カテゴリー: 複雑性PTSD

トラウマナラティブ・エクスポージャー・セラピー(NET)複雑性PTSD心理療法

【ナラティブ・エクスポージャー・セラピー】脳ミソを味方につける

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

ナラティブ・エクスポージャー・セラピー(NET)はトラウマ焦点化心理療法のひとつです。NETはヨーロッパ、特にドイツを中心に,トラウマ性ストレスやPTSDへの強力な「短期療法」として認められているものです。例えばコソボ,スリランカ,ウガンダ,ソマリランドなどの国々で長期にわたって戦争や内戦、それに伴う性犯罪など、生活史上に多数のトラウマ的出来事を経験しながらドイツに渡ってきた人々のトラウマケアは急務となるものですが、難民特有の生活の不安定さから従来のような継続的介入を受けることが困難という状況でもありました。

「短期」でトラウマに介入する、ということが特に難民の支援のために欠かせない要件でもあったのです。

NETはウガンダとドイツでの綿密な臨床試験を経て、3回~6回の治療セッションで、一定程度の症状低減がもたらされることが実証されています。比較的短期間で終わるPEでも(すごくうまくいっても)8回~10回は必要だし、大抵の構造化された心理療法は15回くらいで1クールとなっています。その中で、3回~6回というはおどろくべき超特急なのです。

 

トラウマの治療でなぜこのような短期の治療が可能になるのか、実際にNETのワークショップに参加して学んできたのは去年の6月のことでした。

講師だったドイツ人のClaudia Catani先生が提示した難民の体験は凄まじいものがありました。目の前で家族や知人が殺されたり、自分自身が殺されかけたり、重傷を負ったり、性的な虐待にあったり、または誘拐されて加害行為に加担させられたりした人々です。

NETではまずはじめに、患者さんの人生を象徴するもの、として紐(ロープ)を用意し、それを長く伸ばし、その線上に花(ポジティブな体験)と石(トラウマ的な体験)を自ら配置して、それぞれのエピソードについて語ってもらいます。患者さんはセラピストと語りを共有する中で、人生には楽しいこと(花)も悲しいこと(石)も同じ連続線上に共存していることを視覚的にも理解していきます。

心理教育では、トラウマが身体や心に与える影響や症状についてしっかりと学んでいきます。心理教育とは、患者さんが専門家と同等かそれ以上の、トラウマに関する症状やそれを取り巻く社会的状況などの幅広い知識が得られるようにするものです。PTSDやトラウマにまつわる様々な知見は、ここ10年以上にわたって更に積み上げられて、より明らかになりました。NETではその恩恵があますところなく、患者さんに与えられるのです。

実は、心理教育は他のどのトラウマ焦点化心理療法においても重要な構成要素となっています。トラウマ治療では認知再構成やエクスポージャーなどいわゆる「セラピーっぽい」要素にスポットライトが集まりがちですが、心理教育を通して、頭で自分自身を理解することや疾患について学ぶことは、回復に大きな助けになっています。

現に、NETの治療成績をみると、「セラピーっぽい」ことをあまりしなくても、心理教育だけでも相当に症状が改善されることが見て取れます。正しい知識は本来は健康なココロをサポートするようにできているのです。

 

実はこの『薄味の日記』も、大きなくくりでいうと心理教育の一つのつもりで書いています。そこまで言うとちょっぴり恥ずかしい感じもしますが。

 

●ナラティブエクスポージャーセラピー体験☞【ケア】と【セラピー】のあいだ

●トラウマ焦点化心理療法☞【トラウマ焦点化心理療法】少々ご紹介

●トラウマ焦点化心理療法、もっと☞【複雑性PTSD】診断がつく、ということは治療法があるということです

●心理教育も大事だけど呼吸法も大事だよ☞【トラウマと呼吸】身体を気持ちにフィードバックする

 

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サードプレイス

トラウマ複雑性PTSD感情調整

【インナーチャイルド】の育て方、または感情調整の秘訣

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

心理学を学ぶ多くの人々と同様、私も物語やイメージ、たとえ話は大好きです。

困難な境遇にありながらも、自身の才能でもって権力と愛を手に入れる話は「シンデレラストーリー」だし、あの手この手を繰り出してサービスを売りつけようとする営業マンに対しては「ドラえもんみたいですね」とツッコミを入れたりします。

