カテゴリー: 複雑性PTSD

トラウマ複雑性PTSD

【複雑性PTSD】のDSO症状のことなど、いろいろ

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

ICD-11(WHOが作成する、疾病及び関連保健問題の国際統計分類の第11回改訂版です。ちなみにICDはInternational Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems、WHOはご存知の方も多いと思いますがWorld Health Organizationの頭文字です。今日は頭文字がいっぱい出てきます。気合入れていきましょう)は今、絶賛改訂作業中なのですが、複雑性PTSDの項目もそれに伴って右往左往、といわないまでもずいぶんと変化を遂げているようです。

複雑性PTSDの「症状群」はDSOという概念というか言葉で記述されつつあります。

DSOはDisturbance in Self-Organizationの頭文字で、「自分がいい感じでまとまってくれない状態」みたいな意味だと思ってください。

DSO症状は3つあって、1つは感情制御の困難(affective dysregulation:AD)、2つ目は否定的な自己概念(negative self-concept:NSC)、そして3つ目として挙げられているのは、対人関係の困難(disturbed relationship:DR)です。

ここまでは、これまでの症状が名付けられ(ADとNSC、それにDRといわゆるニックネームまでついて)、まとまってきたんだなというところですが、一番大きな変化は、複雑性PTSDの出来事の基準についてでした。

 

単回性のトラウマ的な出来事からPTSD、長期・反復性のトラウマは複雑性PTSDと、このブログでも何度も書いてきて(しまって)いる、この前提条件みたいなのがなくなってしまったのです。

複雑性PTSDに特有の出来事基準を採用されるのは見送られ、PTSDと同様の出来事基準が用いられることになりました。つまり複雑PTSDもPTSDも同じトラウマ的出来事から発症し、違いはDSO症状がある(複雑性PTSD)か、ない(PTSD)か、だけの違いになったのです。

 

ちなみにPTSDの出来事基準は以下の通りです(DSM-5という診断マニュアルをまるっと写しました)。診断マニュアルでは以下の出来事を「これこそがトラウマ的出来事である」と定義しているのです。

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実際にまたは危うく死ぬ、重傷を負う、性的暴力を受ける出来事への、以下のいずれか1つ(またはそれ以上)の形による曝露:

  1. 心的外傷的出来事を直接体験する
  2. 他人に起こった出来事を直に目撃する
  3. 近親者または親しい友人に起こった心的外傷後的出来事を耳にする。家族または友人が実際に死んだ出来事または危うく死にそうになった出来事の場合、それは暴力的または偶発的なものでなくてはならない
  4. 心的外傷的出来事の強い不快感を抱く細部に、繰り返しまたは極端に曝露される体験をする(例:遺体を収容する緊急対応要員、児童虐待の詳細に繰り返し曝露される警官)

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複雑性PTSDはもともと児童虐待や強制収容所、長期間の過酷なDVなどが前提になって様々な症状が表れてくると想定して作られた診断名です。今回、その前提が外れてしまったことで、梯子を外されたような気分になっているのは多分、私だけではないでしょう。

そんな中でDSO症状に悩んでいるのは実際、長期・反復型のトラウマの体験者に多い、ということは事実ですが、それに反した症例も報告されています。成人期の単回性のトラウマでもDSO症状を示す人々はいますし、反対に、子どもの頃に性被害を受けた人でも家族に守られたことで、DSO症状を発症せずに、通常の(もはやなにが通常なのかわかりませんが)PTSD症状のみの発症にとどまっていた、という症例もあって、そんなこんなで、複雑性PTSDになるのは、被害の種類というより、環境要因や運が大きいということが浮き彫りになりつつあります。

 

こうして複雑性PTSDは長期・反復性トラウマ、というアイデンティティの一部を手放しつつあります。なんだかしっくりしないような余韻があるにせよ、です。

しっくりしないと言えば(そして、この際だから言ってしまいますが)、問題提起しておきたいこともあります。

身体的、情緒的なネグレクトの養育環境、学校時代のいじめや、教師や医師といったケアを提供する立場にある人物からのセクシュアルハラスメントやその他のハラスメントなど、PTSDの出来事基準に満たないトラウマは沢山あります。

