カテゴリー: 複雑性PTSD

ピックアップ!複雑性PTSDSTAIR/NST

【2019年最も読まれた記事】第3位 スキルのトレーニング

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

2019年に読まれた記事の中で三番目に多かったのはSTAIRについての記事でした。

【複雑性PTSD】スキルのトレーニング

 

複雑性PTSD、という用語の検索で、『薄味の日記』へたどり着く方も多く、それは自分自身の子ども時代などの虐待の影響について関心を寄せている方が少なからずいるというしるしと考えています。

子ども時代の虐待やネグレクト、マルトリートメントの影響は、複雑性PTSDに限らず、多くの研究で、統合失調症や双極性障害の発症率、アルコールなどの依存問題、自殺率などと関連があることが知られています。また、先月の摂食障害学会では摂食障害とトラウマとの関連も言及されていました。

 

複雑性PTSDの概念は、「症状は子ども時代のトラウマに由来している」というところが、理由を求めたい私たちにぴったりとくるところだと思っています。私たちは何がどうなって今こうあるのか、そうしてこれからどうなるのか、みたいなストーリーをわかっていたい生き物でもあるのです。

そして、逆境にあった子ども時代に、何を学び落としていたのかということも多くの研究の中で明らかになりつつあります。STAIR(認知行動療法で感情調整と対人関係のスキルトレーニングを行うもの)の中で、それらを学び直していくことが、トラウマからの回復に向けた最初の一歩になるでしょう。

 

STAIRはDBT(リネハンによる弁証法的行動療法。境界性人格障害の治療のための心理療法です)の子どもみたいな成り立ちなので、行動すること(スキルトレーニング)を重視しています。実際、どの心理療法でも、先の摂食障害学会で来日されたCBT-E(摂食障害のための認知行動療法)の開発者の一人であるザフラ先生も「行動することのみが認知に変容を及ぼす」と明言していたとおり、考えるだけでは不十分で、行動することが認知の変化を生むと考えています。

 

認知行動療法(C:認知B:行動T:療法の頭文字を取ってCBTと呼んでいます)は

 

 

 

とBマシマシで表記するといいかもしれません。

 

 

 

ではまた来週金曜日に!

サードプレイス

複雑性PTSDPOWERSTAIR/NST心理療法

【シャバ】と【ムショ】のあいだ

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

大学病院で働いていたころ、グループセラピー(病院では医師の指導のもと行われる「集団精神療法」のことを指します)は心理の仕事の一つでもありました。グループセラピーは保険が適用されるので、患者さんの費用負担が少ない上に、複数の人々に一気に心理教育を行えるので、大勢の患者さんを抱える大学病院にとっては良いことだらけなプログラムだったと思います。

でも、みなさんは既にお察しかもしれませんが、私自身は、どうにも集団というものは苦手なのです。子どもの頃から教室につめられて席につき、授業を聞いているのは、窮屈だし退屈、と感じていました。

そして「窮屈でも退屈でもないグループセラピー」を行うとなると、様々な工夫やファシリテーター(グループを運営するセラピストのことをこう呼びます)としての研鑚、そのためのお金や時間も必要で、心理士の薄給にとても見合うものではありませんでした。

それでも私がグループセラピーを実施していた、というより、むしろ当時、病院の他の誰よりもマニアックに取り組んでいたのは、やはりそのメリットが大きいものだったからです。良く構成されたグループでは、自分自身についてより深いレベルで(腹の底から)理解することができます。それは心理療法の1回や2回のセッションとは比較にならないほどのレベルです。

病院でのグループセラピーは、子どもの頃の虐待やDVなどのトラウマを抱えた女性を対象にしたプログラムでした。ざっと延べにして800人以上の方が参加してくださったと思います。

そんな風に10年以上にわたって私は、STAIRを基盤とした、複雑性PTSDのためのグループセラピーをコツコツと作り、実施し、改変し、また実施し、そしてまた改変し、というのを繰り返してきました。グループの名前もつけました。それで、ずいぶんと素晴らしいグループセラピーができたなぁ、これはどこに行ってもそうそうあるものじゃないなぁ、と少し感動しかけたところで、病院がなくなってしまい、そのグループセラピーは私のUSBのデータとしてしか存在しなくなりました。幻のグループになったのです。

 

USBデータとしてのグループセラピーが2年ほど続いていたある日、ある縁に見いだされて全く新しい場所でグループを開くことになりました。

刑務所の中です。

そして、グループの参加者達は男性受刑者でした。

受刑者の人々は、子どもの頃の虐待やネグレクト、その他のトラウマの体験がある人が少なくないということは研究でも知られています。そして、子どもの頃のトラウマ的な出来事は、感情のコントロールや、対人関係の困難を引き起こします。