そんな中、不慣れなイメージやストーリーに馴染むには少々時間が必要です。

「インナーチャイルド」がそれでした。

もう10年以上前になりますが、ある患者さんが、ワークショップで自分のインナーチャイルドを見つけた、と話してくれた時のことです。

インナーチャイルドについて不勉強だった私は質問しました。

「それって何ですか?」

彼女は「子どもの頃に虐待されたり、適切な世話を受けなかったため、子どもらしく生きることができなかった。インナーチャイルドとは、その頃の私が喪失したと思っていた小さな子どものイメージです」と教えてくれました。そして続けて言いました「ずっと一人ぼっちで放っておかれたのを、この間やっと見つけてあげられたのです」。彼女は自分のインナーチャイルドが一人ぼっちで泣いていたので、抱きしめてあげたそうです。

子ども時代の逆境的な環境では、加害者の顔色を伺ったり、場の雰囲気を壊さないように適切な行動をすることに腐心するあまり、子どもは自分自身の感じ方や気持ちを二の次にしたり、抑圧することで生き延びていきます。そういう子どもは大人になってから、しばしば身体と心がつながっている感じが持てなかったり、生き生きとした感情が「なくなってしまった」ように感じたりするものです。彼女の話を聞くうちに、どうやらインナーチャイルドとは、失われた「感情体験」と非常に近いものだと理解しました。

彼女のインナーチャイルドは長いあいだ一人ぼっちでいたので「孤独感」や「寂しさ」を感じており、それに気がついて優しく抱きしめてあげることが癒しには必要なことなのです。

でもここで、私は一つ疑問を感じて尋ねました「インナーチャイルドを抱きしめてあげたら次はどうすればいいのでしょうか」。彼女はちょっと困った顔をして「それから後は、瞑想とかをするみたいですがそんなに詳しくはわからないのです。ワークショップのゴールはインナーチャイルドを発見して抱きしめる、までだったのですから」と言います。それを聞いて私は俄然ハリキって、じゃあインナーチャイルをどうやってケアしたらいいのか保育のプロに教えてもらってくるね、と彼女に告げてモリ先生のもとに向かいました。

モリ先生は保育の素晴らしい先生で、関わった全ての子どものブロッコリー嫌いを治してきた(くらいの)卓越したスキルの持ち主です。今こそモリ先生の子育ての技が求められていると言っても過言ではありません。

 

モリ先生、長い間放っておかれて泣いている子はどのように扱ってあげたらいいのでしょうか。

モリ先生「もう大丈夫だよって優しく抱きしめてあげて、背中を優しくさすってあげたりトントンしてあげるといいのではないでしょうか。」

なるほど、初動は大丈夫なようです。でもモリ先生、ここからが問題なのです。抱きしめてから、次にどうすればいいかわからないのです。

モリ先生「泣きやむまではトントンするのがいいですね。その子はどのくらい放っておかれたんですか?」

ええと、場合にもよりますけど、10年以上はゆうに放っておかれた子だと思いますけど。

モリ先生「それじゃあ、相当ぎゃん泣きになることを覚悟しておいた方がいいですね。」

ぎゃん泣き・・・。それは大変そうですね。そんなに泣くものでしょうか。

モリ先生「今まで心細かったところを抱きしめてあげるのだから、ホッとして泣くっていうのもあるけど、今までのぶんの溜まった怒りが癇癪になって出てきたり、それこそ、のけぞって泣く子もいるでしょうね。」

のけぞって泣くなんて、そんなことしたらちゃんと抱っこできないじゃないですか。

モリ先生「そういう子もいますよ。よしよしされてしくしく泣いている子なんてかわいいものです。癇癪を起したり、床を転げまわったりして手がつけられないようになる子もいるし、噛みついてくる子もいます。」

噛みつかれるなんて、痛そうですね。

モリ先生「ええ、あれは本当に痛いです。ついこちらもキレそうになったりして。」

モリ先生でもキレることってあるんですか。

モリ先生「人間だもの。あら、相田みつをみたいなこといっちゃったわね。あはははは。」

あはははは。じゃあ、先生はキレそうになりながらどうしてらっしゃるんですか。

モリ先生「その子が落ち着くまでとにかく待って、少し落ち着いてきたなっていうときに、タイミングを見計らってお白湯を飲ませたり、噛みごたえがあって身体に良いお腹にたまるものを食べさせたりします。」「それから静かで心地良いところで休ませたり、お昼寝させたりするんです。」

