カテゴリー: トラウマ

トラウマ複雑性PTSD対人関係感情調整

【複雑性PTSD】人と違う感じ

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

ある誕生日の出来事を想像してみてください。

あなたは8歳。楽しみにしていた誕生日がやってきました。誕生日は特別な雰囲気に満ちた日です。

その日の朝はワクワクして早く目が覚めてしまいました。台所に降りていくとお母さんが誕生日パーティのお料理の用意をしています。ハンバーグの種をこねたあと、手早く丸めてはリズムよくトレーの上に置いていきます。ハンバーグはあなたの大好物です。お父さんはケーキを買いに行ったようです。友だちもお昼過ぎにはやってくる予定です。どんなパーティになるんだろう、みんなでゲームしたり、美味しいもの食べたり、そしてみんながニコニコ笑顔でおめでとうっていってくれるんだろうな、と期待に胸が膨らみます。

玄関で音がしてお父さんが帰ってきたようです。お父さんの機嫌は玄関のドアを開ける音でわかります。ガチャン!大きな音がしたら、お父さんの機嫌が良くない証拠です。お父さんの顔を見ると青白くなっていて、こわばっています。目がとがった感じになっています。お父さんはお母さんに「どうしてちゃんとケーキの予約をしておかなかったんだ!順番を待たされたのはお前のせいだ」と大声で怒鳴ります。

お母さんはハッとなって「ちゃんと予約してあったはずなんだけど・・・」「それでもあそこはいつも混んでいるから・・」と言いかけますが、お父さんはバシッとお母さんの頬を叩いて「言い訳するな!」とかぶせるように怒鳴ります。そしてあなたに目を向けると「俺が外で待たされている間に何もやってなかったようだな、掃除が終わるまでなにもなしだ」と言い放ちます。

あなたはどうしようもないような気持ちになります。心臓がドキドキしています。涙が流れでてきますが、一生懸命そこにあるものを片付けはじめます。お母さんはさっきとはうって変わってのろのろと手を動かしています。お母さんはなんだかひどく年を取ったような顔をしています。

お父さんはソファーに腰を下ろすとテレビをつけ、大音量にして見はじめます。お昼近くになってもそのままです。あなたがおずおずと誕生日パーティのことを言おうとすると「まだそんなことを考えていたのか、ケーキなんかないぞ」と不機嫌そうに言います。お父さんはケーキを買ってこなかったのです。あなたがたまりかねて泣きはじめるとお父さんは怒って「そんなわがままを言うやつには誕生日の価値はない!」と怒鳴って台所にいくと、お母さんが用意した料理をすべてごみ箱の中に捨ててしまいました。

自分の部屋で気がついたら夕方になっていて、そういえば友だちは来なかったなと思いました。お母さんが断りの電話を入れたのでしょうか。自分のせいですべてが台無しになってしまったとあなたは考えますが、それはなんだか違う気もします。とても惨めな気持ちです。自分が浮かれているとこういう罰がくるんだ、とあなたは心に刻みつけました。

 

私たちは楽しい気持ちを感じても、それが裏切られるようなことが続くと、その気持ちを持つこと自体避けるようになります。

子どもの頃の虐待やネグレクト、DVの家庭などの経験は私たちにポジティブな感情を感じにくくさせます。より正確にいうとポジティブな感情を警戒して距離を置く癖がつくのです。

しかし、ポジティブな気持ちは日常生活の中で人とつながりを感じるための大切な感情です。多くの人は楽しさや嬉しさを十分に感じて分かち合うことで世界や人との間のつながりを実感しているものです。

楽しい気持ち自体を避けていると他者との感情の共有が難しくなったり、切り離されたように感じるようになるのです。

そうすると、人と違っている感じを持ったり、または、自分自身をあたかも宇宙人のようだと感じたり、大勢の仲間(例えばクラスメイトなど)の中にいるのに一人ぼっちな感じがある、そういう何とも言えないような感覚が心の中を占めるようになるのです。

その感覚はずっとあるものなのに、慣れることはありません。

 

ポジティブな気持ちを適切に感じられるようになるのも、複雑性PTSDからの回復には重要なことです。

普通の人にはなんでもない、むしろ心地がよいことであるポジティブな気持ちを感じることが難しいのは、もっともな理由があります。

誕生日での出来事のような理由です。

それを考えると、今、ポジティブな気持ちにアクセスしようとすると、恐怖や不安を感じることもあるのは、いたって当然なことでもあるのです。

少しづつ、心地よい感情を感じても大丈夫、という経験をつんでいければいいのです。

 

ではまた。

●こちらもどうぞ!☞【複雑性PTSD】診断がつく、ということは治療法があるということです

●複雑性PTSDの心理療法についてもうちょっと詳しく☞【複雑性PTSD】スキルのトレーニング

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トラウマ複雑性PTSDSTAIR/NST心理療法

【複雑性PTSD】スキルのトレーニング

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマです。

 

