こんにちは。
飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。
トラウマ的な体験をした人と話していると、しばしば、「毎日の生活をなんとかまわすのが精いっぱいで、例えば一年後のことについて聞かれても想像もつかない」といったかんじのことを聞きます。
実はこの感覚は、トラウマからの症状の一つといわれています。
「自分の人生の将来は短い感じ(キャリアを積むこと、結婚や子どもをもつこと、人並みの寿命をまっとうすることを期待していない)」という未来が短縮した感覚、それが症状なのです。
将来を悲観する、という表現はよく聞くかもしれません。でも「未来の短縮感」はそれとは違い、将来自体が欠落してしまったような感覚です。悲観する将来さえないのです。
「症状」といわれても、どうしてこういうことが起こるのか不思議です。
トラウマに遭ったのは昔のことなんだから、そんなことはキレイサッパリ忘れて、これからの未来はこれから作っていくものなんだ、頑張れ、と励ます人もいます。
トラウマにあったのは過去のこと、と客観的にはそうなのですが、主観的にはもちろんそうではありません。まるで昨日のことのように生々しく存在することもあります。それでも多くの人があの苦痛な出来事はなかったことにしたいと考えます。
そんなこんなでとにかく、過去のトラウマをキレイサッパリ忘れようとそのまま箱にしまって封印してしまうことはよくあることですが、その結果、いろんなことが(よくないことが)起こります。
一つは未整理な記憶をそのまま箱に詰めて無理やりふたをしているので、そのふたがなんらかの拍子に開かないように常に力を込めていることで、自分のエネルギーが奪われることです。
封印がはがれないように四六時中見張っていないといけないし、もしなんかのはずみにふたが開いて、中身が飛び出そうものならそれらの回収に追われます。このような状況で本来ならば現在や未来に生きるためのエネルギーが相当消費され、常に疲労を感じるようになります。
疲れている時には前を向こうという気持ちにはなれないものです。疲れている時はその時その時が精一杯です。
もう一つは、苦痛な記憶を閉じ込めるために、感情も一緒に封印してしまうことから生じます。人間は辛い気持ちだけ感じなくするとか閉じ込めるとかそんな器用なことはなかなかできません(ごくたまにそういうことができる人もいますが、そんな人は違う病名がついたりします。それはそれで大変なのです)。トラウマにまつわるネガティブな感情を閉じ込めるのと一緒に、楽しいとか嬉しいというポジティブな感情も閉じ込めてしまうのです。
人生の未来はポジティブな気持ちによって方向づけられています。つまり自分が楽しいなぁ、とか心地良いなぁという気持ちが自分の人生の方向への動機になるのです。だからポジティブな感覚が薄くなると、生きたいという気持ちも薄くなるのです。
最後にもう一つ。
例えば、ある一部が欠けていたり、破かれている物語や推理小説を想像してみてください。古本屋さんなどで買った本がそういう本だったらとってもがっかりします。一部が欠けているだけで、その物語がどこでどうなってここにつながったのかわからなくなってしまったり、全体のテーマがはっきりしなくなってしまうことがあります。
物語の中では、どうしてこうなったのか、という話しの筋の流れがきちんと了解できて納得できることが大切です。それが物語の面白みにつながります。
私たちの人生を一つの物語になぞらえたとき、トラウマの章やページを省いてしまうことは、物語全体にとって大きな損害につながるということは想像に難くないでしょう。
辛いトラウマ体験であっても、それは私たちの人生の中で大事にしたい記憶の一部であるとよく言われるのはこんなところからです。
未来の感覚を持つ、ということは生きるエネルギーや様々な感情、私たち一人ひとりの人生のストーリーと分かちがたくつながっています。
そして過去の記憶を封印することは、私たちが生きていく未来の道しるべをも見えなくしてしまうことなのです。
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ではまた。
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