サードプレイストラウマ

【学校】のトラウマ

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

フォトグラファーの石田郁子さんが、中学教師から性被害を受けてPTSDになったとして札幌市を提訴しました。

 

トラウマに気が付いたとき、その時の行動の仕方は人それぞれです。石田さんは訴訟という方法を取りましたが、そこに至るまで、並大抵ではない道のりであったと想像されます。フォトグラファーとしても石田さんは、被写体にどのように向き合っていくのかを常にご自分に問うていられた方でした。

 

記者会見で、石田さんが涙をこらえながら「15歳から19歳まで被害に遭っていた自分を守れるのは、自分しかいない」と言った時、これまでの石田さんの心の軌跡に触れたようにも思いました。

 

「子どもの頃の自分を守れるのは、今の大人の自分自身しかいない」

既に、ここに石田さんは到達されているのだなぁと思いました。

 

これからの道のりも応援しています。

心から、ガンバって!!

 

サードプレイス

 

トラウマ感情調整

【ちゃぶ台返し】と怒りと2歳児と

こんにちは。

飯田橋にあるカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

アニメ『巨人の星』で、星飛雄馬の父親はちゃぶ台返しを得意技としていました。それにしても、彼は一体全体なんだってあんなに腹を立てていたのでしょうか。

おかずが不味かったのでしょうか。

貧乏ゆえのストレスでしょうか。

飛雄馬がなにか悪いことをしたからでしょうか。

それとも、本人の器が小さいのでしょうか。

いろいろと考えてみますが、ちゃぶ台返しのあのシーンのインパクトが強すぎて、あそこに至るきっかけとかそんなのが忘却の彼方に行ってしまっていることに気が付きます。そもそも、ちゃぶ台をひっくり返して、飛雄馬のお姉さんが少ない家計をやりくりして揃えた材料で作った心づくしの夕食を台無しにしてもいいってことはないのです。

 

星一徹(父親の名前です)がなぜ、ちゃぶ台返しをするに至ったのか、その答えのヒントは保育園にありました。

臨床心理学を学ぶ大学院で、赤ちゃん心理学や子ども心理学などをテーマにするゼミに入ると、学生たちは保育園に行って、子どもたちの発達を観察する機会が得られたりします。そこで実習と称して、ベテランの保育士の先生たちのお手伝いをしたり、子どもたちと遊んだり、ナメられたりしながら過ごすのです。

特に大変なのは2歳児クラスです。その他のクラス、例えば0歳児クラスは、こういってはなんですが、ほぼ寝たきりで、動きもトロいので、学生のペースでお世話ができますし、年長さんクラスになると、今度は子どもたちのほうが学生の使い方を心得ていて、一緒に遊んでもらったり、絵本を読んでもらったりしています。

2歳児クラスの子どもたちは、動きがすばしっこくなってつかまえにくくなっている上に、空腹や疲れなどの身体の変化がもろに気分にでていきなり不機嫌になったりします。また、仲間同士でもめごとがあると、アクマのようになって、手が出たり、足が出たり、口が出たりで(2歳児クラスに入ると、よっぽど危機管理能力の優れている子でない限り、1回や2回は噛んだり噛まれたり、という事件に巻き込まれます)その場が一気にカオスになることもしばしばです。2歳児クラスを担当した学生たちは夕方には心身ともに疲弊して帰るのが常でした。

学生たちがボロボロになっている一方で、先生たちは落ち着いたもので、なぜなら2歳児たちが癇癪を起したり、荒れることは既にオリコミ済みのことだからです。つまり、2歳児の子どもは様々な気持ちが分化し、自分の主張も芽生えてきている時期ですが、それを表現する術がまだ上手ではないので、つい攻撃的な行動に出てしまう、ということを承知しているのです。

子どもの認知的な発達が進み、悲しい、悔しい、いやだ、などの自分の気持ちがきちんと言語化できるようになったり、社会的な発達によって仲間と協力して遊んだり、作業ができるようになってくると、手が出たり、足が出たり、口がでたり(これを行動化と呼んでいます)することは、ほとんど見られなくなります。プロの先生たちは、2歳児のここで、発達を促すような適切な関わりをすることによって、約1年後には落ち着いた(そして実り多い)年長さんになれるということをよく知っています。

 

2歳児クラスで四苦八苦する学生のように、多くの人は「怒り」にあうと恐れ、疲弊するものです。

なぜなら、「怒り」は、人を傷つけ、自分を傷つける、そうして他者との関係性を傷つけ、社会での自分の居場所をなくしてしまうとされているからです。「怒り」の感情は、社会的なタブーとなっている側面があります。

そういうこともあってむしろ逆に、「怒り」のそのような触れ難い性質を意識的にもしくは無意識に利用する人もいます。すなわち「怒り」は田舎のあぜ道にドーンと高速道路を通すような効果があって、その勢いであっという間に自分の主張(しばしばそれはとても理不尽なものです)を通してしまうのです。