これってトラウマではないのでしょうか。

そんなことはないでしょう。

 

 

そうそう、忘れていました、DSMは、Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders(精神障害の診断と統計マニュアル)の頭文字です(いや、もう覚えなくてもいいです)。

 

●複雑性PTSDの診断ついて☞【複雑性PTSD】診断がつく、ということは治療法があるということです

●PTSDの症状についてもっと☞【PTSD症状】PTSDの症状についてさくっと説明します

 

こちらもどうぞ

●トラウマ?PTSD??☞【トラウマとPTSD】トラウマとPTSDの違いについてさっくりと説明します

 

ではまた!

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サードプレイスピックアップ!複雑性PTSD読書療法

【2018年 最も読まれた記事】第1位【複雑性PTSD】診断がつく、ということは治療法があるということです

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

私が初めて「複雑性PTSD」という概念を知ったのは、約20年前にジュディス・ハーマンの『心的外傷と回復』を読んだときです(この本のはじめに出てくるトラウマの歴史に関する章は圧巻です。それをいうなら、この本全部が本当に圧巻です)。

ハーマンは、長い間何度も虐待などの被害の体験を受けた人々の感情や認知がネガティブな方向に変化すること、そしてその変化が社会では望ましくないもの、病理的であるとレッテルが貼られて、治療ではなく誹謗中傷や差別の対象となっていることをその著書の中で明らかにしています。

そして、トラウマの被害者がそのスティグマから解放され、きちんとしたケアや治療を受けられることを目的として提唱した診断名が「複雑性PTSD」なのです。

 

この診断名に込められた精神に私も深く賛同しつつ、2018年で最も読まれた記事をご紹介します。☞【複雑性PTSD】診断がつく、ということは治療法があるということです

 

ではまた。

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サードプレイスピックアップ!複雑性PTSD感情調整

【2018年 最も読まれた記事】第2位【複雑性PTSD】アダルト・チルドレンとどう違うのか

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

今年2番目によく読まれた記事は、【複雑性PTSD】アダルト・チルドレンとどう違うのか

でしたが、「アダルトチルドレン」ってタイトルにつけるだけで、バババーッてPVが伸びていったあたり、斎藤学先生の影響力の大きさに(文字通り)震えた次第です。

サイトウ学派のパワーみたいなものを肌で感じてびびったからでした。

 

アダルトチルドレンは嗜癖や依存、共依存、機能不全家族などといったワードと共に語られることが多く、そのあたりの用語は一部にはとても浸透していて、あまりにも練磨されているので、それらを使うことなく自分の状況を説明することが難しくなっている人もいるほどです。

こんなふうに

「私は機能不全家族で育ったアダルトチルドレンで、現在は夫との共依存と、自分自身の摂食障害、という問題を抱えています。」

みたいな、わかる人にはわかる、わからない人には全くわからないような表現になったりします。専門用語は元来、自分を理解し他者とコミュニケーションできるために作られているものなのに、それが難しくなりつつあるのが、実はアダルトチルドレンという用語をめぐる現在の状況ではないかと感じています。

機能不全家族、という問題では、機能充分家族(もしくは「機能万全家族」でしょうか、健康食品の会社名みたいに聞こえますが)っていうのがあるかっていうと(斎藤先生自らが認めているように)そんなことはなく、アルコールや虐待の問題がなくても、多くの子どもは家族内でのストレスフルな出来事(離別や家族のメンバーの事故や病気など)に対して「いい子」でいることで対応します。子どもは子どもなりに家族を助けたい、支えたいという気持ちがあって能動的に動いたり、働きかける存在でもあるのです。

「いい子」がしている最たるものが自分自身の感情を抑えることでしょう。子どもらしい(人間らしい)感情を自分から抑制したり、余裕のない家族のメンバーから「わがままだ」などといわれることで我慢したりします。