現在のところ、複雑性PTSDのための構造化された心理療法として、STAIR+NSTが挙げられます。

構造化された、とはパッケージになった、という意味です。パッケージにする利点は、統制のとれた研究・調査ができるので、セラピストの質に関わらず、その心理療法がもつ純粋な治療効果の証拠(エビデンス)が検証できる点にあります。

STAIR+NSTは開発者のクロワトル先生自身が言っているように、DBT(境界性人格障害のための心理療法)とPE(PTSDのための心理療法)のハイブリッド(簡易版、もしくはいいとこどり)です。前半のSTAIRでは感情調整や対人関係への介入を行い、後半のNSTでトラウマ記憶にフォーカスを当てます。

STAIRはSkills Training in Affect and Interpersonal Regulation(感情と対人関係の調整のためのスキルトレーニング)の略であり、日常の生活をよりよく生きるために、スキルのトレーニング(練習)を強調しています。

心理療法、といわれると対話によって洞察を促すイメージがありますが、STAIRは(DBTやPEもそうですが)色々考えて頭を悩ませるよりもまず行動してみて、練習してみることを大切にしているのです。

その理由の一つには、複雑性PTSDの症状の多くは、長びくトラウマの状況から生き延びるための「癖」であるといってもいいことにあります。この癖、というのは頭ではわかっていてもついついやってしまう行動パターンのことを指します。

例えば、何度も気持ちが混乱させられるような体験があったとき、その衝撃から自分の心を守るために感情をシャットダウンさせることがあります。また、殴られたり、罵られたりなどの不当な仕打ちをうけたときに、それ以上ダメージを食い止めるために(つまり死なないように)黙って耐える、という行動があります。これらの自己防衛的な行動を癖にしてしまうようにすると、すばやい実行が可能になります。死ぬか生きるかという状況の中にあって、迅速に行動することは大切なことです。

このように感情を麻痺させたり、自己主張をしない、という癖はトラウマを生き延びるためには絶対に必要だったわけですが、大人になってから(またはトラウマ的状況から抜けた後に)この癖が続いているといろいろ不具合が出てきます。

友だちと遊びにいったり、職場で話していても、自分の感情が麻痺したままだと、楽しさや人とのつながりを十分に感じられません。そうなると、疎外感を感じたり、自分は人とは違っているという感覚が付きまといます。

職場の上司からパワハラ的な扱いを受けていても適切に自己主張したり、周りに助けを求めるなどの行動が取れないとしたら、さらに被害を受け続けるかもしれません。往々にして「トラウマの再演」と呼ばれるものはこうして起こるのです。

 

STAIRでは子ども時代からの感情や対人関係の持ち方のパターンを改めてみつけていって、その上で、より柔軟な行動がとれるように具体的な練習をしていきます。

感情に気付いて受け止める練習だったり、他者と対等に話したりする、適切に自己表現する練習です。もしかしたら、それは普通の人なら簡単に見えるかもしれないことでも、トラウマとつながっているパターンと違うことをするのは、当人にとってはすごくチャレンジなことです。

でも、新しいスキルが上手になってくるにつれて、それが身について、トラウマに支配されていない、自分の人生を生きている感覚が得られてくるのです。

練習してみる価値はありそうだと思いませんか。

 

●STAIRについてもっと☞【複雑性PTSD】STAIR誕生!【感情調整と対人関係のためのスキルトレーニング】

●STAIRの中の感情調整について☞【STAIR】感情調整は感情の役割を知ることからはじまります

●STAIRの中の対人関係スキーマについて☞【複雑性PTSD】対人関係スキーマ、という悩ましい用語

こちらもどうぞ

●怒りについて感情調整☞【感情調整】怒りそのものなような、そのようにみえるような

 

 

ではまた!

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トラウマPE心理療法

【PTSDを長びかせる要因】トリッキーかつスニーキーな回避

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマです。

 

PTSDを長びかせている要因は「ネガティブな認知」と「回避」の2つであると言いましたが、この2つの要因は同列に並んでいる訳ではないようです。

例えば、患者さんに「自分は無力だ」とか「他人は信用できない」とかの考えがありますかと尋ねると、打てば響くように、その考えがどのように自分を苦しめているのか詳細に話すことができます。

セラピストはそういう時にはふんふんとメモなんかを取りながら、患者さんの話の聞き役に徹することになります。

「ネガティブな認知」は、頭の中ですでに言葉になって置いてあるのでしょう。語る言葉を持っています。

 

一方、「回避」はトリッキー(巧妙)でスニーキー(忍び込む)です。

患者さんにトラウマに関連したことでなにか避けていることがありますか?と尋ねても、一つ二つは思い浮かぶこともありますが、多くの人はその質問の答えを出すことに苦戦するようです。

