カテゴリー: 心理療法

トラウマPE心理療法

【複雑性PTSD】のトラウマ焦点化心理療法【PE】

こんにちは。

お盆の後も暑さが残る、飯田橋のカウンセリング・オフィス、サードプレイスのナカヤマ です。

今日は、前回の続きです。

「フラクタル」という言葉を聞いたことがありますか。

フラクタル構造とは、フランスの数学者ブノワ・マンデルブロが導入した幾何学の概念で、図形の部分が全体の自己相似(再帰)になっているもののことを指します。

例えば、「木」はフラクタル構造です。

木は、たくさんの葉っぱが集まっており、それによっていわゆる木らしい形を成しています。木から葉っぱ一枚を手にとって、その形をよく観察してみると、それは木の形に似ていることがわかります。葉っぱの茎部分は木の幹にあたるところで、葉脈は枝のように見えるでしょう。

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すなわち、一部(葉)は全体(木)を模倣しているわけです。

海岸線などの形状も代表的なフラクタル構造の例として知られていますが、このような構造は自然界に多くみられるものです。

トラウマ記憶もこのフラクタル構造を持っていると考えています。

特に、虐待やDVなどの長期・複雑型のトラウマは、たくさんのトラウマ記憶の集まりです。このような記憶は情報量が膨大なものですから、そのことについて考えたり整理しようとすることは途方もないように感じられたり、様々な感情に圧倒されてしまったりするものです。しかし、その中のある一つのトラウマエピソードを取り出して、それを仔細に観察し、理解していくことで、トラウマ全体についても理解ができると考えています。

というのも、フラクタル構造によって、ある一つのトラウマエピソード(インデックス・トラウマ、といいます)の中にはトラウマ全体を反映する、その人の感情、身体の感覚、認知(考え)、またはその記憶に関わるテーマがほぼ全て含まれているからです。

PEでは、インデックス・トラウマについて、限られた時間の枠の中だからこそ発生する、その人が持つ最大限の集中力によって徹底的に観察し、多角的に理解をすすめます(さながら、木から葉っぱを取り出し、仔細に顕微鏡で調べるように)。そうして得られた深い洞察がトラウマ記憶全体を整理し、処理することに役立つのです。

PEの開発者であるフォア先生は「すべてのトラウマは複雑だ」と言いました。そう言える理由は「トラウマ体験が一回だけ、の人はほとんどいないから」であり、これは様々な研究によって裏付けされています。

そうなると、トラウマ記憶を単回か複数回かで分けることは、もしかしたらそんなに意味がないことなのかもしれません。トラウマ記憶に限らず、人生だって同じテーマが何度も何度も立ち現れてくるものです。

すべてを見ようとするのではなく、ある大切な一部分としっかり向き合うことで、実はとても多くのことが学べるのだと思います。

そういえば、日本にも、「一事が万事」ということわざがありましたね。

●でも、何よりも大事なのは自分のタイミング☞【いつ心理療法を受けるのか】自分で決めることができる

ではまた!

サードプレイス

複雑性PTSDSTAIR/NST心理療法

【複雑性PTSD】のトラウマ焦点化心理療法【NST】

こんにちは。

新しい駅舎が完成した飯田橋にある(そのせいで駅からの道のりがちょっとばかり遠くなった)カウンセリング・オフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

複雑性PTSDの発症は、例えば交通事故のような一回だけという出来事よりも、子ども時代の虐待のように何度も長期間にわたって続くような出来事の記憶との関連が強いことが知られています。

 

何度も何度も辛い出来事が続くと、気持ちは麻痺してきます。そのため、出来事の記憶が薄ぼんやりしてきたり、パズルのピースのようになって他の記憶と混ざり合い、どれがどれかわからなくなってくるものです。

したがって、複雑性PTSDの患者さんは苦痛な記憶に悩まされるというよりも、今現在の「生きづらさ」を主訴にして心理療法の場に来られることが多いと思います。

 

生きづらさ、とはつまり、自分自身のことを嫌悪したり、人といても安心を感じられなかったり、ふと消えたい(消極的に死にたい)と感じるようなことです。また、やめたくてもやめられない、その時一瞬には気が休まるけれども、結果的には自分の助けになってくれないような習慣、例えば、お酒や過食、性的な対人関係に悩むことです。