なんか色々してあげることがあって大変そうです。

モリ先生「そうですね、気持ちをなだめる、ということに関しては、本当に向き合って、心してとりかかる必要がありますね。でもいつかは気持ちはほぐれてくるものですよ、それを信じて待つことです。」

 

私はモリ先生にお礼をいって戻り、インナーチャイルドを抱えて待っていた彼女に一部始終を話しました。そして「どうやらずいぶん手間がかかるようです。でも腹をくくって関わることが癒しを生むようですよ。」と伝えました。

彼女はしばらく考えていましたが、「今はインナーチャイルドを見つけただけで充分だと思ってます」「それに、この子が癇癪を起したりしても、なだめたりする時間が私にはありません。仕事も忙しいし、家族の問題でも今てんやわんやなのです」「もう少し落ち着いたら本格的にやれるかもしれません」と言ってそそくさと帰ってしまいました。

あとに一人残されたその時の私のイメージはこのような感情でした。

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●そもそも複雑性PTSDについて☞【複雑性PTSD】診断がつく、ということは治療法があるということです

●ヴァン・デア・コーク先生とブロッコリー☞【食わず嫌い】全くもって感情的な問題

●アダルトチルドレンについて☞【複雑性PTSD】アダルト・チルドレンとどう違うのか

●感情調整についてもっと☞【STAIR】感情調整は感情の役割を知ることからはじまります

 

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サードプレイス

トラウマ複雑性PTSDSTAIR/NST

【複雑性PTSD】STAIR誕生!【感情調整と対人関係のためのスキルトレーニング】

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

複雑性PTSDは、子ども時代の虐待やドメスティックバイオレンス、拷問や戦争体験のような、長期・反復的な対人関係のトラウマに起因する臨床上で認識された診断名です。その症状は主にトラウマ由来のPTSDの症状に加えて、自己認知の低下、感情調整や対人関係上での様々な困難、があげられます。

世界保健機関 (WHO) が発行する、疾病及び関連保険問題の国際統計分類(すべての病気の診断名が一覧で載っているガイドブックみたいなもの)の2019年改訂の第11版(通称ICD‐11)で公式の疾患名として認められる予定です。そうなるといよいよ本格的に「疾病」となる複雑性PTSDですが(そして診断名がついたからこそ治療もあるのですが)、そして今さらこんなこという私もアマノジャクですが、複雑PTSDが「病気」か、というとそうともいいきれないものもあるのです。

これはPTSDにも当てはまるところで、PTSDの症状(特にフラッシュバックや生々しい悪夢などの侵入症状)は「気が狂うかもしれない」(もしくは、「すでに狂ってしまった」)みたいな恐怖を感じるほどのものですが、一方でそれらは「異常な体験による正常な反応」ともいわれています。すなわち、トラウマ的出来事のような人の通常の認識を超えるような体験をした場合、その後にPTSD症状のような反応があることは、人として(または生物として)当然であるということです。

症状がある、ということはその人の過去は「まだ終わっていない課題(unfinished work)」があるのだと教えてくれている、と考えることができます。

複雑性PTSDの話に戻りますが、10年くらい前の研究があります。幼少期のトラウマを抱えた女性98人を対象とした、「現在困っていること」に関する調査(Levitt  Cloitre,2005)です。その中で、女性たちが困っていることのナンバー1は対人関係の問題(67%)で、その次にいずれかのPTSD症状(59%)、感情の問題(31%)と続いています。また、その他の問題として見過ごせないのが自殺未遂の経験(45%)でした。

このような研究などから複雑性PTSDのための認知行動療法であるSTAIR(感情調整と対人関係のスキルトレーニング)は生まれた経緯があって、今でもSTAIRを行うかどうかは診断の有無、というより、患者さんのニーズに従って判断することになっています(そうしなさい、と当のクロワトル先生も言っています)。すなわち過去に逆境的な対人トラウマの体験があって、現在、感情や対人関係に困難を感じていればSTAIRを行ってみる、ということです。

そんなわけで、複雑性PTSDの診断がつきそうか、またその症状は軽症なのか、中等度なのか、重症なのかを調べる自記式尺度や構造化面接(翻訳中)もあるにはあるのですが、サードプレイスのセッションの中では、チェックシート(下記はチェックシートの一部です)を使ってざっとニーズの洗い出しをすることで治療につなげています。

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□ 自分がどんな感情を持っているのか、はっきりと分からない

