとって治療的に働くのものとなるのです。

トラウマの核は「無力化」と「孤立化」であるというのは『心的外傷と回復』の中で著者であるジュディス・L・ハーマンが指摘したことですが、自分がどのように癒されていきたいのか(もしくは癒されたくないのか)、セラピスストとともに考えていくことは、このトラウマ後の人がもつ、無力感や孤立感への拮抗薬の一つともなるといえるでしょう。

 

二見れい子さんの翻訳した本の原題は”Courage to Heal”、『癒す勇気』です。癒しへ向かうポジティブなエネルギーが強く感じられるこの題名とは、どちらかといえば反対の言葉を提示された二見さんにはどんな思いがあったのでしょうか。

この日本における女性や、患者、クライアントと呼ばれるケアの受け手をとりまく状況を考えずにはいられない言葉でした。

ではまた!

サードプレイス

 

 

トラウマ複雑性PTSD

【過去をなかったことにする】すると未来もなくなる

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

トラウマ的な体験をした人と話していると、しばしば、「毎日の生活をなんとかまわすのが精いっぱいで、例えば一年後のことについて聞かれても想像もつかない」といったかんじのことを聞きます。

実はこの感覚は、トラウマからの症状の一つといわれています。

「自分の人生の将来は短い感じ(キャリアを積むこと、結婚や子どもをもつこと、人並みの寿命をまっとうすることを期待していない)」という未来が短縮した感覚、それが症状なのです。

将来を悲観する、という表現はよく聞くかもしれません。でも「未来の短縮感」はそれとは違い、将来自体が欠落してしまったような感覚です。悲観する将来さえないのです。

 

「症状」といわれても、どうしてこういうことが起こるのか不思議です。

トラウマに遭ったのは昔のことなんだから、そんなことはキレイサッパリ忘れて、これからの未来はこれから作っていくものなんだ、頑張れ、と励ます人もいます。

トラウマにあったのは過去のこと、と客観的にはそうなのですが、主観的にはもちろんそうではありません。まるで昨日のことのように生々しく存在することもあります。それでも多くの人があの苦痛な出来事はなかったことにしたいと考えます。

そんなこんなでとにかく、過去のトラウマをキレイサッパリ忘れようとそのまま箱にしまって封印してしまうことはよくあることですが、その結果、いろんなことが(よくないことが)起こります。

一つは未整理な記憶をそのまま箱に詰めて無理やりふたをしているので、そのふたがなんらかの拍子に開かないように常に力を込めていることで、自分のエネルギーが奪われることです。

封印がはがれないように四六時中見張っていないといけないし、もしなんかのはずみにふたが開いて、中身が飛び出そうものならそれらの回収に追われます。このような状況で本来ならば現在や未来に生きるためのエネルギーが相当消費され、常に疲労を感じるようになります。

疲れている時には前を向こうという気持ちにはなれないものです。疲れている時はその時その時が精一杯です。

 

もう一つは、苦痛な記憶を閉じ込めるために、感情も一緒に封印してしまうことから生じます。人間は辛い気持ちだけ感じなくするとか閉じ込めるとかそんな器用なことはなかなかできません(ごくたまにそういうことができる人もいますが、そんな人は違う病名がついたりします。それはそれで大変なのです)。トラウマにまつわるネガティブな感情を閉じ込めるのと一緒に、楽しいとか嬉しいというポジティブな感情も閉じ込めてしまうのです。

人生の未来はポジティブな気持ちによって方向づけられています。つまり自分が楽しいなぁ、とか心地良いなぁという気持ちが自分の人生の方向への動機になるのです。だからポジティブな感覚が薄くなると、生きたいという気持ちも薄くなるのです。

 

最後にもう一つ。

例えば、ある一部が欠けていたり、破かれている物語や推理小説を想像してみてください。古本屋さんなどで買った本がそういう本だったらとってもがっかりします。一部が欠けているだけで、その物語がどこでどうなってここにつながったのかわからなくなってしまったり、全体のテーマがはっきりしなくなってしまうことがあります。