 

このような「生きづらさ」を丁寧にケアしていくのがSTAIRなどの心理療法です。

STAIRはトラウマを解決する、というよりも、今の耐えがたい状況をマシにする、という心理療法なので、遅かれ早かれ過去のトラウマ的な記憶に取り組むことが回復への道筋になります。

 

では、どのようにして複雑性PTSDを引き起こすような(複雑な)トラウマ記憶を手当てしていくのでしょうか。

その方法は大きく分けると二つの方向があります。

 

一つの方向はセラピストとの対話の中で少しづつ話していく方法です。

このやり方は取りかかりやすくはありますが、脱線しやすくもあり、治療期間がすごく長くかかりがちです。従来から児童虐待などのトラウマからの回復は、その被害にあった年月の二倍かかる、ともいわれていました。もちろん、この二倍の年月の中でだんだんと回復している訳ですから最初の耐えがたい辛さが続くわけではありませんが、人生のほとんどの時間をトラウマ治療に費やすという計算になります。

 

反対に、PEのような短期集中型のトラウマ焦点化された心理療法の中でトラウマ記憶を扱う方法もあります。

このやり方は、短期間で人生のいろんな記憶がつながり、自分自身を理解できるので、回復の実感が得られます。でも、トラウマ記憶に向き合って語ること自体が、強い不安や怖さがあるものなので、はじめることにすごく勇気がいります。そのため、本末転倒みたいですが、はじめるまでの準備に相当時間がかかることもしばしばです。

 

このように、トラウマ記憶にゆっくり関わるのも、ダイレクトに関わるのも一長一短であるため、STAIRを開発したクロアトル先生はそのいいとこ取り、というか、その中間に位置するような心理療法を作りました。

それがNST(ナラティブ・ストーリー・テリング)です。

例えばPEでは、扱う記憶を一つに絞りますが(そして、その一つに絞るのが時々ものすごく大変なのです。何しろ、沢山のトラウマ記憶が積み重なり、その中にはぼんやりしたり、バラバラになった記憶が含まれるのですから)、NSTでは複数のトラウマ記憶を扱います。あんなこともあった、こんなこともあった、という記憶を一つづつ話して、だんだんと全体を見ていけるようにします。大きな記憶(一番辛い記憶)について話すことは大切ですが、一番にそれを話さなければいけない、ということはありません。その点で言えば、患者さんのペースがある程度守られつつ進めていけるやり方といってよいでしょう。

またPEでは恐怖と無力感に焦点を合わせますが、NSTではそれらの周辺的な感情である喪失感、恥や自責の感情にも丁寧に関わります。

 

ここまで聞くとNSTって「いいとこ取り」っていうよりむしろ、「いいとこばっか」みたいです。

確かにNSTはとてもいい治療法ですが、サードプレイスでは複雑性PTSDのトラウマ治療の殆どはPEを使っています。

 

それはどうしてか、ちょっと長くなってきたので、また次回に。

 

 

●そもそも複雑性PTSDとは☞【複雑性PTSD】診断がつく、ということは治療法があるということです

●STAIR ってなんだっけ☞【STAIR】感情調整からの、対人関係

●PEってなんだっけ☞【PE】そのネーミングセンスがいかがなものか問題

●トラウマからの回復とは☞【過去をなかったことにする】すると未来もなくなる

 

サードプレイス 

サードプレイスCBT-E心理療法

はじめての【摂食障害学会】

こんにちは。

飯田橋にあるカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

話しは去年の秋頃、コハラ先生が「ナカヤマ先生、今度の摂食障害学会でCBT-Eの症例発表して下さい」といささかカジュアルに頼んできたことからはじまりました。

 

こういうのもなんですが、私は摂食障害に関しては門外漢で、どれくらいの門外漢かというと、過去コハラ先生から引き継いだ摂食障害の患者さんたちが、私の前からいつの間にかいなくなってしまうという超常現象を引き起こしているくらいの筋金入りの門外漢なのです。