時折、自信マンマンに「全然避けていることはありません」と断言する人もいます。私がコワッパセラピストだったときは、彼女の隙のなさに、一瞬「そういうこともあるのだなぁ」と心が揺れ動いたものでした。

回避症状はPTSDの中核症状の一つなので、回避がなければPTSDではないのです。それなのに見つけ出すのが難しいのは、回避していること自体を回避しているという入れ子細工のようになっていることも多いからでしょう。

患者さんの様子からすると、PTSDの2つの要因はそれぞれ置き場所が異なっていて、「ネガティブな認知」は意識の領域に、「回避」は無意識の領域の近いところに置かれている感じがありそうです。

そういった無意識レベルで行われていることを嘆いても仕方がないので、セラピストは、この人はトラウマの種類からいってこういうことを避けてそうだな、ということを想像しながら(有体にいうとアタリをつけて)、患者さんにそれをひとつづつ確認していくという作業に入ります。

 

例えば、「スーパーで買い物するのが好きなのでコンビニは行かない」という人がいました。

詳しく聞いていくと、この人は男性と接触することを避けていて、コンビニは男性店員のレジが多いので無意識に避けていたことが分かりました。

最初は男性店員のレジに並ぶことを避けていましたが、そのうちにコンビニ自体を避けるようになり、買い物は遠くて不便でもスーパーで済ませることが習慣になっていました。

そして、セラピストの目の前に座っている時には、避けてきたプロセスも忘れて(避けて)「スーパーで買い物するのが好き」な自分になっていたのす。

 

もう一つの例としては『ゴルゴ13』の主人公、デューク東郷氏です。

彼は、トラウマ的な子ども時代を生き抜き、現在はスナイパーという仕事をして生計を立てています。そして「後ろに人が立つこと」を避けています。「俺は(人が)後ろに立たれるだけでもいやなんだ」と言っています。

彼の現在の職種からすれば理解できる習慣かもしれませんが、後ろに人を立たせないようにする過剰ともいえる反応にはどこかにトラウマの影響は隠れていないでしょうか。

実はトラウマ体験をした人の中には、後ろに人が立つことを避けるために、美容院に行ったりすること、列に並ぶこと、エスカレーターに乗ることなどを避けている人が相当数います。「美容院に行くことが好きではない」「列に並んでまで食べたいと思わない」「健康のためにエスカレーターではなく階段を使っています」それぞれ語るライフスタイルにはその人の回避が忍び込んでいるのです。

 

セラピーが進んできて、自分が何を回避していたのか、それによってどうライフスタイルや気持ちの持ちよう、好みが変わってきたのか発見することは、当人にとって驚きと時には面白さを感じられる瞬間です。

デューク東郷だってトラウマを乗り越えたら、後ろにいる人をいきなり背負い投げするようなことはなくなるかもと思います。

ではまた。

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トラウマPE心理療法

【PTSDを長びかせている要因】二つある

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマです。

大変に心にショックなことがあった後、眠れなくなったり、心臓がバクバクしやすかったり、食欲がなくなっても、大抵は自然と元の状態に収まっていくものです。ホメオスタシスとか自然治癒とかの概念で説明されています。

一方で、そのショックな状態が長びいている、つまり、こじらせているのがPTSDです。

PTSDをこじらせている(慢性化、と専門家はいいますが)要因は、わりかしちゃんと解明できていて、それは

『ネガティブな認知』

『回避』

とよばれる二つです。

 

『ネガティブな認知』とは、トラウマの体験によって生じた「世界は危険だ」とか「自分は無力だ」などの極端で自分の助けになってくれないような考え方(信念)のことを指します。

例えば、「世界は危険だ」という考えを持っていると、家の外で何が起こるかわからない、事故や事件に巻き込まれる可能性(普段は誰も気にしてないほど低いのですが)が気になって仕方がない、というようになります。

また、「自分は無力だ」って心の底で思っていたらどうなるでしょう。

学校や職場などでのびのびと自分自身を表現することが難しくなるでしょうし、宗教やネットワークビジネスなどの勧誘を断われないということが起きるかもしれません。

DVなどで逃れてきた女性がまた新たなDV夫に出会ってしまうのものも、強引な交際の仕方にNOという力がないと自分で信じているという側面もありそうです(但し、加害者はそういう心優しい被害者を見つけるのがすごく上手です)。

 

もう一つのPTSDを長びかせる要因の『回避』とは、トラウマ的な出来事を思い出さないように、思い出しそうな場所や物、人を避けたり、記憶や感情に触れること自体避けることです。

当人にとっては怖い記憶に結び付いているので、避けたり、苦痛を感じたりするものでも、普通の人にはなんてことないものだったりするのでなかなか理解が得にくいこともあります。