物語の中では、どうしてこうなったのか、という話しの筋の流れがきちんと了解できて納得できることが大切です。それが物語の面白みにつながります。

私たちの人生を一つの物語になぞらえたとき、トラウマの章やページを省いてしまうことは、物語全体にとって大きな損害につながるということは想像に難くないでしょう。

辛いトラウマ体験であっても、それは私たちの人生の中で大事にしたい記憶の一部であるとよく言われるのはこんなところからです。

 

未来の感覚を持つ、ということは生きるエネルギーや様々な感情、私たち一人ひとりの人生のストーリーと分かちがたくつながっています。

そして過去の記憶を封印することは、私たちが生きていく未来の道しるべをも見えなくしてしまうことなのです。

 

こちらもどうぞ☞【複雑性PTSD】究極的な回復の手段

 

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トラウマ複雑性PTSD

【解離症状】トラウマから生き延びるための自己防衛策

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

心に衝撃を与える出来事に対して、人はいろいろな対処法を取ります。その場から逃げたり、反撃したり、助けを求めたり、相談したり、気を紛らわせたり、でもどの方法も取ることができない時、人は解離します。

解離とは、通常は統合されている意識や記憶、自己同一性、または周囲に対する認知機能の分断、のことを指します。

解離は記憶に作用します。例えば記憶喪失の人がでているドラマなどを見たことがあるでしょうか。これは事件のカギとなるようなショッキングな出来事に対して、その重みに耐えかねた目撃者などがその出来事に関する記憶を自分から切り離す(=記憶喪失)、ということをして、事件解決への重要なピースが消えたようになってしまったことでドラマ的には謎が深まるのです。

またこの頃はあまり使われませんが、「失神」という現象もあります。羽田に降り立ったビートルズ(これまた古いエピソードですね)をみたファンたちがバタバタ倒れたのも、感情がオーバーヒートして(感極まって)処理しきれなくなり、意識を切り離したことで起こりました。

さらに、もうずいぶん前になるかもしれませんが、「多重人格」がテーマになった本が流行りました。多重人格も解離の一種で、自分が背負いきれない感情を切り離して、その感情一つひとつに人格的なものが付与される、ということが起こっているようです。

解離は脳の前頭前野のブレーカーが落ちるようなものです。

先ほど、「記憶を切り離す」という表現をしましたが、多くは無意識に行われていることです。だから、気が付いた時には記憶がなかったり、意識がなかったり、感情がなかったりして、またそのことに対して自分をどうすればいいのか手掛かりを失っていることもあり、それが解離の対処を難しくしています。

解離の多くは子ども時代の虐待やネグレクト、大人になってからのトラウマ的出来事の瞬間に起きています。

子どもは不当な扱いを受けていても、それに対処する方法やリソースはが極めて限られています。多くの子どもは、トラウマ的な環境において、自分の感情や意識を切り離して、ブレーカーを落とすことでその場をしのぎ、生き延びようとします。

解離は子ども自身が逆境的な状況から自分自身を守るための、唯一の防御策であるのです。

 

そんな自分を守るための大事な解離ですが、大人になってからも続いているといろんな不具合が出ることがあります。

意識や感情のブレーカーが落ちっぱなしだったり、落ちやすかったりすると、自分自身の連続性(自己同一性、といいます)が保ちづらく、不安定になります。ポジティブな感情は生きている実感に資する感情ですので、これが無くなったようになると、生きている感じ自体が持ちづらくなります。

この不安感や生きている感覚の欠乏感を埋めるためにリストカットや薬物、アルコール、ギャンブル、むちゃ食い、不特定多数との性的な行動などを取ることがあります。これらは生きている実感を得るための刺激となる反面、長い目で見ると自分を傷つけたり、健康を損ねたりする行動でもあります。

このように、もともとは自分の身を守るための解離が、長じて自分の回復を妨げる要因になっているかもしれません。

 