 

しかし、怒り=(対象を傷つける)攻撃、ではないことは、2歳児クラスの子どもたちの例から私たちは既に学んでいます。

怒りを感じるという内的な体験と、攻撃という行動をするということは本来は別のことであるし、そもそも「怒り」は一見「怒り」に見えるものの、それはまた他の感情である可能性もあります。

子どもたちは「悔しい」「悲しい」といった気持ちの他に「一緒にいたい」「近寄りたい」などの気持ちも「怒り」や癇癪として行動化していました。そして、それらはそれぞれちがった、適切な行動にすることが可能です。例えば言葉で話す、文章にする、絵やアートで表現する、人とのつながりや共にいることを求めることなどを通して、私たちは攻撃以外の他の方法でもって自分の感情を表現することができます。

 

星一徹は怒って、ちゃぶ台をひっくり返す、という行動の代わりに、どんなことができたでしょうか。またその時の「怒り」のように見えるもの、それって本当はどんな気持ちがあったのでしょうか。

 

この『巨人の星』の話は続きます。

【堪忍袋】の中身、怒りと傷つき

 

 

●怒りは考えによってより燃え盛る☞【感情調整】怒りそのものなような、そのようにみえるような

●怒りのコントロール法☞【タイムアウト】感情のコントロールについて【いつものパターンになっていませんか?】

●お茶飲んで話を聞いてもらうのもいいですよ☞【老和尚と鬼】怒りのコントロール、アンガーマネージメントともいいます

 

サードプレイス

PE感情調整

【モヤモヤした感じ】持続エクスポージャー療法の理論

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

持続エクスポージャー療法(PE)はペンシルバニア大学精神科教授(心理学)のエドナ・フォア博士(心理学)とその同僚の開発した心的外傷後ストレス障害(PTSD)の治療のための心理療法です。PEでは1回90分のセッションを、概ね10回から15回毎週実施します。

PEは「情動処理理論(Emotional processing theory)」と不安のための「エクスポージャー療法」という2つの親から生まれました。すなわち、理論的な根拠を情動処理理論に置き、中心的な手続きはエクスポージャー療法という不安や恐怖を軽減する行動療法に依っているのです。「持続エクスポージャー療法」という名前に表されるように、PEはその手続きにスポットライトが当たりがちなのですが、実は回復のカギとなるのは情動処理によるところが大きいと感じています。

エクスポージャー療法自体、長い歴史をもっています。詳しくは割愛しますが、人が恐怖と感じている「もの」や「場所」にだんだん慣れていく手法はこのような行動療法の中ですでに確立しています。例えば、私の「ヘビ恐怖」を治療するために考えられるのは、まずは可愛らしいヘビのイラストなんかを見ることからはじめて、次第にヘビの赤ちゃんの画像や、比較的穏やかそうな色合いのヘビを経て、間近でニシキヘビ(そう、私はコブラ系ではなくニシキヘビ系がダメなのです)を観察する、みたいな治療計画でしょう(やりたくないです)。

 

ところで今日は、PEのもう一人の親、情動処理理論の話です。

フォア先生がPEを開発しようとした最初のきっかけは「何故(レイプのような)不快な記憶はフラッシュバックしたりするのに、いい記憶にはそれがないのだろう」という疑問だったそうです。つづけてフォア先生は、「私の結婚式は最高に幸せだったのに、その記憶が勝手に蘇ってくることがないのは不思議なことだった」と述べています。

このエピソードに、フォア先生って案外ロマンチストなんだなぁ、と前のめりになりかけて、でもこれは彼女のお得意のたとえ話に違いない、と思い直した次第です。面白そうなお話には、私はいつも乗せられてしまうのですが、たしかに、楽しい記憶と嫌な記憶はどう違うのか考えてみることは価値がありそうです。

 

楽しい記憶には、感覚的、または直感的なイメージですが、「スッキリした感じ」があるのではないでしょうか。出来事があって、それに伴ううれしい感情があり、それに胸が広がるような心地よい身体の感じがストレートにつながっている感じです。「ああ、楽しかった!」と一言で言い表せる、ある種の潔さがポジティブな経験にはあります。

それに対して、ネガティブな記憶はずっとごちゃごちゃしています。日常生活レベルでは「モヤモヤした感じ」と表現されることが多いかもしれません。

 

「モヤモヤした感じ」とは例えば、こういうことです。

あなたはある会社で派遣社員として働いています。パソコンに向かって作業していると、正社員である先輩に話しかけられました。「いいよなぁ、独身の人は気楽で。俺なんか子どもも生まれたし、家のローンだって大変なんだよ」と嘆息しています。あなたは冗談めかして「そんなぁ、私なんてボロアパートでボッチですよ!」と返します。笑いながらも胸のあたりがぎゅっとして、顔が火照っているのを感じます。会社からの帰り道では涙があふれそうでした。