感情を抑えたり、麻痺させたりして成長して、大人になってからもその感情の表現する場や方法がわからないままだと、なんだか心に穴が開いたような感じを覚えることがあります。アルコールやむちゃ食い、自傷行為、不特定多数との性的な関係などの嗜癖や依存は、外側から自分の感情を刺激して動かすことで、「心に穴が開いた感じ」が一瞬埋まったような感覚が得られる一つの方法です。

でも、この心に穴が開いた感じが元々は感情麻痺からきていることから考えると、自分自身の感情をきちんと取り戻すことができれば、嗜癖的な行為にさほど頼らなくても、生きている実感や地に足が付いた感覚が得られるのです。

要は感情はとっても大事、ってことで、セラピーの多くは感情を取り戻すプロセスといってもいいのではないかと思っています。

 

 

ではまた今週の金曜日に!

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サードプレイスピックアップ!複雑性PTSD

【2018年 最も読まれた記事】第3位【複雑性PTSD】スキルのトレーニング

こんにちは。

飯田橋のカウンセリング・オフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

このブログの中では「スキル」という言葉がよく使われています

一方で、人の悩みをスキルで解決しようとするなんて浅はかだと思われるかもしれないという不安みたいなものも常に抱えています。

というのも、私自身がいわゆるスキル的な解決方法に反発を覚えがちがちなメンドクサイ人間であるからです。

自分が相談したことに対して、「ああしてみれば」とか、「こうすればいいじゃない」または、「こういう方法もあるよ」みたいに言われると、教えてもらってありがとうという感謝の念を持つどころか、

「話しはまだ終わってないんだけど」

「問題はそんなことじゃないんだ!」

「そのアドバイスは少なくとも10回はきいたよ」

「そんな簡単な問題じゃないんだけど」

みたいなセリフが内心でどうしても渦巻いてしまうのです。

 

それでもSTAIRの、そしてCAREのスキルがいいですよって伝えているのは、それらにはスキルを超えた普遍的なものがあると感じるからです。普遍的なもの、というのは言ってみれば多くの臨床的な研究に支えられたもの、なのでしょう。

またSTAIRでは、スキルを教わるというよりも、自分で自分のニーズに合わせてスキルを組み立てていくので、今の自分をよりよく理解する、というプロセスが必要です。そのプロセスを通じて、より深く自分の行動や感情、自分自身への考え方の変化が実感できると思います。

 

今日はちょっと言い訳してみました。

そして、今週のピックアップはこちらです!☞【複雑性PTSD】スキルのトレーニング

 

ではまた金曜日に。

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トラウマ複雑性PTSDPE

【PTSD】と【複雑性PTSD】

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

今日のハナシはどこから話そうか、でもどこから話しても同じところにもどってきそうなので、どこから話してもいい話となるもかもしれません。それに、このハナシに出てくる人々の話はフィクションでもあります。

 

というのも、DVのことを考えていたからです。

DVとはDomestic Violence(配偶者間暴力)のことで、親密なパートナー関係にある人との間で起こる暴力です。DVは、身体的暴力だけではなく、いわゆるモラハラといった心理的な暴力や、性的な暴力などを含んだ全ての人権侵害を指します。内閣府は平成11年度から男女間における暴力の調査を行っていて、平成29年度も全国20歳以上の男女5000人にその実態を尋ねています。それによると、女性の3人に1人、男性の5人に1人は配偶者から被害を受けたことがあり、そのうち女性の約7人に1人は命の危険を感じた経験があることなどが明らかになっています。

「女性の3人に1人がDV被害者」というのは、変な言い方かもしれませんが、世界的なスタンダードなのです。つまり、日本でも、アメリカでも、ヨーロッパでも、アジアでも、アフリカでも「3人に1人」はDVの被害者であるということが数々の調査で報告されています。

 

