カテゴリー: 感情調整

複雑性PTSDSTAIR/NST感情調整

かわいいの神

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

ヤスさんは度々怖い夢を見ます。

ヤスさんはもうリッパな大人の男性ですが、夢の中では子どもです。そして、砂漠でひとりぼっちになってしまったり、知らない人たちが家族(という設定)で、バレないように一緒に暮らしているそうです。ヤスさんはそういった夢をみると、強い孤独感を感じ、恐怖でドキドキしながら目覚めるのです。

それはヤスさんの子ども時代の感情的な体験なのかもしれません。


でも今日のヤスさんの夢は、ちょっと違う感じです。

「私は猫の島にいます」

静かにヤスさんは話し始めました。ヤスさんはそこはかとなく往年の(ヤクザ)映画俳優のような雰囲気を持った人なのです。

「その島には猫しかいないのです」

「私が森の中を歩いていると、いろんな種類の猫たちが通り過ぎて行きます。長毛種の猫や、今まで見たことのないような変わった模様の猫がいます。チーターみたいに見える大型の猫とすれ違う時は緊張しますが、猫たちは私に興味がないようで、何事も起こりません」

私の頭の中では深い森が広がっていました。暗い森の、時折光が差し込む中、様々な種類の猫が現れては去っていくのが見えます。



「私がその島にいるのは、トラを探しに来ているからです。ああ、トラ、ちうのは私が飼っている雑種の猫です。私が『トラー』と呼ぶと、どこからか微かに『にゃー』という声が聞こえます。私はトラの声を頼りに歩みを進めます」

「いつの間にか私は洞窟に入りました。洞窟の中は真っ暗です。ですが、目が慣れてくると、洞窟の壁面にはぎっしりと猫たちがいて、こちらを見ていることがわかりました。猫たちの無数の光る目は、微動だにせず私を見つめています」


「洞窟の中で私は尚も、『トラー』と呼びます。そうすると『にゃー』と声がします。目をすがめて洞窟の奥を見ると遠くの方で、トラがポテポテをこちらに歩いてきているのが見えました。私は勢いづいて再び『トラー』と呼びました。そうしたらまたトラが『にゃー』とないてポテポテと歩きます。私が『トラー』と呼んで、トラが『にゃー』ポテポテ。『トラー』、『にゃー』、ポテポテ。そうやって最初は小さな小さな姿だったトラがどんどん近づいてきます。周りの猫たちの目は相変わらず静かに光っています」

私は一心にヤスさんの話を聞いています。

ヤスさんは微笑んで続けます。

「私が『トラー』と呼ぶたびにトラは『にゃー』と言ってポテポテと近づいてきました。そしてとうとう私の手が届くところにトラがやってきました。私はトラを撫でながら『トラ、よくきたね』と話しかけています。そして、目の前にあるトラの顔をよくよく見てみると」

よくよく見てみると?

「トラの顔の眉毛が、いえ、猫に眉毛があるのは私もケッタイだと思うんですけど、夢ですからね、とにかくトラの眉毛が『ハの字』になってたんです。トラは困った顔をしていました」

困った顔をした猫なんて、かわいいでしかないですね、とつい、私が言うと、ヤスさんは「そうなんです」と再び微笑みました。

「かわいいという言葉は、姿形のことだけではなく、愛情を持って大事にしてやりたいという気持ちを覚える様だそうですね。何かで知りました」

ヤスさんは一つひとつの言葉を選ぶように話し続けました。

「私は親に愛情を持って育てられたという記憶がないので、自分の中に愛情なんてないと思ってきました。他の人が愛情について語るのを聞いてもそれはいつも他人事でした。自分には関係のない感情だと思っていたのです」

「でも困った顔をしているトラの顔をみたとき、私の中で、かわいいという気持ちを覚えたのを確かに感じました。私は、私の中にも愛情というものがあるんだってわかったんです。夢が教えてくれたのだと思います」

そう言って、ヤスさんはほっとしたようにニッコリしました。

ヤスさんの前歯は2本抜けていて、破顔するとそれがよく見えるのでした。

何というか、とてもかわいい笑顔でした。


ヤスさんが話した、かわいいの象徴は、今頃はヤスさんの家でお昼寝しているにちがいありません。

そして帰宅したヤスさんが玄関のドアをあけたら「にゃー」とないてポテポテと出迎えてくれるのでしょう。

いやはや、なんとも、かわいいことです。



ではまた。

ストレスセルフケア感情調整

閉ざされていない世界

こんにちは。

すっかり静かになった街、飯田橋にあるカウンセリング・オフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