□ 感情が怖い、感情を感じることが怖い、感情は危険なものだ

□ 気持ちが「良い」か「悪い」かは分かるが、実際にどのような感情を持っているのかはわからない

□ 感情を避けたい、感情から逃げ出したい

□ 感情が麻痺している、「何も」感じない

□ 自分は他の人とは違うと感じる

□ 人に苛立ちやすい

□ 私に何が起こったのか、私が何をしたのかが知られたら、誰も私を大切にしてくれなくなる

□ 多くの人は信用できない

□ 自分にとって大切なことを人前ではっきり言えない

□ 人との付き合いを避ける

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このように、STAIRは診断中心というよりも、問題中心で実施することが多いのですが、先ほどの研究結果をみながら私は内心このように感じていました。

意外と、PTSDの症状で困っている人が多いんだな。

それは、やっぱりいつかは過去に向き合って、決着をつけなければならないってことなのだと思います。

つまり、WorkをFinishする必要があるってことです(ルー大柴風にいうと)。

 

 

●STAIR /NSTの本が出ます☞複雑性PTSDの心理療法

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トラウマ複雑性PTSDPESTAIR/NST心理療法

【複雑性PTSD】究極的な回復の手段

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

以前、臨床家たちの丁寧な観察と記述によって、PTSDから複雑性PTSDという診断が枝分かれしてきたことをお伝えしました。今では事故や災害、犯罪被害などの比較的短い期間の単回のトラウマ体験を「単回性トラウマ」とする一方、子どもの頃の逆境体験(虐待やネグレクトなどが含まれます)や戦争体験など、月や年単位にわたる期間に繰り返しトラウマ的出来事にさらされることを「長期・反復性トラウマ」と呼んで、それらの症状を前者はPTSD、後者を複雑性PTSDと結びつけて論じるようになっています。

このように診断が異なるとそれに対応した心理療法が必要であると考えるのは当然のことですが、実はトラウマからの究極的な回復は(単回性であっても長期・反復性であっても)同じです。

すなわち、それは過去のトラウマ記憶を整理すること、とされています。

 

複雑性PTSDのための心理療法、STAIR/NSTを開発したクロワトル先生も回復のゴールについて、こう話しています。

「トラウマからの究極の回復とは、過去の記憶に向き合い整理することである」。

STAIR(複雑性PTSDのための感情調整と対人関係のためのスキルトレーニング)の必要性については、「現在の感情調整や対人関係に多くの課題があり、それによって日常生活に相当苦痛がある場合に、心理療法(STAIR)がその安定のために役に立つだろう」と説明しています。

クロワトル先生が示しているのは、過去(トラウマ)と現在(トラウマから引き起こされた苦痛)を天秤にのせてバランスを取る、ということで、回復の焦点は過去に据えながらも、現在の問題が重すぎる場合には、まずその対応をするということです。

 

これはなにも複雑性PTSDに限ったことではなく、トラウマ的な出来事を体験した人々はPTSDとは別の問題を抱え込むことがあります。それがいわゆる、コモビディティ(併存疾患)と呼ばれるものです。

例えば、アルコールやギャンブル、危険な性的行動などにみられる依存の問題や、摂食障害、強迫症、または、犯罪を犯す(加害行為をする)ことなど、一見トラウマとは関係のないようにみえる様々な問題は、実はトラウマとの併存が相当数あると見積もられています。

クロワトル先生の天秤を想像してみてください。もし、併存している症状でその人の日常生活が障害され、天秤の「現在」の側が大きく沈んでいるようなら、まずはその併存疾患なり症状の緩和が優先されます。つまり、断酒の持続や、セーフセックスができること、普通に食事できること、手を100回も洗って指紋が消えたりするようなことから解放されること、そして、刑務所で罪を償うこと(これは症状の緩和というよりも社会的な要請ですが)です。

そして、ある程度現在が安定したら、今度こそ過去のトラウマ記憶に戻って、それについて話したり、考えたりして、辛い体験を消化していくことが本当の意味での回復につながります。

 

そういえば、PE(一番エビデンスがあるといわれるトラウマ焦点化心理療法。クロワトル先生のNSTをはじめ、子どものためのTF-CBTなど、さまざまな心理療法はPEに倣って開発されています)を開発したフォア先生ですが、