グループセラピーの中でも、受刑者の人々は、怒りのコントロールが難しかったり、そもそも「感情」がわからないということや、相手から大切にされるような関係が作りにくい、ということが明らかになりました。

週に1回、受刑者たちは刑務所での作業を中断し、グループセラピーのお部屋に連行されてきます。同じ日に私は外の世界から刑務所を訪ね、同じくグループセラピーのお部屋まで案内されます。そのお部屋は私とみんなが出会う、丁度「シャバ」と「ムショ」の間のようなところなのです。そこで私たちは、刑務官に監視され(見守られ)ながら、自分の感情や考えを言葉にして自由に表現することが許されています。

 

そして、全15回のグループセラピーが10回目を超え、はじめのうちは気が張っていた私のココロにちょっとした変化が起きています。というのも、ある気持ちがわいてきていることに気がついたからです。このグループセラピーが終わって、みんなとお別れすることをどうやら私は惜しんでいるようなのです。

刑務所のグループセラピーで出会ったのは、こういうこと(つまり、子どもの頃のトラウマがいる大人になってからも影響しているということ)を学ぶのが人生で初めて、という人々でした。今までこのことについて教えてくれた人は誰もいませんでした。

けれども、みんなは本当に真剣にグループに関わって、そこでそれぞれが、自分自身に関する驚くような洞察や、気づきを語っています。

 

このグループセラピーの名前は、POWER(Practice Of Wisdom, Emotion and Relationship)です。

POWERがシャバに出た後もみんなの「力」になることを願ってやみません。

 

●子ども時代のトラウマの核☞【STAIR】感情調整からの、対人関係

●STAIRについて☞【複雑性PTSD】STAIR誕生!【感情調整と対人関係のためのスキルトレーニング】

●複雑性PTSDについて☞【複雑性PTSD】診断がつく、ということは治療法があるということです

 

 

ではまた!

サードプレイス

 

 

複雑性PTSDSTAIR/NST対人関係感情調整

【STAIR】感情調整からの、対人関係

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

STAIR(Skills Training in Affective and Interpersonal Regulation:感情調整と対人関係のためのスキルトレーニング)は認知行動療法の一つで、主に子ども時代の虐待やDV被害などの対人トラウマから引き起こされる感情調整や対人関係の困難に焦点をあてた心理療法です。

幼少期のトラウマを抱えた女性98人を対象とした、「現在困っていること」に関する調査(Levitt & Cloitre, 2005)では、女性たちが困っていることのナンバー1は対人関係の問題(67%)でした。その次にPTSDのなにかしらの症状(59%)、感情の問題(31%)と続いています。

調査でも示唆されているように、セラピーに来る人は、どちらかというと感情(怒り)の爆発で悩んでいるという人を除けば、自分の感情で困っていると訴える人は少ないのです。大抵の場合、感情はあまり感じないようにフラットになっているか、時にはスイッチを切った状態になっていることが多いからです。

そんな訳で、多くの人は対人関係が困難を感じるきっかけであり、それをなんとかしたいと思ってセラピーに来るので、STAIRの対人関係のセッションを学ぶ前の、感情調整のセッションでは、ちょっと焦れるような感じになるかもしれません。

そんな時でも感情調整を学ぶことはとても意味があることだと思っています。

なぜなら、子ども時代のトラウマを経験した人にとって、対人関係とはなにかの「コツ」とか考え方ひとつで乗り切れるものではないからです。対人関係には感情がつきもので、その中で生じる自分の感情をより良く受け止める力がどうしても必要になります。

もう一つ、もっと重要なことがあります。

対人関係の基礎となるものが、感情のやりとりである、ということです。

私たちは、子どもの頃に感じる自然な感情を相手に伝えて、それを受け取ってもらう、ということを繰り返して大人になっていきます。

つまり、子どもの頃は、うれしいことがあれば、共に喜んでもらい、悲しいことがあれば慰めてもらう。腹が立ったらなだめてもらい、そして、困ったことがあれば助けが差し延べられます。すなわち、感情は私たちの内から自然に出てくるものですが、それは養育者などの適切な相手によって、受け止められ、調整されるものです。それが何度も行われるうちに、自分自身でも感情をうまく受け止められるようになりますし、そうできるようになると、自分の気持ちを相手に伝える段になっても、自然に(つまり、無理やりに押さえつけたり、または爆発させずに)、さらりと伝えることができるようになるのです。

さらりと伝えられた気持ちは相手にも心地よく受け止められるものですから、このキャッチボールはいい循環で続いていくものです。

 

子ども時代のトラウマとは、うれしいことがあっても共に喜んでもらった経験がない、ということです。

泣くときは一人でしたし、怒りはいつまでも自分の中にあるものでした。そして、だれかに、助けてもらったことがないので、自分が困っていることにも気が付いていませんでした。

