カテゴリー: PE

トラウマ複雑性PTSDPE

【トラウマ後の症状】人の中にいても一人

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

「トラウマは治ることには理由がなく、治らないことに理由がある」とフォア先生は言いました。

私たちはショックなことを体験すると、その時は眠れなくなったり、そのことを思い出しては嫌な気持ちになったり、嫌な気持ちになるばかりか、手が震えたり、変な汗をかいたり、そういう自分の状態がとても心配になったりするものですが、それらはだんだんと日がたつにつれて収まってきます。そしてその体験は次第に「過去」になって、色あせてきます。それがよく聞くところの「日にち薬」ってもので、この薬の効果はとても信頼できるものです。

でも、なんらかの理由で、この「普通に治る過程」が足踏みすることがあります。

 

その理由の一つが「回避症状」であると言われています。

回避症状はPTSDの4つの症状のうちの一つです。「回避」と読んで名の通り、トラウマに関わる記憶や感情などについて、考えないようにする、感じないようにする、という症状です。この症状は、フラッシュ・バックのような侵入症状に比べて、どこかしら、こういってよければ「意図」が感じられます。

すなわち回避症状は、トラウマ後の苦痛な症状、フラッシュ・バックとか気持ちが高ぶって眠れない、みたいな症状を緩和する「効果」があるのです。フラッシュ・バックみたいな「激しい症状」があると、学校に行くとか、家事をするとか、仕事をする、または育児をする、という動作がこなせませんから、「回避症状」によって感情やその他の感覚をフラットにしたり、(念には念を入れよとばかりに)シャット・ダウンしたりします。回避症状の「意図」とは、日常生活をなんとか送らせる、というあたりにありそうです。

じゃあ、なんの問題もないんじゃない?

と思っているのは周りの人で、なぜなら回避症状「意図」の行きつく先は、周りの人に心配かけないようしたり、周りの人の生活に支障が出たりしないようにする、というところだからでしょう。凪の海の下に嵐があるように、周りの人には穏やかに見えるその人の内側には、大きな嵐が横たわっています。

その目に見えない嵐の存在が、周りの人との距離やギャップを作り、その人を苦しめることになります。

誰もわかってくれない。

自分は人とは違うんだ。

実は当人も回避を続けている間に、自分の苦痛に慣れっこになってきていて、自分とはこういう人間なんだとあきらめているところがあります。

自分は一生このままだ。

普通の人の世界に自分は住んでいない。

そうやって、その人が持つ穏やかな気楽さが失われることが回避症状の辛いところです。

 

もしも、あなたがこんな風に感じているのなら、このことについて理解している人をなんとか見つけ出して、話してみてほしいと思います。

それは、しばしばとても厄介なことですし、何度も嫌な思いをされることがあるかもしれません。

でも、やっぱりそれを勧めるのは、実はトラウマからの回復で一番厄介なのはこの部分で、ここをクリアーできれば、後は遅かれ早かれ回復の軌道に乗れる、ということを知っているからです。

 

ちょっとドラゴン・クエストみたいですよね。あ、でもドラゴン・クエストって最後はドラゴンを見つけ出して倒すんでしたっけ。

倒す必要はないです。倒さないでね。

 

 

こちらもどうぞ。

●フラッシュ・バックについて☞【トラウマ後の症状】フラッシュ・バック

●トラウマからの回復☞【人生のストーリー】トラウマの光と陰

●回避症状のまた一つの形☞【過去をなかったことにする】すると未来もなくなる

 

ではまた!

サードプレイス

 

 

 

 

 

 

トラウマ複雑性PTSDPE

【トラウマ後の症状】フラッシュ・バック

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

「フラッシュ・バック(侵入症状)があればPE(PTSDのための心理療法。その治療成績が群を抜いて優れていることは数々の研究で明らかになっています)ができる」とフォア先生は言いました。

 