「お店もなんもみーんな閉まっちゃってるから、仕事もないし、外で散歩するか、家にいて本読んでます」

と、私のMac bookの画面越しにノリコさんは言いました。

 

ノリコさんはフランスに住んでいて、絵を描いたり、モノを作ったりして生活している60代の女性です。毎年夏には日本に帰ってきてサードプレイスに立ち寄られるのですが、今年は帰国を断念し、オンライン・カウンセリングでお話しすることになったのです。

ノリコさんの住んでいるところは、私たちよりも一足早く都市封鎖の憂き目にあっています。

彼女から学べることがきっとあるに違いありません。

 

「散歩と読書は、この時間を過ごすのにいい方法ですね」と私が頷いていると、ノリコさんは、

「朝起きたらまず、ウエストポーチに万歩計を入れるの。私毎日、レッチリのBy The WayのPVに出てくるタクシードライバーみたいな恰好しているんよ」と言って立ち上がり、ポーズを決めました。

見ると、白のタンクトップにヒョウ柄のサルエルパンツみたいなゆるめのズボンをはいて、腰に小ぶりなウエストポーチをつけているノリコさんがいます。

タクシー運転手の標準的な服装というものがあるとしたら、今ノリコさんがしている、ロック・バンドのPVの中のタクシー運転手の恰好は、それから相当かけ離れているものではないでしょうか。

 

「すごい、ですね」と私が、やや言葉を失い気味に、それでもなんとか感想めいたものを押し出すと、それを賛辞と受け取ったのかノリコさんはニッコリして、

「あと、こっちの人らはみんな、カミュの『ペスト』とか読んでるよ。この作品は新型コロナにあえぐ今の状況への警鐘となり得るとか言って」と、教えてくれました。

「日本でも『ペスト』や小松左京の『復活の日』なんかがメディアで話題になっていましたよ。人の考えることは同じですね」と、私が応じると、

「警鐘て」とノリコさんは、眉間にシワよよせて、(ノリコさんなりの)憂いを含んだようなため息をついて、言いました。

「警鐘て、『ジョーズ』の人食いサメを見て、すんごい怖い思いしたからって、ビーチに行く予定をキャンセルするかっていうと、しないじゃろ。ほんで、『13日の金曜日』とかのホラームービーで、イチャイチャしよるカップルがジェイソンに最初に殺されるからって、夜のキャンプ場でのイチャイチャやめるんかっていうと、やっぱりやめられるもんではないです」

いつものノリコさんらしい物言いに、私が思わずハハハと声をあげて笑うと、ノリコさんもウケケケと面白そうに笑いました。

あったかい空気が私たちを包んだように感じました。

 

すると、ノリコさんはちょっと言葉を切って真面目な顔付きになり、こういいました「私、ケッコンすることになりました」。

 

いささか突然の話の展開にたじろいだ私が「え、え、誰と、ですか?」と間の抜けた調子で問うと、ノリコさんはなんだかカタい表情のまま「病院のセンセイをやってる人で、今大変なんですけど、毎日毎日ずーっと飽きもせず私に電話しよるから、PACS(事実婚)してもいいかなって」と答えました。

 

早口で話すノリコさんの言葉の中にある、「センセイ」の最初の「セ」についた、お国言葉のアクセントの響きに、なんとも言えぬ優しさが滲み出ているように感じました。

ようやく事態を飲み込めた私が、居ずまいを正してお祝いを伝えると、ノリコさんはフッと息を吐いて、さっきよりも柔らかい声で「ありがとう」と言い、「なんでも聞いて」と大物芸能人みたいに椅子の背にもたれました。

 

それから、ノリコさんとセンセイとの出会いの場面から親密になるまでの軌跡、ライバルの出現や、プロポーズに至るまでのやりとり、ソウルメイトについて、人生の不思議さについて、つまりは、「恋バナ」満載のセッションを終えると、ノリコさんはキラキラした少女のような笑顔で、画面の向こうからバイバイと手を振ってくれました。