でもコハラ先生はネアカなハッピーガールですので、そんなことは気にせず、むしろそういう初学者(私)がCBT-Eをやれていることをみんな(学会に来ている治療者)が知ったら、自分たちもやってみたいという勇気が出るはずなので、CBT-Eの宣伝と思って是非学会発表して下さいと言います。

「それに、ナカヤマ先生は英語もできますしね」とコハラ先生が言うのも、当日の発表スタイルがCBT-Eの開発者の一人であるザフラ先生に公開で症例検討してもらうからなのですが、これはまた多くの人々が勘違いしているところで、なぜか私は英語を話せるキャラなのです(そして、そもそもそれは大きな誤解なのです)。

 

でも競争の厳しいこの世界で、英語ができないとバレてしまうことは、職業人としては避けたいところです。

そこで私は自分の英語力についての謙遜はそこそこで切り上げ、オンラインの英語レッスンをはじめることにしました。一か月後、講師のザフラ先生と会うまでに少しでも英語のギャップを埋めようと思ったのです。50歳にもなってこんな付け焼き刃な学習をするとは思いませんでした。

 

オンラインレッスンの先生は優しそうな40代の女性でした。先生は私の趣味が読書であることを知ると、好きな作家を尋ねてきました。

私はちょっとばかり躊躇しました。実は、私のお気に入りの作家はジェーン・オースティンなのですが、なかなかその気持ちを分かち合える人に出会ってこなかったのです。しかし、思い切って打ち明けてみると、「そうなのね!私も大ファンなの」と驚きの答えが返ってきたのです。

そんなんで多くは語りませんが、ジェーン・オースティンで盛り上がった私は、ご機嫌な時を過ごし、学会までに学術関係の英語は1ミリも上達しませんでした。

 

当日発表するスライドも問題がありました。学会が翻訳の業者に依頼して仕上がってきたものは、Google翻訳の方がよっぽど気が利いていると思われるような出来だったのです。

でもこれは私の表現の仕方がマズいのです。英語に訳しやすい表現でスライドを作るべきでした。

そんなんでここでも多くを語りませんが、私は自分自身を責めながら、そしてGoogle翻訳の力を借りながら、発表ギリギリまでスライドの作り直しと翻訳をコテコテとする羽目になりました。

 

 

そして、学会当日は何度も確認した筈なのに、なぜか30分遅刻して、最寄りの駅につきました。

 

もう怪奇現象としかいいようがありません。私は駅から会場まで走りました。半年ぶりくらいにはいたパンプスでけつまづきながら走り、もんどり打って会場に駆け込んだときは、全身汗びっしょりでした。

 

しかしながら学会は、驚くほど上手くいきました。

 

英語に関して何も問題はありませんでした。東京で開業されている優秀なバイリンガルのサイコロジストが通訳に入ってくれたからです。その先生が、私の意を適切かつ正確に汲んで通訳してくれました。

そして、症例発表も素晴らしく上手くいきました。症例(彼女、とします)が歩んできた人生の軌跡や、治療の中での彼女の洞察力と回復力は、ザフラ先生を感動させたようです。

コハラ先生も、今回ナカヤマ先生に頼んだのは本当にタイムリーだった、と手放しで喜んでくれました。

 

私だけが、1ヶ月前からの取り越し苦労と当日のダッシュで疲労困憊していました。

 

私の人生は見当違いの努力や不安、うっかり間違いで満ち溢れていて、決して心休まる思いをすることがありませんが、セラピーだけはいつも何らかに形で報いてくれていると感じます。

感謝の念を込めて、私は彼女と自分におそろいのピンバッジを買いました。

摂食障害啓発のための、マゼンタリボンのバッジです。

 

 

そして昨日のことですが、東京に緊急事態宣言が発令されました。

 

今の状況から見ると、こんなはじめての摂食障害学会だって懐かしい「日常」でした。

 

 

●こちらもどうぞ

コハラ先生とCBT-Eを学ぶ☞【CBT-E】摂食障害のための認知行動療法

CBT-Eを実際やってみた☞【摂食障害のための心理療法】過食をストップさせる勢い

 

ではまた。

サードプレイス

 

 

セルフケア心理療法感情調整

【ポジティブ】シンキング!