PTSDの症状は4つあります。その一つに侵入症状(フラッシュ・バック)があります。

侵入症状とは、トラウマを受けた後でそのトラウマが自分の中で再体験されることです。フラッシュ・バックはその症状の形の一つで、出来事の一部がありありとした映像として頭に中に飛び込んできたように体験されることです。その程度が強烈だと、まるでその当時に全く戻ってしまったかのように感じるほど(「タイムスリップしたようだ」と表現する人もいます)リアルに当時の匂いや音、身体の感覚を体験することもあるし、そこまでではなくても、その出来事を思い出して一瞬身体が緊張したり、ドキドキするようなこともあります。トラウマ的な出来事を連想させるきっかけや引き金が、動悸や発汗、または強い感情的な動揺を呼び起こしたりします。例えば、DV被害にあった女性がその加害者である夫と似たような服装(スーツ姿、または作業着など)の男性を目にしたことがきっかけで、フラッシュ・バックを引き起こしたりすることがあげられます(それにしても男性の服装は似たようなものが多くて困ります)。

侵入症状の他の形としては出来事に関する生々しい悪夢があります。夢の中で起きている出来事はトラウマに関連したことで、本人はその中で強い感情的な体験をしていたり、身体的な反応を感じます。夢から覚めた後も、ドキドキしていたり、呼吸が荒くなっていたり、一瞬夢なのか、実際に起きていたのか混乱するようなときもあります。

トラウマ的出来事に関連しているとはっきりわかるフラッシュ・バックがあれば、PEによってそのPTSDなどの苦痛な症状が回復する可能性は非常に高いと私も考えます。

 

一方、記憶の作用の難しいところですが、はっきりわかるフラッシュ・バックがない人もいます。そういう人のフラッシュ・バックは、例えばある特定の場所で非常に不吉な感覚に襲われたり、また人の関係の中で、ある特定にフレーズに対して感情が大きく動揺したり、落ち込んだりするような体験です。

このようなフラッシュ・バック(と呼んでいいのであれば)は、いくつかの理由が考えられます。

一つには過去の出来事が本人にとってあまりに強烈すぎて、その記憶を切り離している場合です。ある通り魔事件の被害者は、事件後その記憶をすっぽりなくしていました(いわゆる健忘です)が、事件現場の近くを通りかかるたびに、身体が重くなり、すごい量の汗をかくので、てっきりなにかの霊の仕業と思い、お祓いにまで行ったそうです(霊媒師は幸いにして良い霊媒師で、たまたま事件のことも報道で知っており、そのことを本人に伝えてくれました)。

また、出来事が日常的に何度も起きているので、感情の起伏が乏しくなり、まさかその出来事が自分にとって重荷であったと気がついていなかった、ということもあります。ある女性は友人同士の会話の中で時折交わされるたしなめ言葉(「だめねぇ」とか「なにいってるの」という冗談めかした言葉)やある表情(本人曰く「なにか含みのある表情」)を耳にしたり目にすると過剰に腹が立ったり、気持ちがふさいだりしていましたが、それらは彼女の母親の言動を彷彿とさせるものだったのです。

もしくは、そのトラウマであるかもしれない体験があまりにも幼少のときに起きると、その体験をきちんと把握できる認知や感情面の発達の途上なので、自ずと「なんだかいやな気持ちがあるけど、どうしてだかはっきりしない」という状態になったりもします。

 

知人である精神分析医が、出来事との関連がはっきりしないような状態も当たり前に「フラッシュ・バック」と表現しているのを耳にしたとき、それもまた私の中でしっくり収まる感じがありました。フラッシュ・バックとはおしなべて過去のことがなんらかの形で再体験されることで、要は、今の何かしらは過去の体験とは切り離せないものだからです。

それからいうと認知行動療法でいうところの自動思考(いつも頭に浮かんでくる助けになってくれない考えのこと。たとえば「私はだれからも愛されない」とか「私は無能力者だ」など、時にコテンパなまでに自虐的な考えのことです)も、過去の多くの体験から引き出されたフラッシュ・バックで、この自動思考が出てくる理由に至るにはやっぱりどこから過去にあたるしかないときがあります。

 

PEはトラウマに対するとても強力な心理療法ですが、その限界もあります。プチ・フラッシュ・バック(と表現してみることにしました)には、時間をかけて丁寧に向き合った方が上手くいくことも多いのです。

決して焦らずに、そしてPEができそうとなったら決してひるまずに。

 

●子ども時代のトラウマ☞【複雑性PTSD】診断がつく、ということは治療法があるということです

●PEについて☞【モヤモヤした感じ】持続エクスポージャー療法の理論

●認知行動療法☞これもまた【認知行動療法】

 

こちらもどうぞ

●プチ・フラッシュ・バックの「怒り」もあります☞【堪忍袋】の中身、怒りと傷つき

●困っている対人関係はプチ・フラッシュ・バックなことがあります☞【複雑性PTSD】対人関係スキーマ、という悩ましい用語

 

ではまた!