例えば「山手線の上半分」で症状が出る人がいました。

山手線の上半分に乗ることができないし、その駅名を目にしたり耳にすると、発汗や過呼吸などが起きたりします。これは、この人が新宿である傷害事件に巻き込まれたときに、山手線の池袋方面の電車が来るというアナウンスが流れていた、という事情がわかっていないと理解できないことでしょう。

 

トラウマ的体験をした後に、周囲や自分が信じられなくなったりする考え方に変わってしまったり、出来事を思い出さないように努力したりすることは、至極当然ではあります。

でも一方で、「ネガティブな認知」と「回避」を持ち続けてる限り、PTSDはなかなか慢性化して治癒に向かいません。そこがいつも悩ましいところです。

すべてのトラウマ焦点化心理療法は、PTSDを長びかせるこれらの二つの要因に、アクセスする(順番や方法みたいなものに違いはありますが)ことで回復を促します。

その時に、回復したい(だからちょっとチャレンジしてみようかな)という気持ち、というか好奇心も大事です。

トラウマからくる症状がどうやって私たちの行動や考え方を規定しているのか知ると、謎が解けたようなそんな気持ちになることがあります。

だから、心理療法って辛いばかりではないのです。

 

トラウマ焦点化心理療法ってなんだっけ?という方は☞こちら

 

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サードプレイストラウマ

【トラウマは伝染する】本当かな?

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマです。

 

代理受傷という概念があります。

また二次的外傷性ストレス、とか、共感疲労からの燃え尽き症候群という概念もあります。

平たくいうと、凄惨なトラウマの話をずっと聞いていることで、支援者もその影響を受けて、うつっぽくなったり、PTSDっぽくなったり、感情が麻痺したりして仕事が続けられなくなる状況のことを指しています。

こういう言葉を知識として、または直感的にクライアントさんたちはよく知っていて、時折私のことを労わってくれたり、心配してくれたりします。

 

でもそんなに心配しなくても大丈夫なのです。

もちろん代理受傷などの概念は、正しいところはあるし、有用なところもあります。

支援者(医師やソーシャルワーカー、看護師、心理士など)が被害者が語るトラウマの話を聞いて動揺するのは、専門家であっても至極当然で、助けを求めてもいいことやセルフケアが大切であることをきちんと説明してくれたので、堂々と私たちは助けてって言えるし、マッサージに行くこともできるようになりました。

 

私がはじめて心理士としてトラウマの支援にかかわったのは15年以上前のことでした。ある海辺の町の女性センターに通ってDVの被害を受けた女性を対象にカウンセリングを行っていました。

当時から私は女性たちに感情的な思い入れがあり、どの女性に対してもポジティブな気持ちが持てましたし、何人かの女性には尊敬の気持ちをも抱いていました。

それでもそのうちに、だんだんと自分がしょげたような気がしてきました。帰り道にはしばしば身体の重さを感じて足取りが重くなりましたし、さまざまなDV夫の(それもいろんなバージョンの)卑劣ともいえる話しを聞くうちに、自分の周りの男性に対して、なんだか不信感のようなものを感じるようになりました。

そういう自分に気が付いたとき、私は自分にできるいろんなことを意識してやってみました。

身体を休める方法を工夫したり(その時に人生で多分はじめてのマッサージに行った記憶があります)、今まで関わってきた、心優しい善良な男性たちのことを思い浮かべたりして、考えのバランスを取ってみたました。

また職場で一緒に働いている人たちと事例について話し合ったり、または全く関係ないおしゃべりをして自分の中の「風通し」がよくなるようにように調整しました。

でも、なによりも大きな変化は、ちょっと思いもよらないところからやってきたのです。

元来インドア派で、冬は寒くてキライ、夏も暑いし虫もいるからキライといっては、家でダラダラしているのが好きだった私が、帰り道の海で、その色合いと波の形が刻々と変わっていく様にみとれ、頬といわず全身をなぶってくる重みのある風と、規則的に打ち寄せる波の音や潮の匂いに心の底からほっとしていたのです。

遅ればせながらここにきて、自然に対してこれまでにない親密感を感じ、海と身体的、感情的につながるという感覚で癒されるという体験ができたのです。

その時に私が感じたのは、私という人間は確かに、女性たちの凄惨ともいえる話をたくさん聞いてしょげていたけれど、いい方向にも変化しているなっていうことです。その変化は、しょげてた分を補って余りあるほど人生にとって本質的な変化でした。

 

今でも患者さんの話を聞いてしょげることはあるのです。でもそれにどう対応すればいいのかわかっているし、変化していく私がいます。

トラウマの話を聞いて、具合が悪くなることなんて最終的にはありません。

安心してなんでも話してほしいし、心から大切に聞きたいと思っています。

 

ではまた。

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