解離に対処する一つの方法はグラウンディングと呼ばれる方法です。

解離している時は身体の感覚が極端に薄くなっているので、日ごろから自分の身体の感じに注意を払って、身体感覚を増すような活動を取りいれてみましょう。身体を両手でこすったり、足踏みをしたり(ジャンプをする人もいます)、口に水や氷を含んでみたり、保冷剤を手にもったりする方法は効果的です。

また、記録をつけて解離やそれに伴う行動を観察すると、自分が解離しやすいパターンが見えてくることがあります。

一つひとつは地味といってもいい方法ですが、続けることで自分について理解が深まり、なんというか、一つにまとまって、自分の中の柱が太くなったような感覚が得られると思います。

その感覚が自分の人生を生きていく上で大事なものなのです。

ではまた。

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トラウマ複雑性PTSDSTAIR/NST

【複雑性PTSD】アダルト・チルドレンとどう違うのか

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

子ども時代の逆境的な環境(虐待やネグレクト、DVにさらされることなどです)を経験し、オトナになってから様々な「生きづらさ」を感じる、という現象に対しては、ある概念が有名なのではないでしょうか。

アダルト・チルドレン(AC)です。

元アメリカ大統領のビル・クリントンが自らがアダルト・チルドレンであるとカミングアウトしたこと(彼の場合は義父がアルコール症で、DVもあったそうです)はよく知られた話です。

その後大統領の職にありながら当時ホワイトハウスの実習生だったモニカ・ルインスキーと不倫があったことで、スキャンダルになりましたが、ビル(と友だちのように呼んでみます)からするとあんなすべてがダイナシになるかもしれないことを自分がしでかしてしまったのは、大人になっても衝動や感情のコントロールが上手にできないという問題があったからでしょう。

個人的にはヒラリー・クリントン(ビルの妻)が回想録の中でルインスキー事件に対して「ビルの首を締めてやりたいと思った」と述べたのが、なんというか、印象的でした。

ちょっと本題からそれましたが、アダルト・チルドレンと複雑性PTSDの違いについて聞かれることがあります。

子どもの頃の虐待やネグレクトの体験、という前提条件のようなものが重なるからでしょう。

(ここでまた本題からそれますが、私自身はアダルト・チルドレンまたはACの言葉や概念は使いません。理由は、ただ何となく自分の中でしっくりきていないことと、アダルト・チルドレンを最初に日本の紹介した斉藤学先生とはなんの縁もないからです)

複雑性PTSDは、児童虐待や強制収容所、DVなどの長期、反復型のトラウマ体験により引き起こされる症候群です。その診断にはまず、PTSDの診断を満たすことが必要です。そのうえで、感情調整の困難、否定的な自己概念、対人関係の困難の3つのクラスターの中の症状に関連した機能障害がみられます。

ひらたくいうと、複雑性PTSD=PTSD+3つの症状に困っている状態、であり、複雑性PTSDとPTSDは切り離せない関係になっています。

ACは診断名ではないので、ここまで厳密に症状整理されていません。それでも実際には、AC、という自己認識を持っている人の中にはPTSDの症状がある人は多く含まれていると思いますし、複雑性PTSDに該当する人もいるでしょう。

複雑性PTSDは(ACと違って)症状の一つ一つが明確になったことで(確定的因子分析などが用いられたそうです。と言っている私もよくわかっていませんが)、それに対応する治療法の開発が進み、エビデンスが積みあがっているところが有用だと思われます。

人は自分の生きづらさの正体が命名されると安心できるものです。

ACはその点において大きな役割を果たしました。その概念に集まって自分の体験を話したり共有することで、苦痛を感じているのは自分だけでないと感じることができたし、自分は人間として決して変ではないと思えたのです。

複雑性PTSDも同様にその役割を担うことができます。

更に良い知らせは、それに加えてエビデンスのある心理療法が用意されていることです。それは私たちに希望を与えてくれます。

ではまた。

●複雑性PTSDについてもう少し詳しく☞【複雑性PTSD】診断がつく、ということは治療法があるということです

●毒になる親☞【複雑性PTSD】相手に対する怒りを持つことを許してみる

●インナーチャイルド☞【インナーチャイルド】の育て方、または感情調整の秘訣

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