こんにちは。
飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマです。
PTSDを長びかせている要因は「ネガティブな認知」と「回避」の2つであると言いましたが、この2つの要因は同列に並んでいる訳ではないようです。
例えば、患者さんに「自分は無力だ」とか「他人は信用できない」とかの考えがありますかと尋ねると、打てば響くように、その考えがどのように自分を苦しめているのか詳細に話すことができます。
セラピストはそういう時にはふんふんとメモなんかを取りながら、患者さんの話の聞き役に徹することになります。
「ネガティブな認知」は、頭の中ですでに言葉になって置いてあるのでしょう。語る言葉を持っています。
一方、「回避」はトリッキー(巧妙)でスニーキー(忍び込む)です。
患者さんにトラウマに関連したことでなにか避けていることがありますか?と尋ねても、一つ二つは思い浮かぶこともありますが、多くの人はその質問の答えを出すことに苦戦するようです。
時折、自信マンマンに「全然避けていることはありません」と断言する人もいます。私がコワッパセラピストだったときは、彼女の隙のなさに、一瞬「そういうこともあるのだなぁ」と心が揺れ動いたものでした。
回避症状はPTSDの中核症状の一つなので、回避がなければPTSDではないのです。それなのに見つけ出すのが難しいのは、回避していること自体を回避しているという入れ子細工のようになっていることも多いからでしょう。
患者さんの様子からすると、PTSDの2つの要因はそれぞれ置き場所が異なっていて、「ネガティブな認知」は意識の領域に、「回避」は無意識の領域の近いところに置かれている感じがありそうです。
そういった無意識レベルで行われていることを嘆いても仕方がないので、セラピストは、この人はトラウマの種類からいってこういうことを避けてそうだな、ということを想像しながら(有体にいうとアタリをつけて)、患者さんにそれをひとつづつ確認していくという作業に入ります。
例えば、「スーパーで買い物するのが好きなのでコンビニは行かない」という人がいました。
詳しく聞いていくと、この人は男性と接触することを避けていて、コンビニは男性店員のレジが多いので無意識に避けていたことが分かりました。
最初は男性店員のレジに並ぶことを避けていましたが、そのうちにコンビニ自体を避けるようになり、買い物は遠くて不便でもスーパーで済ませることが習慣になっていました。
そして、セラピストの目の前に座っている時には、避けてきたプロセスも忘れて(避けて)「スーパーで買い物するのが好き」な自分になっていたのす。
もう一つの例としては『ゴルゴ13』の主人公、デューク東郷氏です。
彼は、トラウマ的な子ども時代を生き抜き、現在はスナイパーという仕事をして生計を立てています。そして「後ろに人が立つこと」を避けています。「俺は(人が)後ろに立たれるだけでもいやなんだ」と言っています。
彼の現在の職種からすれば理解できる習慣かもしれませんが、後ろに人を立たせないようにする過剰ともいえる反応にはどこかにトラウマの影響は隠れていないでしょうか。
実はトラウマ体験をした人の中には、後ろに人が立つことを避けるために、美容院に行ったりすること、列に並ぶこと、エスカレーターに乗ることなどを避けている人が相当数います。「美容院に行くことが好きではない」「列に並んでまで食べたいと思わない」「健康のためにエスカレーターではなく階段を使っています」それぞれ語るライフスタイルにはその人の回避が忍び込んでいるのです。
セラピーが進んできて、自分が何を回避していたのか、それによってどうライフスタイルや気持ちの持ちよう、好みが変わってきたのか発見することは、当人にとって驚きと時には面白さを感じられる瞬間です。
デューク東郷だってトラウマを乗り越えたら、後ろにいる人をいきなり背負い投げするようなことはなくなるかもと思います。
ではまた。
http://www.office-thirdplace.com/