 

今となっては、レッチリのタクシードライバーの格好がとてもイカして見えました。

 

そしてそれは、たとえ不自由な環境の中にいても、人の心は自由でいられると思えた瞬間でもありました。

不安に閉ざされた世界であっても、私たちの心はちゃんと生きて、動いていて、ポジティブな気持ちを表現する力があります。

 

今日も確かに、ノリコさんに学ぶことがあった日でした。

 

 

こちらもどうぞ

●ノリコさんの感情調整☞【感情調整】クリエイティブな気持ちの収め方

●ノリコさんの読書術☞【批判的読書術】

●新しい試み☞【オンライン】カウンセリング

 

ではまた!

サードプレイス

 

 

 

サードプレイス読書療法感情調整

【批判的読書術】

こんにちは。

飯田橋にあるこぢんまりとしたカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

夏になり、海を越えてノリコさんがやってきました。

ノリコさんは絵を描いたり、粘土で造形をしたりするのが得意で、いってみればそれを生業にしている人ですが、本を読むのも好きだそうです。

ノリコさん曰く、「この年になると、名作っていわれるものは読んでおかなきゃって思ったんだよね」。ノリコさんは60代、もの思う年なのです。「そんで『老人と海』を読みはじめたんだけど、ギブアップしたわ。だって、じいさんがずっと釣れるかな、どうかなって、それを100回くらい繰り返してて、なかなかお魚が釣れないんだもの、飽きたよ」

じいさんって・・・・と思いましたが、ノリコさんは老人と海についてはサッサと切り上げて、話しは次に移ります。

「そんで、やっぱ日本文学を読むべきだろうって思い直して『雪国』を読みはじめてみたの」「そしたら、最初からイヤーな予感がしたわけよ」

私は『雪国』の冒頭の部分は、嫌な予感どころか、名作中の名作と言われる書き出しではないかとノリコさんに問うてみました。

「名作とかは関係ないよ」とさっき名作云々言ってたくせに、ノリコさんは言下に断じました。「小太りな中年男が出てきて、窓越しに葉子をじとーっと眺めたり、自分の人差し指をクンクン嗅いで駒子のことを思い出すシーンがあるじゃろ」

そんなシーン確かにあったような、でもノリコさんの言う通りの描写ではなかったような気もします。

「あの辺りのクダリから、若い女性をモノ化しているように感じて、ほら、そういうグループ、日本にはあるじゃろ。女の子たちを集めてグループで歌わせている、小太りな中年男、アレに見えたのよ。あの、アキモ・・・・」

音楽プロデューサーの方、ですかね。

危険を察知して食い気味に言った私の言葉が気に入らないのか、ノリコさんは胡散臭げに視線を向けてきました。

「まあ、そうよ。金とパワーを持つ男が、駒子みたいな若さ故に物を知らない女の子の気持ちをマニュピレート(操作)するのを読んでいるとイラっとするし、とにかく恋愛とか人間関係ていうのものは、もっと対等であって、お互いを人として尊重するものであってほしいと思ったわけ」

ノリコさんは一気にそこまで話すと、今度はにっこりして言いました。

「そんで、私は主人公のアキモトを、自分の頭の中で全盛期のトヨエツの姿形に変換して読み進めることにしました」

ノリコさんが機嫌よく話しはじめたので、私は先ほどのポリティカルコレクトネス的な努力をフイにされたことや、トヨエツ(それも全盛期の)に変換って一体何なんだっていう疑問は一旦脇に置いておいて、耳を傾けることにしました。

「全盛期のトヨエツが主人公だったら駒子の見境のなさにも共感できるじゃろ。ストーリー中のちょっとした描写も繊細でねぇ」

あの作品の情景描写は定評がありますからねぇ。

 

「そんで調子よく読み進めてたら、最後の最後に主人公が小太りっちゅー描写が入ってくるじゃないの、小太りって!私のトヨエツが崩壊した瞬間だったね」

ノリコさんにかかると『雪国』は手に汗を握るジェットコースター的小説となるようです。

 

「あの川端っていう男は到底許せないよ。こちらを油断させておいて、最後はやっぱり女が被害者になるっていう筋立てなんだ。そんなのをキレイに描いたのが日本文学なんだ」

今やノリコさんは下を向いて息を詰めている様子です。心の奥にある自分自身の傷跡にじっと触れているかのノリコさんの様子をみて私もそっと居ずまいを正しました。

 

