こんにちは。
飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。
2019年2番目によく読まれた記事は
☞【複雑性PTSD】STAIR誕生!【感情調整と対人関係のためのスキルトレーニング】
でした。
STAIRがフツーの認知行動療法と違うのは、いつでもどこかしら、私たちの考え方や行動様式がトラウマ的な過去とつながっていると意識されているところです。
特にグループでSTAIRについて学ぶとき、グループの参加者が直観的にそのことを理解できるようにたとえ話をつかうことが多々あります。
例えば、こんな話です。
子どもの頃に両親に愛されたという感覚がないままに育った人がいるとします。その子どもは「自分は愛されるに値しない人間だ」と思って育つのです。
その子どもも青年になって、ある女性に心を寄せるようになります。一大決心をしてその女性をデートに誘うと、彼女は応じてくれました。青年は天にも昇るような気持ちになりますが、一方でそれが信じられないような気持ちでもいます。
さてデートの当日、二人で散歩をしているときに青年の頭に「どうせ自分なんか彼女に好かれるわけがない」という考えが浮かびます。そうすると青年は挙動不審になります。彼女にそっぽを向いたままで目が合わせられないし、なにか問いかけられてもブッキラボーにしか応じられません。
青年にそんな態度をとられて、彼女はこう考えました「この人は私には興味ないんだわ」。そして悲しい気持ちになります。彼女は青年のことが好きだったのです。
そしてこの二人は二度とデートをしなくなりました。
青年は考えます「ほらやっぱり。誰も僕のことなんか好きになってくれるわけがない」。
これってどんなことが起きたのでしょうか。二人が付き合えなかったのは誰のせいですか。
私がムショでこのたとえ話をした後に、男性の受刑者のグループメンバーを見回して、「二人が付き合えなかったのは誰のせいですか」と問いかけると、みんなは口々に「本人のせいです」「自分のせいです」と答えました。
同じ質問をDVの女性を支援する女性たちのグループでしたときには、みんなは顔を見合わせてこう答えました「誰のせいでもないわよねぇ」。
この答えの違いについて、ジェンダーによるものなのか、加害者被害者視点によるものなのか、また面白いことにムショの人々はいつも自責的な答えを提示してくる傾向にあることも、それらを考えていくことは興味深いものですが、そのことは本題ではありません。
つまり、誰のせいかといわれれば、私の答えはいつも同じです。
親(養育者)のせいです。
ですから、親に対して怒りを感じるのは当然です。子どもに適切な養育をしてくれなかった親に対して喪失感を感じ、悲しい気持ちになるのも当然です。また、自分の親に対する恥の感情を持つこともあるでしょう。
でも今、あなたは自分についての考え方や対人関係になんとなく苦痛や不便を感じて、孤独感があっても、それを自分のせい、と思って我慢して日常を過ごしているかもしれません。
自分のせいではないですが(親のせいです)、これからの自分についての考え方や対人関係の持ち方などを変えていくのは、「自分の責任」であるとも思っています。
自分の責任とは、この状況を、自分が変えていくことができるってことです。
ちょっとやってみたいと思ったでしょうか。
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ではまた来週!
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