サードプレイス

 

 

 

PE感情調整

【モヤモヤした感じ】持続エクスポージャー療法の理論

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

持続エクスポージャー療法(PE)はペンシルバニア大学精神科教授(心理学)のエドナ・フォア博士(心理学)とその同僚の開発した心的外傷後ストレス障害(PTSD)の治療のための心理療法です。PEでは1回90分のセッションを、概ね10回から15回毎週実施します。

PEは「情動処理理論(Emotional processing theory)」と不安のための「エクスポージャー療法」という2つの親から生まれました。すなわち、理論的な根拠を情動処理理論に置き、中心的な手続きはエクスポージャー療法という不安や恐怖を軽減する行動療法に依っているのです。「持続エクスポージャー療法」という名前に表されるように、PEはその手続きにスポットライトが当たりがちなのですが、実は回復のカギとなるのは情動処理によるところが大きいと感じています。

エクスポージャー療法自体、長い歴史をもっています。詳しくは割愛しますが、人が恐怖と感じている「もの」や「場所」にだんだん慣れていく手法はこのような行動療法の中ですでに確立しています。例えば、私の「ヘビ恐怖」を治療するために考えられるのは、まずは可愛らしいヘビのイラストなんかを見ることからはじめて、次第にヘビの赤ちゃんの画像や、比較的穏やかそうな色合いのヘビを経て、間近でニシキヘビ(そう、私はコブラ系ではなくニシキヘビ系がダメなのです)を観察する、みたいな治療計画でしょう(やりたくないです)。

 

ところで今日は、PEのもう一人の親、情動処理理論の話です。

フォア先生がPEを開発しようとした最初のきっかけは「何故(レイプのような)不快な記憶はフラッシュバックしたりするのに、いい記憶にはそれがないのだろう」という疑問だったそうです。つづけてフォア先生は、「私の結婚式は最高に幸せだったのに、その記憶が勝手に蘇ってくることがないのは不思議なことだった」と述べています。

このエピソードに、フォア先生って案外ロマンチストなんだなぁ、と前のめりになりかけて、でもこれは彼女のお得意のたとえ話に違いない、と思い直した次第です。面白そうなお話には、私はいつも乗せられてしまうのですが、たしかに、楽しい記憶と嫌な記憶はどう違うのか考えてみることは価値がありそうです。

 

楽しい記憶には、感覚的、または直感的なイメージですが、「スッキリした感じ」があるのではないでしょうか。出来事があって、それに伴ううれしい感情があり、それに胸が広がるような心地よい身体の感じがストレートにつながっている感じです。「ああ、楽しかった!」と一言で言い表せる、ある種の潔さがポジティブな経験にはあります。

それに対して、ネガティブな記憶はずっとごちゃごちゃしています。日常生活レベルでは「モヤモヤした感じ」と表現されることが多いかもしれません。

 

「モヤモヤした感じ」とは例えば、こういうことです。

あなたはある会社で派遣社員として働いています。パソコンに向かって作業していると、正社員である先輩に話しかけられました。「いいよなぁ、独身の人は気楽で。俺なんか子どもも生まれたし、家のローンだって大変なんだよ」と嘆息しています。あなたは冗談めかして「そんなぁ、私なんてボロアパートでボッチですよ!」と返します。笑いながらも胸のあたりがぎゅっとして、顔が火照っているのを感じます。会社からの帰り道では涙があふれそうでした。

家についてもなかなか気持ちが収まりません。家事が手につかないし、イライラしています。

 