でもノリコさんはすぐに目をあげて「腹は立つけど、奴にだって自分のファンタジーを書きつけたいって権利はあるわけだし、それに」と言って、息をふっと吐くと「日本は温泉がいいよね」といささかだしぬけに言いました。見ると、今やノリコさんの眉間にはいいスペースが広がっています。

「なんかしらいいとこもあるってことですよね」と私もニッコリして応じました。

「そうそう。私のハイエンド(高級)な靴を安心して下駄箱に預けられるもんね。あっち(ノリコさんは南仏在住なのです)だったら2秒で盗まれるわ」

ノリコさんはそういって笑うと「んじゃ、また来年」と言い、そして私はバレンシアガのスニーカーをはいたノリコさんがスーパー銭湯へ向かうのを見送りました。

 

それにしても今回、川端康成も例の音楽プロデューサーもえらい言われようでした。

でも、どうやら日本が海の底に沈められるのは免れたようです。

 

あぶないとこでした。

 

●ノリコさん登場☞【感情調整】クリエイティブな気持ちの収め方

●子ども時代のトラウマのコア:感情調整☞【STAIR】感情調整からの、対人関係

ではまた!

サードプレイス

ストレス感情調整

【性欲】!【性欲】??

こんにちは。

飯田橋にあるこぢんまりとしたカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

ストレスを感じたときの具体的な対処の方法は様々です。お風呂に入って歌を歌ったり、皇居の周りを軽くジョギングしたり、気のおけない友だちとおしゃべりしたり、サウナに入って「ととのって」みたりします。

ストレスを受けるともやもやした不快な気持ちになりますが、不快な気持ちがあっても心地のいい活動をすることでそれをうまく調整できる力が人には本来的に備わっています。それに、ストレス対処の仕方は新しく学んで増やしていくことができるものです。

 

お風呂に入って歌ったりするのは、比較的無害なストレス対処法です。一方で、深酒をしてバーの床に寝転がったり、隠れて薬を打ったり、自分の腕を切りつけたりするのも、自分の中にある苦痛な感情をなだめるために必要な、いわば松葉杖のようなものなので、これらも「悪い行為」ではありませんが、「長期的にみるとデメリットが大きい行為」であるので、だれかに助けを求めてもらいたいと願っています。

 

そんな中、ストレスが昂じると性欲も高まるので、とにかく沢山の人と性的な関係を持ちたいという人もいます。

性欲、というとなんだかもう「本能的」に聞こえるので、それに抗えない、いやむしろ抗ってはいけないような気持ちというか、ほとんど開き直りに近い気持ちになったりするものですが、不特定多数の人や危険の伴うセックスしたくなったりする「性欲」は、様々な消化できていない不快な感情と結びついている可能性が大いにあるので、その「性欲」をちょっと疑ってみるのは大事と思っています。

セックスがストレス対処法にあんまり向かないわけは、妊娠や性感染症という身体へのリスクが他のストレス解消法と比べても大きいことです。それに、相手がいることなので、その相手や周辺との思わぬ関係の浮き沈みで、気持ちをなだめるどころか、余計なもやもや感情をしょい込むことになるのがどうもうまくありません。

ストレスを性欲で晴らしがちな人は、セックス以外のセルフケアを増やす工夫をしてほしいと思います。その際に自分の「ふれあいたい欲」も満たしてあげて下さい。動物を抱っこしたり、もしパートナーがいる人なら長めに抱っこしてもらったり、お布団にくるまってぬくぬくしたり、マッサージを受けるのもよいと思います。

 

でもなによりも一番最初にしてほしいのは、自分の身体を守ることです。

是非、コンドームをつけて/つけさせてください。

女性が低用量ピルを飲むことも助けにはなりますが、性感染症も妊娠も高い確率で防げるのは最初からコンドームを着用する/させることです。

 

また、どんな時に自分の性欲が高まるか「性欲日記」をつけてみるといいですよ。日常生活の中で、仕事で疲れたときや一人ぼっちだと感じたとき、人間関係ですごいストレスを感じたときなど、人によって違いますが、なにかのきっかけがみつかります。

そのきっかけの中に、あなたが向き合い大事にしてあげるべき自分の感情が含まれているのだと思います。

 

●コンドームの具体的なつけさせ方☞【安全運転】の具体的な方法

●セルフケアについてもっと☞【「自分アプローチ」としてのセルフケア】3つのチャンネルを意識すると上手になります

●オイル浴も「ふれあい欲」を満たせますよ☞『ちつのトリセツ 劣化はとまる』ちつのケアとココロのケアの深い関係

●20年前からの #NoBagForMe ☞【ひとりムーブメント】プチフェミ的な行動の効果

 

ではまた!