ご無沙汰していました。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

認知行動療法の考え方は、自己啓発セミナーなど(心理療法の世界に比べるとキラキラ感が多めの)の世界でも普及しています。

セミナーなどで、よくテーマになるのは

「ポジティブな物の見方をしよう」

ということで、例えばコップに半分程度入った水に対して「まだ半分ある」と考えるのと「もう半分しかない」と考えるのでは、人生の成功具合とか、幸せの引き寄せ具合は違うっていうやつです(そしてこの場合は「まだ半分もある♡」って考えるのが正解ってことらしい)。

でも実は、「まだ半分もある」とスムーズに信じられるのは、元からそう思えている人か暗示にかかりやすい人で、多くの人にとってはなかなかに難しいことなのです。

「そもそも、私はこれまでの人生の全ての事象において、コップに半分しかないっていう風に考えるタイプの人間です」って変に自分の歴史をさかのぼって反省したり、「いくら自分に言い聞かせてもポジティブに考えられるようにならない!」と頭をかきむしる、変に真面目な人もいます。

そこで私は、この手の「ポジティブな見方をしよう」という、もうほとんど呪いに近いこの考え方についての対策を求めて、エライ先生からの助言を仰ぐことにしました。

先生はこの業界(心理療法)のエキスパートを育てている、いわばエキスパート中のエキスパートです。この先生を前にすると私は緊張のあまり妙にヘコへコして、正直のところ面会するのは気がすすまないのですが、背に腹は代えられません。

 

コップに水は半分しかないって考えるタイプの患者さんに対し、どのように認知を再構成していけばいいのでしょうか(質問の仕方も自ずとエキスパート風になります)。

先生はこのように答えました。

「そもそも、コップに水が半分しか入っていないのが問題なのだから、コンビニの近くに引越せばよい」。

え、そういう問題ではなくて。

「では、なにが問題なのかね」。

 

先生とのやり取りは、ものの5分で終了してしまいました。

 

そうして、私は「エライ先生に5分時間を割いてもらった♡」と殊勝に喜ぶかわりに「あのジジィ、5分しかくれなかった!」と憤然として帰ってきたわけです。

腹の虫が収まらないので、食べログのアプリで検索したカフェに向かいました。そのカフェで「スペシャル・パンケーキ、エシレバター付き」を食べました。そして、その足でスパに行き、岩盤浴をしました。足つぼマッサージをうけました。そうしてお湯につかっている間に、だんだんと落ち着いてきて、ゆったりした気分になってきました。

お湯につかりながら思いついたのは、コップに水が半分しか入っていないと、不安を感じて落ち着かないよなぁ、ということでした。

すなわち、私たちの苦悩の元は、考え方ではなくて、感情にあるということです。

ネガティブな気持ちになっている時は、考え方を変えようと躍起になるよりも、その時の感情を手当てしてあげることが肝要なのではないでしょうか。コップの水が少なくて不安になっている時は、自分の気持ちが安心に近づけるようにケアしてあげることが良いのです。私がまさに今、怒りという自分の感情をケアしてるように、です。

そう考えると、コンビニの近くに引越すのはあながち間違いでもありません。

 

エライ先生の態度はちょっとばかし気に入らなかったけど、全くのムダな5分ではなかった、許してやろう、そう考えて、湯上りの身体に心地良い夜風を受けながら帰りました。

 

こちらもどうぞ

●ノリコさんの気持ちの収め方☞【感情調整】クリエイティブな気持ちの収め方

●日常にある認知行動療法☞これもまた【認知行動療法】

●怒りの気持ちの収め方☞【感情調整】怒りそのものなような、そのようにみえるような

 

ではまた!