家についてもなかなか気持ちが収まりません。家事が手につかないし、イライラしています。

 

実はこの「モヤモヤした感じ」が解決する過程、それこそが情動(emotion)処理理論で説明されていることです。

すなわち、あなたはモヤモヤを抱えつつも、お風呂に入ったり、ご飯を食べたりして、その日の体験を考え直しているうちに自分の気持ち(emotion)に気づくことがあるでしょう。あなたは実際「自分は傷ついている」ということに思い当たります。それに、あのやりとりは、自分にとっては屈辱的で腹が立つものであった、ということもわかりました。

その時の感情が明らかになると、先輩との会話の中で、あなたがひそかに傷つき腹を立てていたということと、その感情とは相反する自分の言動があったこと、それ故、身体に違和感を感じていた、ということが一本の線のようにつながって、ストンと合点がいきました。あなたはひとり言をいいます「嫌味な奴!」。そうするとちょっと胸のすくような感じがありました。

このように、自分の感情を発見することにより、自分の不快な記憶が、すっきりと了解可能なものになるのです。

 

情動(emotion)処理理論では自分自身の感情(emotion)の発見をとても重視しています。感情の真の気づきこそが出来事のストーリーとその時の自分の反応や身体の感じを結びつける、不可欠な要となるからです。

究極にモヤモヤしているはずであろうトラウマ的体験でも同様に、やはり自分の真の感情を見つけ、触れていくことがセラピーの中で必須な作業になります。もちろん、なまやさしいことではありませんが、やりがいのある作業でもあります。セラピストもあなたと一緒に、よきサポーターとして力を尽くします。

 

 

今日のお話はイマイチと思われた方も、私がもっと年をとってフォア先生ぐらいにおばあちゃん(失礼!)になったら、お話もきっと、もっと面白くなるはずなので、しばらくの間お付き合いください。

 

 

ではまた!

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トラウマ

【人生のストーリー】トラウマの光と陰

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

安野光雅さんという画家がいます。安野さんの、水彩絵の具を使った淡い色調ながら、細部まで描きこまれた美しくて楽しい世界は多くの絵本になっています。

子どものころから『ふしぎなえ』の虜だった私にとって、安野さんはいつも身近に感じる、叔父さんのような存在でした。

 

そんな安野さんがNHKかなんかの旅紀行のようなもの(もうずいぶんと前のことなので、記憶も曖昧ですが)に出演していました。そこはヨーロッパのどこかの町で、その晴れた明るい街並みを安野さん自らがスケッチをするシーンです。

私が茶の間に座ってぼんやりとテレビの中の安野さんの手元を眺めているあいだに、安野さんの手はさささっと動いて、ブラウン管に映ったその風景を巧みにキャンバスに写し取っていきます。あっという間に、水彩ならではのあたたかい色合いの街並みがキャンバスの上に現れました。

「すごい、完璧だ」と私が目を見張っていたところに、安野さんがつと絵筆を取り、黒い絵の具を、その街並みの影になる部分に(いささかぞんざいに)のせはじめました。あまりの展開に私はドキドキしました。この明るい、淡い色の絵が、黒い絵の具を落とすことで台無しにになってしまうことを恐れたからです。

でも、安野さんが黒々とした影をキャンバスにのせていく度、絵の中の街並みは、その明るさを増してさえわたりました。

 

人生について語るとき、そこにはいつもトラウマの影があります。その影はあまりにも暗く、怖いので、私たちはそれを見ないようにしたり、もしくは薄目にしてよく見ようとはしません。そうやってその影がぼんやりしているうちは、私たちの人生全体もなんだかぼんやりとしています。

でもある日、勇気を出して、その黒々とした影にしっかり目を向けて表現すると、何が起きるでしょう。

影ではなく、光が増すのです。

その光は、安心感だったり、自分自身の強さだったり、または物事のもう一つの側面、ポジティブな側面であったり、人によって違うものですが、影をしっかりと捉えた時、光はいつも現れてきます。

 

なんのためらいもなく筆を走らせた安野さんは、影が濃くなることで光が輝くことを当然、知っていたのでしょう。

安野さんが黒い絵の具をキャンバスの載せるときにふと「光が強いな」と呟いたのを覚えています。

 

こちらもどうぞ☞【モヤモヤした感じ】持続エクスポージャー療法の理論

 

ではまた!

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【ご挨拶】2019年になりました

こんにちは。

飯田橋のカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。

 

無事に年があけたようです。

今までお会いした方々やこのブログを訪ねてくださっている方々、そして、まだお会いしていないたくさんの方々にとって、この年が健やかで、また平和でありますよう、マゴコロこめてお祈り申し上げます。

 

2019年もどうぞよろしくお願いいたします。

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