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セルフケア心理療法感情調整

【ポジティブ】シンキング!

ご無沙汰していました。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

認知行動療法の考え方は、自己啓発セミナーなど(心理療法の世界に比べるとキラキラ感が多めの)の世界でも普及しています。

セミナーなどで、よくテーマになるのは

「ポジティブな物の見方をしよう」

ということで、例えばコップに半分程度入った水に対して「まだ半分ある」と考えるのと「もう半分しかない」と考えるのでは、人生の成功具合とか、幸せの引き寄せ具合は違うっていうやつです(そしてこの場合は「まだ半分もある♡」って考えるのが正解ってことらしい)。

でも実は、「まだ半分もある」とスムーズに信じられるのは、元からそう思えている人か暗示にかかりやすい人で、多くの人にとってはなかなかに難しいことなのです。

「そもそも、私はこれまでの人生の全ての事象において、コップに半分しかないっていう風に考えるタイプの人間です」って変に自分の歴史をさかのぼって反省したり、「いくら自分に言い聞かせてもポジティブに考えられるようにならない!」と頭をかきむしる、変に真面目な人もいます。

そこで私は、この手の「ポジティブな見方をしよう」という、もうほとんど呪いに近いこの考え方についての対策を求めて、エライ先生からの助言を仰ぐことにしました。

先生はこの業界(心理療法)のエキスパートを育てている、いわばエキスパート中のエキスパートです。この先生を前にすると私は緊張のあまり妙にヘコへコして、正直のところ面会するのは気がすすまないのですが、背に腹は代えられません。

 

コップに水は半分しかないって考えるタイプの患者さんに対し、どのように認知を再構成していけばいいのでしょうか(質問の仕方も自ずとエキスパート風になります)。

先生はこのように答えました。

「そもそも、コップに水が半分しか入っていないのが問題なのだから、コンビニの近くに引越せばよい」。

え、そういう問題ではなくて。

「では、なにが問題なのかね」。

 

先生とのやり取りは、ものの5分で終了してしまいました。

 

そうして、私は「エライ先生に5分時間を割いてもらった♡」と殊勝に喜ぶかわりに「あのジジィ、5分しかくれなかった!」と憤然として帰ってきたわけです。

腹の虫が収まらないので、食べログのアプリで検索したカフェに向かいました。そのカフェで「スペシャル・パンケーキ、エシレバター付き」を食べました。そして、その足でスパに行き、岩盤浴をしました。足つぼマッサージをうけました。そうしてお湯につかっている間に、だんだんと落ち着いてきて、ゆったりした気分になってきました。

お湯につかりながら思いついたのは、コップに水が半分しか入っていないと、不安を感じて落ち着かないよなぁ、ということでした。

すなわち、私たちの苦悩の元は、考え方ではなくて、感情にあるということです。

ネガティブな気持ちになっている時は、考え方を変えようと躍起になるよりも、その時の感情を手当てしてあげることが肝要なのではないでしょうか。コップの水が少なくて不安になっている時は、自分の気持ちが安心に近づけるようにケアしてあげることが良いのです。私がまさに今、怒りという自分の感情をケアしてるように、です。

そう考えると、コンビニの近くに引越すのはあながち間違いでもありません。

 

エライ先生の態度はちょっとばかし気に入らなかったけど、全くのムダな5分ではなかった、許してやろう、そう考えて、湯上りの身体に心地良い夜風を受けながら帰りました。

 

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●ノリコさんの気持ちの収め方☞【感情調整】クリエイティブな気持ちの収め方

●日常にある認知行動療法☞これもまた【認知行動療法】

●怒りの気持ちの収め方☞【感情調整】怒りそのものなような、そのようにみえるような

 

ではまた!

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