サードプレイス

 

 

複雑性PTSDPOWERSTAIR/NST心理療法

【シャバ】と【ムショ】のあいだ

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

大学病院で働いていたころ、グループセラピー(病院では医師の指導のもと行われる「集団精神療法」のことを指します)は心理の仕事の一つでもありました。グループセラピーは保険が適用されるので、患者さんの費用負担が少ない上に、複数の人々に一気に心理教育を行えるので、大勢の患者さんを抱える大学病院にとっては良いことだらけなプログラムだったと思います。

でも、みなさんは既にお察しかもしれませんが、私自身は、どうにも集団というものは苦手なのです。子どもの頃から教室につめられて席につき、授業を聞いているのは、窮屈だし退屈、と感じていました。

そして「窮屈でも退屈でもないグループセラピー」を行うとなると、様々な工夫やファシリテーター(グループを運営するセラピストのことをこう呼びます)としての研鑚、そのためのお金や時間も必要で、心理士の薄給にとても見合うものではありませんでした。

それでも私がグループセラピーを実施していた、というより、むしろ当時、病院の他の誰よりもマニアックに取り組んでいたのは、やはりそのメリットが大きいものだったからです。良く構成されたグループでは、自分自身についてより深いレベルで(腹の底から)理解することができます。それは心理療法の1回や2回のセッションとは比較にならないほどのレベルです。

病院でのグループセラピーは、子どもの頃の虐待やDVなどのトラウマを抱えた女性を対象にしたプログラムでした。ざっと延べにして800人以上の方が参加してくださったと思います。

そんな風に10年以上にわたって私は、STAIRを基盤とした、複雑性PTSDのためのグループセラピーをコツコツと作り、実施し、改変し、また実施し、そしてまた改変し、というのを繰り返してきました。グループの名前もつけました。それで、ずいぶんと素晴らしいグループセラピーができたなぁ、これはどこに行ってもそうそうあるものじゃないなぁ、と少し感動しかけたところで、病院がなくなってしまい、そのグループセラピーは私のUSBのデータとしてしか存在しなくなりました。幻のグループになったのです。

 

USBデータとしてのグループセラピーが2年ほど続いていたある日、ある縁に見いだされて全く新しい場所でグループを開くことになりました。

刑務所の中です。

そして、グループの参加者達は男性受刑者でした。

受刑者の人々は、子どもの頃の虐待やネグレクト、その他のトラウマの体験がある人が少なくないということは研究でも知られています。そして、子どもの頃のトラウマ的な出来事は、感情のコントロールや、対人関係の困難を引き起こします。

グループセラピーの中でも、受刑者の人々は、怒りのコントロールが難しかったり、そもそも「感情」がわからないということや、相手から大切にされるような関係が作りにくい、ということが明らかになりました。

週に1回、受刑者たちは刑務所での作業を中断し、グループセラピーのお部屋に連行されてきます。同じ日に私は外の世界から刑務所を訪ね、同じくグループセラピーのお部屋まで案内されます。そのお部屋は私とみんなが出会う、丁度「シャバ」と「ムショ」の間のようなところなのです。そこで私たちは、刑務官に監視され(見守られ)ながら、自分の感情や考えを言葉にして自由に表現することが許されています。

 

そして、全15回のグループセラピーが10回目を超え、はじめのうちは気が張っていた私のココロにちょっとした変化が起きています。というのも、ある気持ちがわいてきていることに気がついたからです。このグループセラピーが終わって、みんなとお別れすることをどうやら私は惜しんでいるようなのです。

刑務所のグループセラピーで出会ったのは、こういうこと(つまり、子どもの頃のトラウマがいる大人になってからも影響しているということ)を学ぶのが人生で初めて、という人々でした。今までこのことについて教えてくれた人は誰もいませんでした。

けれども、みんなは本当に真剣にグループに関わって、そこでそれぞれが、自分自身に関する驚くような洞察や、気づきを語っています。

 

このグループセラピーの名前は、POWER(Practice Of Wisdom, Emotion and Relationship)です。

POWERがシャバに出た後もみんなの「力」になることを願ってやみません。

 

●子ども時代のトラウマの核☞【STAIR】感情調整からの、対人関係

●STAIRについて☞【複雑性PTSD】STAIR誕生!【感情調整と対人関係のためのスキルトレーニング】

●複雑性PTSDについて☞【複雑性PTSD】診断がつく、ということは治療法があるということです

 

 

ではまた!

サードプレイス