ところで、PE(持続エクスポージャー法)というトラウマ焦点化した心理療法があります。

PEでは、一つのトラウマ体験に絞って心理療法を行うことで、最良の治療効果をあげることができるといわれています。つまり、DVなどの長期に何度も繰り返されるような、複雑なトラウマを扱うのには適していない、という指摘も多くされてきました。

 

私のはじめてのPEに協力してくれた患者さんは、ある通り魔事件の被害にあってからPTSDに悩んでいた方でした。事件は恐ろしいものでしたが、幸い彼女は軽傷で済み、また既にその傷も回復し、安定した生活を送っていました。初学者の頃のPEには、このような「シンプルトラウマ」からのPTSDが、先の事情もあって、(言葉は悪いですが)うってつけなのです。

治療は順調に進むはずでしたが、その途中で、彼女は通り魔事件とは別の他のトラウマ記憶に悩まされることになりました。彼女は子どもの頃に、父親から母親へのDVを目撃していたのです。彼女には母親が死んでしまうかもしれないという強い恐怖と無力感がありました。また、通り魔事件の加害者が父親だったのではないか、という疑いがどうしてもぬぐえないのでした(実際、父親は既に鬼籍に入っており、彼女自身が喪主を務めたので、彼女はその疑いが不合理であるということは十分承知していたにもかかわらず、です)。

 

PTSDには、しばしば、子ども時代のトラウマ的記憶からの感情や考えが深く絡みついているものがあります。ある一つのトラウマ的出来事は、以前の人生の記憶を呼びおこすきっかけに過ぎないこともあるのです。

 

PEの2ケース目は交通事故の被害にあった方でした。彼は自転車に乗っていたときに、車に接触されて転倒したのですが、運転していた加害者はそのまま走り去っていってしまいました。いわゆるひき逃げ事件です。彼は自力で病院にたどり着き、治療を求めました。怪我は回復し、仕事にも復帰できましたが、夜になると夢に繰り返し事故のシーンが出てきて、それが彼を苦しめていました。

夢は実際の交通事故よりも凄惨な内容で、事故に遭って、あとに残された彼は手足など身体の一部が損傷したり、なくなるといった恐ろしい内容でした。夢の中で彼は血を流して死の恐怖におののいている、といった状況を繰り返し体験していたのです。

そんな中ではじめたPEでしたが、やはり(というか、もはやなんといえばいいのか)彼の子どもの頃のある日、激しいDVの結果母親が突然家出をして彼の前からいなくなってしまった、という記憶が明らかになったのです。子どもにとってこれは大変に大きな喪失体験であり(母親はその2週間後に帰ってきましたが、当時子どもだった彼にとって、母親がいつか帰ってくるということは知る由もありませんでした)、そのために強く感情にフタがされた状態になってしまいました。彼を悩ませていた夢は、事故のシーンに、いわばその舞台設定を借りて、彼の喪失の感情を再演していたのです。

 

DVは時代や国境を越えてあまねく広がっています。私たちはそれを避けては通れないし、またそれがある限り、トラウマは複雑になります。一見、一つのトラウマ的な記憶に悩まされているようにみえても、その背景にはいろんな形でDVが影響していることは少なくありません。DVはPTSDと複雑性PTSDを隔てる境をなくすものです。

 

私がこんなにムキになっている(今日のブログの文字数の多さときたら!)のも、一つは私が女性だからということに他なりません。仮に子ども時代にDVの家庭ではなかった、というラッキーな境遇を経てオトナになっても、そのあと自分がDVの被害者になる確率が3人に1人とは、これってあまりにもひどすぎる状況じゃあないでしょうか・・・・。

 

●「PTSDと複雑性PTSDに違いなどない」と言われた☞【複雑性PTSD】究極的な回復の手段

●PEについて☞【PE】そのネーミングセンスがいかがなものか問題

 

こちらもどうぞ!

●そもそもPTSDについて☞【PTSD症状】PTSDの症状についてさくっと説明します

●そもそも複雑性PTSDについて☞【複雑性PTSD】診断がつく、ということは治療法があるということです

 

ではまた!

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