「PTSDと複雑性PTSDに違いなどない」

と(パコーンと)竹を割るがごとく言っていました。そのココロは、トラウマ体験が1回だけという人よりも、多かれ少なかれ複数のトラウマが入り混じった複雑な体験になっている人のほうが実際のところ多いので、ごちゃごちゃやっていないでさっさとPEをしろってことなんでしょう。

・・・そんなご無体な。

 

 

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複雑性PTSD

【複雑性PTSD】と毒になる親

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

子どもの頃に虐待などの不適切な養育を受けることは、長期反復性のトラウマ体験にさらされることであり、そのような体験は大人になってから、身体的に、また心理的に多くの影響を与えることが明らかになっています。

その影響がいわゆる複雑性PTSD、と呼ばれるもので、トラウマ記憶に関連したPTSDの症状に悩まされることに加えて、自尊心の低下や、感情がなくなったように、または逆にコントロールが効かないような嵐のように感じたり、人との関係では常に不信感がつきまといます。

それらに悩む人はこう考えます。

「どうしてこうなったんだろう」

今自分が感じている苦痛の原因を過去に問いかけます。

そして悩んだ挙句、しばしば「なんでかわからないけど、自分が悪いからだ」という答えが出されます。

でもこの答えは、実は本当の答えではないので、また再び「なんでこうなったんだ」という問いが湧いてきて、過去はいつまでも過去にならず、このループから逃れることができません。

過去の(特に子どもの頃の)積み重なる辛い体験は、整理して答えを出すことが難しいものです。筋道立てて考えようとしても、その当時の複雑で苦痛なよくわからない感情にさえぎられてしまうし、その感情が引き金になって芋づる式に他の記憶までが思い起こされて収集がつかなくなったりします。また、子ども時代の記憶は、一つひとつは鮮明なのに、前後の脈絡が失われていたり、時間軸がバラバラになっていることもあります。その上、その出来事に関する子どもであるその時の限られた範囲の知識での理解が、記憶全体を客観的に検討するという作業を阻害していることもあります。

もう一つ見過ごせないことは、対人トラウマ(事故や自然災害とは違い、人との関係性の中での傷つき体験)では、相手の悪意の存在、もしくは不存在がクローズアップされがちになることかもしれません。

例えば、法律の世界では故意か過失かで刑の重さが相当違ってくるようですが、そういった考え方の影響を私たちも多分に受けているのでしょうか。

「親(加害者)には悪意がなかった(故意ではなかった)」だから「自分の今現在の症状や苦痛は自分のせいだ、もしくは自分の捉え方のせいだ」だから「相手を許さなくてはいけない」それなのに「相手への怒りを手放せない自分は悪い」という考え方のループに多くの人々がはまっています。

実際は、相手の意図とは関係なく、自分にとって害となるような結果に対して、怒りが出ることはごく自然なことです。電車で足を踏まれて、一瞬イラッとするのは当たり前なことではないでしょうか。でも、自然で当たり前の感情を「相手はわざとじゃないんだから、許さないといけない」もしくは「怒りを感じてはいけない。怒りを感じる私は器の小さい人間だ」みたいに押し込めると、それが醸されて恨みになるのです。

このようにして「自責感」というものは生まれます。自責感とは、感情のように偽装された言葉ですが、その実は自分を責めることで苦痛を与えている「考え」です。そしてそれは私たちを過去に閉じ込めて、回復に関して全く助けになってくれていません。

そこからどうやって抜け出せるのでしょうか。

その突破口の一つが、「もしかして相手にもなにか問題があったのかもしれない」という仮説です。

「毒になる親だったのかもしれない」

そう考えてみることで相手に対して怒りを感じることが許されるのです。

でも、こういっては何ですが、怒りという感情は回復への通過点の一つにすぎないものでもあります。

(また更に何ですが、『毒になる親』、私自身はこの本をきちんと通読はしていないのです。でもセッションの中では実に頻回に話題になる概念なので、ここでは理解の助けになるかと思って引用してみました)

一方で、怒りの気持ちを大事にしたいのは、それが、自分の持つ他の感情に気が付かせてくれるきっかけになることがあるからです。怒りもそうですが、恐怖や無力感、恥の気持ち、喪失感、そういった一つひとつの感情がトラウマ記憶の整理をしていくときに必要で、私たちの味方になってくれるのです。

 

ではまた!

●複雑性PTSDについて最初から☞【複雑性PTSD】診断がつく、ということは治療法があるということです

●トラウマ記憶の整理について ☞【過去をなかったことにする】すると未来もなくなる

 

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