実はこの「モヤモヤした感じ」が解決する過程、それこそが情動(emotion)処理理論で説明されていることです。

すなわち、あなたはモヤモヤを抱えつつも、お風呂に入ったり、ご飯を食べたりして、その日の体験を考え直しているうちに自分の気持ち(emotion)に気づくことがあるでしょう。あなたは実際「自分は傷ついている」ということに思い当たります。それに、あのやりとりは、自分にとっては屈辱的で腹が立つものであった、ということもわかりました。

その時の感情が明らかになると、先輩との会話の中で、あなたがひそかに傷つき腹を立てていたということと、その感情とは相反する自分の言動があったこと、それ故、身体に違和感を感じていた、ということが一本の線のようにつながって、ストンと合点がいきました。あなたはひとり言をいいます「嫌味な奴!」。そうするとちょっと胸のすくような感じがありました。

このように、自分の感情を発見することにより、自分の不快な記憶が、すっきりと了解可能なものになるのです。

 

情動(emotion)処理理論では自分自身の感情(emotion)の発見をとても重視しています。感情の真の気づきこそが出来事のストーリーとその時の自分の反応や身体の感じを結びつける、不可欠な要となるからです。

究極にモヤモヤしているはずであろうトラウマ的体験でも同様に、やはり自分の真の感情を見つけ、触れていくことがセラピーの中で必須な作業になります。もちろん、なまやさしいことではありませんが、やりがいのある作業でもあります。セラピストもあなたと一緒に、よきサポーターとして力を尽くします。

 

 

今日のお話はイマイチと思われた方も、私がもっと年をとってフォア先生ぐらいにおばあちゃん(失礼!)になったら、お話もきっと、もっと面白くなるはずなので、しばらくの間お付き合いください。

 

 

ではまた!

サードプレイス

2018年 Pick Up!サードプレイスPE

【2018年ピックアップ 第1週】トラウマからの回復はこのようでありたい

こんにちは。

飯田橋のカウンセリング・オフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

PE(持続エクスポージャー療法)では主に二つの手続きを行います。

一つは自分のトラウマの記憶を言葉にして語ること。

もう一つは、トラウマのことを思い出すために避けていることなどに実際にチャレンジしてみることです。この日常生活でのチャレンジをPEでは「現実エクスポージャー」と呼んで、安全に、かつ首尾よく成功できるようにセラピストと相談しながら行います。

今週のピックアップ記事

【PE】そのネーミングセンスがいかがなものか問題

では、私の牛乳嫌いを克服する過程を、現実エクスポージャーの過程に見立てています。

 

ハーマンは『心的外傷と回復』の中でトラウマの中核は「無力化」と「他者からの離断」と述べていますが、裏を返せば回復の鍵はこれらの反対にある、ということです。

私が牛乳を飲めるようになってエッヘンという気持ちになっていたときに、まさに私は自分が「できた!」と自分に力があるってことを感じていましたし、そこには応援してくれるハタノ先生やタカハシくんがいて、私は一人ではなかったのです。

トラウマからの回復はすべからくこのようでなくては、と思います。

 

それでは、また来週の火曜日に!

 

サードプレイス

トラウマ複雑性PTSDPE

【PTSD】と【複雑性PTSD】

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

今日のハナシはどこから話そうか、でもどこから話しても同じところにもどってきそうなので、どこから話してもいい話となるもかもしれません。それに、このハナシに出てくる人々の話はフィクションでもあります。

 

というのも、DVのことを考えていたからです。

DVとはDomestic Violence(配偶者間暴力)のことで、親密なパートナー関係にある人との間で起こる暴力です。DVは、身体的暴力だけではなく、いわゆるモラハラといった心理的な暴力や、性的な暴力などを含んだ全ての人権侵害を指します。内閣府は平成11年度から男女間における暴力の調査を行っていて、平成29年度も全国20歳以上の男女5000人にその実態を尋ねています。それによると、女性の3人に1人、男性の5人に1人は配偶者から被害を受けたことがあり、そのうち女性の約7人に1人は命の危険を感じた経験があることなどが明らかになっています。

「女性の3人に1人がDV被害者」というのは、変な言い方かもしれませんが、世界的なスタンダードなのです。つまり、日本でも、アメリカでも、ヨーロッパでも、アジアでも、アフリカでも「3人に1人」はDVの被害者であるということが数々の調査で報告されています。

