こんにちは。
飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。
先日、ナラティブ・エクスポージャー・セラピー(NET)というトラウマ焦点化心理療法の研修会に参加したときのことです。
トラウマ焦点化心理療法の研修会では大抵、ロールプレイの実習があります。研修の参加者は交互にセラピスト役、クライアント役になって実際に技法の練習をするのです。
NETも例外ではありません。まずはデモンストレーションとして、講師の先生がセラピスト役、私がクライアント役となって、自分のプチ・トラウマ「子どもの頃に犬にかまれた記憶」を話すことになりました。そうすると、参加者はNETの技法のお手本を実際に目にし学ぶことが出来るのです。
講師は初老に差し掛かるところの男の先生で、とても穏やかな方のようです。対して、私はちょっと緊張し、浮足立って先生の前に座っています。他の20名くらいの参加者、セラピストたちは私たちに注目しています。
その日の最初から話しははじまります。先生に話しはじめると、小学校4年生の秋のまぶしいオレンジ色の光が目の前にあらわれました。
それは、私が近所で飼われている犬の頭を撫でようとしたところ、犬に反撃された、という事件でした。多分犬は、自分の頭の上に差し出された手を見て怯えたのでしょう。
家に戻り噛まれた傷を見ると、さながら人体解剖図のようになっていました。恐怖のあまり私は泣き叫んだので、その声を聞いた近所の人に助けられて病院に行くことになりました。
病院で傷口を縫い合わせる手当が終わると、看護婦さんに「よく頑張った、エラかった」と繰り返し言われました。このことは何も自発的に頑張ったことでは決してなかったけれど(むしろ、そうせざるを得ない受け身の状態だったけれど)、そう言われると幾ばくか自分が認められたような気がしたものでした。
さて、講習会でのデモンストレーションで、私の話が一通り終わったとき、犬を撫でようと思った自分を責める気持ち、傷口を見たときの恐怖、看護婦さんに励まされてうれしかったことや、犬に噛まれたその日の夜に昨日(犬に噛まれるビフォアー)と今日(アフター)は全く違う日、違う人生になってしまったなぁとぼんやり考えたこと、その事件の後の犬がどうなったのか心配する気持ちなどは、そのまま、話す前と変わらずにありましたが、少しだけすっきりと片付いた感じにもなっていました。
片付いた、とはそれが少なくなったり、消えたというわけではなく、引き出しにごちゃっと入っていた服が、キチンとたたまれて入れられたような気持ちでした。
トラウマからの回復は劇的なことも多いのです。さっきの引き出しの例でいうと、中にある服は断捨離されたり、リメイクされたりして蘇ったりするような体験です。
でも、こんなふうに、お父さんみたいな先生に一部始終を話してキチンと受け止めてもらうのもまた、素敵なものでした。
なんだか、ほくほくして家路につきました。
小学4年生の女の子みたいな、いい気分でした。
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