このような感情状態が子ども時代のトラウマの核にあるものです。

 

STAIRの中で感情の一つひとつに丁寧に気づいて、うまくそれを表現したりする練習をすることで少しづつ感情のやり取り、のようなものがわかってくると思います。それが今の人間関係の基礎となっていくように練習していくのです。

セラピーの中では、決して否定や批判をされることはありません。あなたの考え方や感じ方が一番大切にされるのが、セラピーでもあるのです。

 

●STAIRについてもっと☞【複雑性PTSD】STAIR誕生!【感情調整と対人関係のためのスキルトレーニング】

●感情調整についてもっと☞【STAIR】感情調整は感情の役割を知ることからはじまります

●感情を感じない☞【感情調整】感情が出すぎる人ではなく、出ない人の話

●感情調整こぼれ話☞【感情調整】クリエイティブな気持ちの収め方

 

ではまた!

サードプレイス

 

トラウマ複雑性PTSD

【トラウマ後の症状】自分が嫌い

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

10代の、いわゆる思春期っていう頃になると、多くの人は自分のことが嫌いになります。

この時期には、認知の発達(脳ミソの成長)とともに、自分のことが今までよりも客観的に見れるようになるので、周りの友人や自分の理想と自分自身を比較し、結果、自分のことがとても嫌いになって悲観したり、また大好きになったり大嫌いになったりを短い期間(時に1分単位で)で繰り返したりします。いわゆるメンドクサイ時期です。

 

認知が発達したとはいえ、10代は、まだまだ子どもの世界に生きているところがあります。子どもの世界、とは認識上のことで、自分がいい子にしていればいいことがあるだろうし、お母さんが怒るのは自分がなにか悪いことをしたせいだと信じるシンプルな因果律に基づく世界です。

でも実際は、いい子にしていても交通事故にあったり、テストで失敗することだってあるし、お母さんは、昨晩お父さんの借金が発覚して、今日はお父さんをしめ殺してやりたいという思いで頭が一杯なのかもしれない、世界はもっと複雑だということをオトナの私たちは「客観的に」知っています。

言ってみれば、10代の子どもは「視野が狭い」のです。視野の狭さと自己肯定感の低さなどのネガティブな考え方とは深い関連があります。ですから、大人になってからも、様々な理由で視野が狭くなっているときは、自分への考え方や見方が否定的になるのが常です(自分に対して否定的になってない場合は、他者に対して否定的になっています。あちらを立てればこちらが立たず、ですね。用法が間違っている気もしますが)。

そんなんで認知行動療法では、自尊心が低いとか、自己肯定感がないと訴える人に対して、視野を広げ、柔軟な考え方ができるようなサポートします。そうすると落ち着いて「客観的に」物事を考えられるようになり、自分に対しても、結構悪くない人間なんじゃないかと感じられるようになります。

 

ここまでは、普通に(このブログでもはや何が普通なのかわかりませんが)自己肯定感がなかなか持てない人へのケアの仕方です。

 さて、この自己肯定感のなさが普通よりももっと強い、筋金入りの時があります。子どもの頃に養育者から、または大人になってからパートナーに、繰り返し自分を否定されたトラウマ的な経験が積みあがっている場合などです。

そんな時には客観的に考えようとするだけではとても足りません。

なぜなら、トラウマの影響下にあるときは、自分の非を追及する声がものすごく強力だからです。さながら自分を裁く法廷において、敏腕かつ冷酷な検事が次々と反証を繰り広げ、あっという間に有罪確定に追い込んでしまうみたいになります。

かくして、「私にもなかなか良いところがある」というもっともな主張は、無慈悲な検事から「母親に、産まなきゃよかった、と言われた事実からしてそんなふうに感じる権利は認められない」とコテンパに反論され、「一生自分を恥じて生きていけ」と判決が下されます。

 

こんな時は、法廷に踏みとどまって勝ち目のない裁判に時間を費やすのは意味がないと気が付くことが大切です。

そしてちょっと考えてみましょう。

そもそも、私たちが人に対してポジティブな気持ちを抱くときはどんなときなのか、ということです。

ヒントはテレビのドキュメンタリー番組にあります。番組の中で、ある人の半生を詳しく知ったときのことを思い出してください。その人がどのような逆境に遭い、それをどのようにくぐり抜けてきたのか、その人の長所も短所もすべて含めたその人らしさ、といった詳細に触れたときです。そのような履歴書にはない生き生きとしたストーリーは、私たちにその人への共感(コンパッション)を生み出します。

そのようなコンパッションを感じたとき、その人を深いレベルで理解し、身近に感じることができた経験はないでしょうか。

実はコンパッションというものは、人に対する「好き・嫌い」や、「良い・悪い」の価値判断から私たちを自由にする力を持っているのです。

 