 

ところで、PE(持続エクスポージャー法)というトラウマ焦点化した心理療法があります。

PEでは、一つのトラウマ体験に絞って心理療法を行うことで、最良の治療効果をあげることができるといわれています。つまり、DVなどの長期に何度も繰り返されるような、複雑なトラウマを扱うのには適していない、という指摘も多くされてきました。

 

私のはじめてのPEに協力してくれた患者さんは、ある通り魔事件の被害にあってからPTSDに悩んでいた方でした。事件は恐ろしいものでしたが、幸い彼女は軽傷で済み、また既にその傷も回復し、安定した生活を送っていました。初学者の頃のPEには、このような「シンプルトラウマ」からのPTSDが、先の事情もあって、(言葉は悪いですが)うってつけなのです。

治療は順調に進むはずでしたが、その途中で、彼女は通り魔事件とは別の他のトラウマ記憶に悩まされることになりました。彼女は子どもの頃に、父親から母親へのDVを目撃していたのです。彼女には母親が死んでしまうかもしれないという強い恐怖と無力感がありました。また、通り魔事件の加害者が父親だったのではないか、という疑いがどうしてもぬぐえないのでした(実際、父親は既に鬼籍に入っており、彼女自身が喪主を務めたので、彼女はその疑いが不合理であるということは十分承知していたにもかかわらず、です)。

 

PTSDには、しばしば、子ども時代のトラウマ的記憶からの感情や考えが深く絡みついているものがあります。ある一つのトラウマ的出来事は、以前の人生の記憶を呼びおこすきっかけに過ぎないこともあるのです。

 

PEの2ケース目は交通事故の被害にあった方でした。彼は自転車に乗っていたときに、車に接触されて転倒したのですが、運転していた加害者はそのまま走り去っていってしまいました。いわゆるひき逃げ事件です。彼は自力で病院にたどり着き、治療を求めました。怪我は回復し、仕事にも復帰できましたが、夜になると夢に繰り返し事故のシーンが出てきて、それが彼を苦しめていました。

夢は実際の交通事故よりも凄惨な内容で、事故に遭って、あとに残された彼は手足など身体の一部が損傷したり、なくなるといった恐ろしい内容でした。夢の中で彼は血を流して死の恐怖におののいている、といった状況を繰り返し体験していたのです。

そんな中ではじめたPEでしたが、やはり(というか、もはやなんといえばいいのか)彼の子どもの頃のある日、激しいDVの結果母親が突然家出をして彼の前からいなくなってしまった、という記憶が明らかになったのです。子どもにとってこれは大変に大きな喪失体験であり(母親はその2週間後に帰ってきましたが、当時子どもだった彼にとって、母親がいつか帰ってくるということは知る由もありませんでした)、そのために強く感情にフタがされた状態になってしまいました。彼を悩ませていた夢は、事故のシーンに、いわばその舞台設定を借りて、彼の喪失の感情を再演していたのです。

 

DVは時代や国境を越えてあまねく広がっています。私たちはそれを避けては通れないし、またそれがある限り、トラウマは複雑になります。一見、一つのトラウマ的な記憶に悩まされているようにみえても、その背景にはいろんな形でDVが影響していることは少なくありません。DVはPTSDと複雑性PTSDを隔てる境をなくすものです。

 

私がこんなにムキになっている(今日のブログの文字数の多さときたら!)のも、一つは私が女性だからということに他なりません。仮に子ども時代にDVの家庭ではなかった、というラッキーな境遇を経てオトナになっても、そのあと自分がDVの被害者になる確率が3人に1人とは、これってあまりにもひどすぎる状況じゃあないでしょうか・・・・。

 

●「PTSDと複雑性PTSDに違いなどない」と言われた☞【複雑性PTSD】究極的な回復の手段

●PEについて☞【PE】そのネーミングセンスがいかがなものか問題

 

こちらもどうぞ!

●そもそもPTSDについて☞【PTSD症状】PTSDの症状についてさくっと説明します

●そもそも複雑性PTSDについて☞【複雑性PTSD】診断がつく、ということは治療法があるということです

 

ではまた!

サードプレイス