そこでセラピーでは法廷から抜け出て、カメラのクルー(仮)と共にあなたの人生を取材する旅に出ることになります。客観的な事実だけを並べてもいい作品には仕上がらないことはわかっています。ドラマティックな表現を好む人もいるし、抑えた描写が好きな人もいますが、どちらにしてもそこにはストーリーとそれに伴う様々な感情がきちんと表現されている必要があります。

そしてその作品が納得いくように仕上がり、自分自身をコンパッションの気持ちをもって眺めることができたなら、その時は、自分が嫌いとか好きということを超えて、自分のことをそのまま受け入れられるような心境になっているにちがいありません。

 

それこそが「自己受容」ってやつで、どんな賞をもらうよりも心地よいものだと私は思っています。

 

こちらもどうぞ

●トラウマ後の4つの症状のひとつ

【トラウマ後の症状】フラッシュ・バック

【トラウマ後の症状】人の中にいても一人

【トラウマ後の症状】アンテナが全開

 

●ストーリーの効果☞【人生のストーリー】トラウマの光と陰

●認知行動療法☞これもまた【認知行動療法】

 

ではまた!

サードプレイス

複雑性PTSD対人関係

【対人関係スキーマ】大切な人を【ちょうどいい感じで】大切にしたい

こんにちは。

飯田橋のカウンセリング・オフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

「ほどほどに」っていうのがわからない、という人がいます。

「普通」とか「中庸」が難しい、という人も案外多くいます。

そのように感じるのに至るのはそれなりの理由があるのですが(その話はまた今度)、日常生活でこの適度な調節がうまくできないとなるとなかなかの苦労です。

傍目からみても無茶なことをして、その結果、怪我をしたり、死んじゃったり(ライトに書いてますがそれって深刻な事態です)、または働きすぎて身体の具合を悪くしたりします。

 

性格ともみなされている、そういうある種の「極端さ」は人との関係でも起こりうるものです。

それは、特に近しい関係、例えば親子関係や親密なパートナー関係では顕著に出るもので、だからこそ自分も相手も苦しい思いをすることになります。

そういう人は職場なんかではなかなかにリッパなことが言えていたり、コミュニティの中でそれなりに一目を置かれていることも少なくありません。

しかし、家族やパートナー関係のような感情の伴う対人関係となると、様相が一変します。長時間にわたって一方的に自分の主張を繰り返したり、時には暴力に訴えたりして、相手に自分の怒りをぶつけるので、相手はヘトヘトになってしまいます。

そういう人は相手のことが嫌いなのかというと、全くそんなことはなく、相手に「自分のことをわかってもらいたい(でもわかってもらえない)」という矛盾した強い気持ちをもっています。

時にはその気持ちを「愛」としか表現できない、と言う人もいます(それを聞くとちょっとウププってなりますが、セラピストはその類の発言に対しては「そうですね」と軽くスルーすることにしています)。

そのような人々は、ココロの深いレベルで「誰も自分のことをわかってくれない」という、強い無力感を持っています。自分のことを話してもわかってくれないだろう、という恐怖や無力感は気が付かないうちにその人の行動パターンを支配するようになります。

すなわち、「誰も自分のことをわかってくれない」という無力感があると、自分の気持ちを押し込めがちになります。

大抵の人は対人関係においてなんらかの「ほどほど」の我慢はしていますが、「誰も自分のことをわかってくれない」という無力感を持っている人は、言ったってわかってくれないから言うだけ無駄だと脳ミソは指令を出すし、自分の正体がバレたら見捨てられる、と密かに恐れてもいるので、自分の感情を極端に我慢する傾向にあります。そして我慢し続けた気持ちがたまると、怒りや恨みとなり爆発するのです。

爆発をぶつけられた相手はどうなるでしょう。遅かれ早かれ倒れたり、去ることになるのです。そして結果、あなたは「やっぱり誰も自分をのことをわかってくれない」と無力感を上塗りすると同時に、深い自責の念でより苦しむことになります。

こんなことはもう終わりにしたいでしょう。そのためにはあなたは小手先のスキルではなくて、自分の真の感情に向き合う必要があります。

感情に向き合うのは「怖い」と誰しも思うことですが、ちゃんと向き合ってみると「案外、大丈夫だった」とも感じられると思います。

セラピストとしては、感情に向き合うという点においては容赦はしませんが、大切な人をきちんと本当の意味で大切にできるのなら、この努力は十分報われると思います。

 

今日はちょっと厳しめでした。

 

こちらもどうぞ

●ちゃぶ台を返してはいけません☞【堪忍袋】の中身、怒りと傷つき

●キャンプファイヤーの静め方☞【感情調整】怒りそのものなような、そのようにみえるような

 

ではまた!

サードプレイス